老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

遁走する政治怪獣“ユリゴン”

2017-10-06 20:20:56 | 立憲民主党
昨日の小池・前原会談。小池の図太さが際立っていた。

「わたしは最初から選挙に出るとは言っていない」と?「嘘も休み休み言え」という話だ。当初、選挙に勝てると思っていたので、出る気満々だった。ところが、自らの失言で風向きが変わると、居心地の良い東京都知事を手放す気がなくなったのだろう。

それならば、当初から選挙に関わるな。偉そうに人の選別などするな。排除の論理など振り回すな、という話だ。

政治というのは、一番人間臭い商売だと言ってよい。人間の持つありとあらゆる「悪徳」も「美徳」もすべてが坩堝のように渦巻いている。人間存在そのものの世界だと言ってよい。

しかし、政治という世界。好きなものだけが勝敗を争ってすむのなら、どうぞご勝手にやれば、で済むが、そうはいかない。なぜなら、「政治」は、国民生活に直結している。「政治」が腐敗、退廃をすれば、即、国民生活が駄目になる。

だから、政治家は、最低限のモラルとして、正直に国民に語り、自分の言説に対しては、最後まで責任を持たなければ、国民はたまったものではない。

政治家は、国民の切実な願いや期待、祈りや、希望を裏切ってはならない。国民に語り、約束し、期待させたことは、全身全霊を傾けて実現するべく努力しなければならない。どんなに辛くても、どんなに道が遠くても、「痩せ我慢」の美学を忘れては、指導者の資格がない。

しかし、現実の政治の世界は、まるで別世界。「脅し」「騙し」「買収」「虚言」「裏切り」等々、人間のあらゆる「悪徳」が渦巻いている。普通の国民が政治に期待する「美しい姿」など夢の又夢。

小池百合子は、そんな世界の勝者。「騙し」の女王である。多くの仲間を集め、支配し、多くの人間を踏み絵にかけ、良心的議員に、人間としての塗炭の苦しみを味合わせておいて、戦いが我に利あらずとみれば、一目散に遁走し、自分はその戦いに参加しない?

政治の政界の論理からすれば、「騙されたほうが悪い」のだろうが、人間として決して許される話ではない。人間のありとあらゆる欲望が渦巻く世界だからこそ、「信義」を忘れてはならない。

小池は英語が得意なようだが、英国には「Gentleman Ideal」 という日本の武士道に似た考え方がある。英国のGentlemanというのは、紳士と訳されているが、社会の指導層(エリート)を意味する。彼らが指導層として生き延びるためには、まず自分自身を鍛えなければならない。知的にも体力的にも。

昔、「戦場にかける橋」という映画があった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%91%E3%82%8B%E6%A9%8B

アレック・ギネスが主人公の将校を演じていたが、彼は普通の兵たちより身体も大きく、兵の二、三人は平気でぶっ飛ばせる腕力がありそうだった。同時に、英国の将校たちは、捕虜になっても、自分が不利になることが分かっていても、部下の兵たちの待遇改善のために敵軍と身を賭して交渉した。

英国の指導層のこの倫理観は何から来るのか。それは、「市民革命」という経験を経ていることが大きい。指導層にとって、「革命」というのは、自らの名誉も地位も命も財産もその全てを失う事を意味していた。指導層から見れば、「革命」など決して起きてはならないし、起こしてはならない。何とかして、革命のない社会を構築しなければならない。

では、どうするか。イギリス人は、理も非もなく国民を強権的に抑圧する道を選ばなかった。そうではなく、まず、指導層の質の向上を図った。知的にも肉体的にも倫理的にも、指導者にふさわしい人間を育てることを考えた。

貴族たちは、小さいときは、優秀な家庭教師を雇い、教育する。次にイートン・ハローなどの全寮制の中・高校で教育する。その中でスポーツとして奨励されたのがラグビー。ここでは、身体を鍛えるとともに、「全体に奉仕する」精神を叩き込む。さらに、ノーサイドの精神を叩き込み、敵であっても人間として尊敬するという姿勢を育てた。

そして、オックスフォードやケンブリッジなどの大学で専門性を徹底的に教育する。これらの大学は私立だが、予算の80%ぐらいは国家予算。国家有為の人材を育成するのだから当然という考え方。しかし、国家の教育への口出しはほとんどない。時の政権が教育に口出しすると、国家百年の計を誤る、というのが考え方だった。

理由は単純明快。大学は「真理」を追究するところ。世俗の権力が介入すると「真理」が曲げられると考えた。だから、大学はできるだけ世俗にまみれた大都市から離れた場所(オックスフォードもケンブリッジも)に建てられた。

安倍政権など右派政権ほど教育に口を出したがり、ノーベル賞受賞者の多くが危惧するように、成果がすぐには出ない基礎研究などの分野の教育に「金を出さない」。そして、右派政権や独裁政権ほど、「多様性を認めない」。「多様性のない学問」など、「学問」の名に値しない。そんな当たり前の事すら分からない政権が権力を握っているのである。

小池百合子の多様性を拒否した独裁志向、強権的体質、マスコミ受けだけを狙った俗物性。いずれを取っても、「真理」などとは程遠い。

「真理」とは、値うる限り遠ざかった人間に政治を託すほど日本国民の民度は低いのか。安倍晋三と小池百合子の不毛の選択は、そういう事を意味している。

わたしたちは、そのどちらでもない選択をしなければならない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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