老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

言論の自由 再考

2015-07-03 21:39:26 | 民主主義・人権
言論の自由とは何か。

もう20年以上前になりますが、子供たちの話し合いの場を思い出します。当時、わたしのクラスや学年の子供たちの代表は、ほとんどあらゆる事を相互の話し合いで決めていました。授業の受け方、給食の食べ方、掃除の仕方など学校生活のあらゆる事が話し合いの場に出されました。

そういう話し合いの中で最も大切にされたのが、『いじめ』『仲間はずれ』『差別』の問題です。このようなシビアな問題を取り扱う時、話し合いの場(子供たちの代表:学級委員、班長など)でのお互いの信頼感が一番重要になります。もし、子供たちがその信頼感がないと感ずれば、彼らや彼女たちは決して本音で話し合いをしません。きれいごとを並べてお茶を濁すでしょう。

ここに言論の自由を考える重要なヒントがあります。

「言論の自由とは、私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。 ただそれだけのことである。 」・・・内田樹・・

上記の内田の認識は、わたしの経験を裏打ちしています。『自分の言いたい事だけ言う』という論理だけでは、たとえ子供たちでも話し合いは成立しません。話し合いを成立させるためには、何はさておいても、後段の『理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする』という姿勢が重要になります。しかも、『聴くみなさんにお任せする』という【敬語の姿勢】が大切なのです。

相手の話す事を敬う(尊重する)姿勢がなくては、話し合いで何かを決定し、それを実践する事などできません。ましてや、【いじめ】【差別】【仲間はずれ】のようなシビアな問題を話し合いで見つけ、解決方法を話し合い、実践する事など不可能に近いのです。わたしは、学級や学年を運営していく上で、この話し合いの場を何より大切にしていました。それが民主的な子供を育てる一番の早道だと信じていたからです。

金子みすずの『みんな違ってみんないい』の精神こそが、民主主義の原点だと信じていました。子供たちみんなが安心して本音で話し合い、知恵を絞り合い、何事かを決定し、それを実践していく過程こそが、子供たちを成長させるのだと信じていました。

その為には、何より安心して話し合える場をどう作り出すか、お互いを信頼しあえる雰囲気をどう醸成するかに全てがかかっています。学級とか学年をどう運営する(決して経営ではありません)かが問われます。子供たちが話し合い、決定し、実践する事柄を理解し、最後まで支え切る覚悟が問われます。学校の立場とか教師の立場とか【立場論】を前面に出す姿勢では、子供たちの信頼を勝ち取る事はできません。どうしても子供たちの立場に立てない場合は、子供たちを集め、立てない理由を説明し、子供たちに心から謝罪すべきです。

翻って、今回の百田なにがしという男や自民党のお馬鹿三銃士たちの暴言を見ていると、民主主義や言論の自由の何たるかを何も理解していないと言わざるを得ません。

そもそも、国会議員は、日本国憲法99条で『憲法尊重義務』を負うています。同条では、天皇ですら『憲法尊重義務』を負わせているのです。そして、憲法21条では、言論の自由などの表現の自由を保障すると書いています。自民党お馬鹿三銃士たちは、この事を忘れています。自分たち(議員)は憲法尊重義務があるのです。だから、他人の言論の自由を奪うような言論の自由は許されていないのです。彼らの発言を見ていると、お前たちは法を守れ、『俺は別だ』と言っているに等しいのです。こういう人間を OUT OF LAW(無法者) というのです。

もし、彼らが子供たちの前に立っていると仮定しますと、決して子供たちの信頼を得る事は出来ないと断言します。子供たちは、『お前らは守れ、俺は別だ』という姿勢の大人は大嫌いなのですから。子供たちは、本能的に無法者は大嫌いなのです。

現在、右派系連中の間で百田にも「言論の自由はある」とか言っていますが、他人を誹謗中傷する言論の自由はありません。個人の場合でしたら、これは、名誉棄損などの対象になります。

供たちの話し合いの場で一番大切なのは、主張の品性の問題です。相手を口汚く誹謗中傷するような品性の持ち主には、決して話し合いはできません。話し合いというのは、相手の立場・論理をわがものとして考え、それを認めたり、それを補強したり、それを超える論理を提供する場所なのです。子供たちは、「正・反・合」という形で弁証法的に成長するのです。この過程を何よりも大切にする事が、民主主義を大切にする事につながります。

ファシズムとは、そのような人間の成長の過程を全て否定する考え方なのです。百田や自民党お馬鹿三銃士たちの認識は、その事を如実に示しています。

「護憲+BBS」「憲法を考える」より
流水

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自由と規制のはざま (竹内春一)
2015-07-04 00:47:14
無邪気な孫を見ると、いつも自由に育ってほしいと思うものである。自由は良薬でもあるし、劇薬でもある。自由のガイダンスが必要になる。かわいい子には旅をさせよと昔から言うが、世間の風を当てて、物事の道理を学ばせるということである。世間が良いガイダンスを与えてくれる。

教師も生徒にガイダンスを与えられる。例えば入学時、このクラス一緒に入学したんだから、卒業するまで頑張ろうねと言う。一度だけでなくて何度も言うと、生徒もその気になる。
生徒が欠席すると、教師が連絡しなくても他の生徒が家庭訪問して励ましてくれる。勉強も分からないところは生徒自身で教えあったりする。

ところが教師のガイダンスが悪いと、生徒は自由に席を立ち、徘徊したりする。授業がつまらないから学校を欠席したりする。自由は良薬でもあるし劇薬でもある。その決め手は教師のガイダンスである。

日本の政治では、自由が制限されだした。新聞など潰してしまえと言っている。教室で生徒に私語があまりにうるっさいから、「黙れ」と大声を出したり、全員正座と言うようなものである。

安倍総理の最重要な任務は日本の平和と成長(未来)を守ることである。その認識が欠けているように思われる。首相は平和ではなくて、中国との戦争を計画してとも言われる。間違ったガイダンスのもとで、日本の子供たちにはこれかから暗い時代が待っている。

対策は阿部政権の早期退陣である。我々にそれができなくても、世界が黙っていない。
8月tppが成立すると、米国は阿部政権のご機嫌を取る必要がなくなる。米国産業界の要求で米国もAIIBに参加する可能性が高い。その方が米国の国益にかなうからである。今、阿部政権は内外で高飛車な態度を取っているが、8月になると一転して土下座外交になるかもしれない。阿部氏に戦前の松岡外相ほどの知性があれば、AIIB不参加は僕の痛恨のミスでしたとなる。
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