唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 善の心所  第三・諸門分別 (23)

2013-11-26 22:38:04 | 心の構造について

 「論。慢等忿等唯意識倶 述曰。根本中慢等七。隨惑之中忿等九法。唯意識起流滿識少。所以不翻別立善法。不約一一功能増勝。不嫉即是喜無量故。亦應別翻。但以流滿識非多故。無此妨也。然不障餘翻爲善法問若爾者害唯在意。應不翻之。」(『述記』第六本下・三十四左。大正43・440c)

 (「述して曰く。根本の中の慢等の七(慢・疑・薩迦耶見・辺執見・邪見・見取見・戒禁取見)と、随惑の中の忿等の九法(忿・恨・覆・悩・嫉・慳・誑・諂・憍)とは唯だ意識のみに起こり、識に流満すること少なし。所以に翻じて別に善法と立てず。一々の功能増勝なるに約せられず。」)

 本科段は、第六意識のみに存在する煩悩・随煩悩について述べられ、これらは、善の心所に入れられない理由を述べています。

 「慢等と、忿等とは、唯だ意識のみと倶なるを以てなり。」(『論』第六・九左)

 慢等の七と、忿等の九は、第六意識のみと相応する、他の五識とは相応しないということです。その為に、功能増勝ではなく、これらの心所を翻じて立てられる善の心所は、設え、善の心所ではあったとしても、善の心所として立てられている十一の心所には入れられないのである、と説明されています。

 (「不嫉は即ち是れ喜無量なるが故に、亦別に翻ずべけれども、但だ流満の識、多にあらざるを以ての故に。此の妨げ無きなり。然るに余も翻じて善法と為ること障えず。
 問う、若し爾らば害は唯だ意にみに在り之に翻ぜざるべし。」)

 問いが立てられます。害も唯だ第六意識にのみ存在する随煩悩の心所である。しかしこの害を翻じた不害は(十一の)善の心所には入られないのではないか。

 そして不害が善の心所に入れられる理由が示されます。