唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 善の心所  第三・諸門分別 (13)

2013-11-08 21:24:17 | 心の構造について

第三は、不慢についての説明になります。

 「(第一説)有義は、不慢は信の一分に摂めらる、謂く、若し彼を信ずるときには彼を慢せざるが故にという。
 (第二説)有義は、不慢は捨の一分に摂めらる、心平等なる者は高慢せざるが故にという。
 (第三説)有義は、不慢は、慚の一分に摂めらる、若し彼を崇重(スウジュウ)するときは彼を慢ぜざるが故にと云う。」(『論』第六・八左)

 不慢については三説が述べられています。第三説が勝れているとされる。

 慢について少し説明します。(過去ログより)

 「慢と云う煩悩は慢心のことで、他人に対して自分をおごりたかぶる心のことです。「己を恃(タノ)んで他に於いて高擧(コウコ)するを以って性と為し。」といわれています。自分を頼りにして他人に対して高擧する、高慢です。思い上がってうぬぼれている心です。常に慢心を抱いて他に接しているのですね、善しにつけ、悪しきにつけですね。前者は増上慢ですし、後者は卑下慢です。へりくだった慢心ですね。「他の多勝に於いて己れ少劣と謂う」此れは世間に於いて自分と他者を比較することがよくあることですね。自分が明らかに劣っているとわかっていても認めません。自分もまんざら捨てたものではない、というわけです。子供と話をしていてもよく判るのですが、なかなか相手を認めません。「あいつは勉強できるかもしれないが、スポーツは俺の方がはるかに優れている」「あいつは数学が得意だけれど、俺は英語では負けない」とかですね、すべてに於いて自分が劣っているとわかっていても慢心が働いているのですね。また「我が身を下して(卑下して)高慢の人(思い上がって人をあなどること)を見ては不見の思いをなす」ともいわれています。このように見ていきますと、慢と云う心は自他差別の心だということがわかります。どこまでいっても自分優位であるということは動かせないのです。それが「能く不慢を障えて苦を生ずるを以って業と為す」と。自他差別の心が苦を生んでくるのですね。慢と云う煩悩は姿かたちを持ちませんから不気味ですね。見えないから本当に厄介な煩悩です。「邪見憍慢悪衆生」、邪な(わかっているつもりの)見解をもち、自らおもいあがって、他を見下して侮っている存在を悪衆生といっていますね。この悪衆生は「信楽受持すること、はなはだもって難し。難中の難、これに過ぎたるはなし」とといわれ、慢と云う煩悩はいかに厄介な煩悩かがよく伺えるのです。そしてこの慢には七慢あるいは九慢という分類、非常にきめこまやかな分類がなされています。

 

               七慢

 

 慢・過慢・慢過慢・卑慢・我慢(自らたのんで他に対して思い上がっていることー世間でいう辛抱とは違います)・増上慢(未だ取得していないけれど、既に取得していると嘘をつくことです。ー私もですね、このように唯識を読ませていただいているわけで。、いろんな書物を参考にしながら、わかったように書き込みをしていますが、本当の所は何もわかっていないのですね。嘘をついています。これが増上慢ですし、また卑下慢でもあるわけです。やっかいなのは増上慢・卑下慢ですといったとたんに慢心が働くと云うのですね。ですから何も判っていないと云うことなのでしょうね。書くと云うことはわかったつもりで書いていますかね。慢心です。)・邪慢(邪な慢心ですね。「己れ無きに己れ有と謂う」といわれ、増上慢と似通っていますが、自分には無いのに有ると謂う慢心です)

 

 この慢を翻じた善の心所が不慢です。真理や真実に対して謙虚な心の働きですね。この不慢の体について三説が述べられているのです。

 
  •  第一説 - 不慢の(体)は信
  •  

  •  第二説 - 不慢の(体)は行捨
  •  

  •  第三説 - 不慢の(体)は慚
 

 『述記』には、第三説の「此の中の第三の慚の一分と云うは勝れたり。慚は師長等を崇敬するを以ての故に」と、第一説及び第二説が第三説より劣っているという理由は述べられていません。しかし、「但だ不慢を障うると言う義は三に通ずべし」と、能対治は不慢・所対治は慢であるということは共通していることであると説明されています。

 

 また、『演秘』には「不敬とは謂ゆる師長及び有徳の所に於て憍傲(キョウゴウ)を生するなり、苦生ずと云うは謂ゆる後有に生ずるが故に」、と釈されています。

 

 不敬という、人を敬わない人は、師長や有徳の人から学ぶことが無く、反って、自己を高く評価し高慢に他を見下し、後に苦を生ずる因を造ることになると釈しています。