老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

憲法学者の自伝的エッセー

2007-08-14 06:29:27 | 憲法
最近、日本国憲法が制定された当時に若者だった憲法学者の自伝的な著書を読む機会に恵まれた。作家で言うと第一次戦後派の文学者と同じ世代かそれよりも若い世代(安岡章太郎、吉行淳之介が代表的)である。

一人は樋口陽一氏であり、氏は確か20代でフランスに留学した。現在は日仏会館の理事長に選出されたということである。樋口氏の著書『「共和国」フランスと私―日仏の戦後デモクラシーをふり返る』(柘植書房新社)は日仏会館の講演をまとめたものであるが、かなりショッキングなことが書かれてあった。

一例を挙げれば、樋口氏が留学した当時、アルジェリアの独立をドゴールが容認したため、ドゴールが右翼から命を狙われるという事件があったという。この事件が劇映画「ジャッカルの日」として日本でも公開されたのである。

また樋口氏がフランスに留学して指導教官になった人がドゴール派だったために、やはり大学内でも右翼からの攻撃にさらされたという。(日本においてもその当時、社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が右翼の青年に講演中に刺殺されるという事件が起きた。)宗主国だった大国が植民地だった領土を手離す、逆に植民地が独立するとき紛争が起きる。こうした問題も憲法の問題として再考できるのではないだろうか。

その後に読んだ憲法学者の本が、奥平康弘氏の『憲法を生きる』(日本評論社)という自伝だった。奥平氏は戦後アメリカに留学したという。奥平氏は現在も「表現の自由」という憲法問題の第一人者と言われている。氏の『治安維持法小史』(岩波文庫)という著書は歴史的な名著と言われているが、この本を奥平氏がなぜ書くことになったのかも、この自伝には記されていた。

憲法21条「表現の自由」に規定されている「検閲はこれを禁ずる」について、問題の前史としての戦前の検閲制度を射程に入れることで、表現の自由が国家から侵害されるときにどういう事態が現出するのか、日本に本当にあった生の歴史的事実を押えることで真実を明らかにする、という作業が重要なことだと考えたからではないだろうか。

奥平氏の自伝『憲法を生きる』では、戦後における重要な事件・裁判として「チャタレイ裁判」が取り上げられている。この事件は社会学的には「猥褻か芸術か」という視点で理解されているので、憲法問題としてはあまり追求されていないが、奥平氏によれば「表現の自由」の問題として、特に違憲審査制度の対象として問題にすることが出来るのではないかとされる。

その憲法問題の核心に触れる前に「チャタレイ裁判」のことを少し説明しよう。この事件は伊藤整という文学者であり、翻訳者が英国の作家ローレンスの小説「チャタレイ夫人の恋人」を翻訳したことでその翻訳小説が刑法175条(わいせつ物の頒布)に触れるという事件であった。

この小説の内容が「わいせつ」に当たるというのが検察の起訴理由であるが、奥平氏の問題提起は「わいせつ」という刑法の表現があいまいであり、具体的な基準としてはあまりに漠然としていて、表現の自由を規制する法規としては違憲の疑いが強いという。このことは重要であり、現在でも問題になるであろう。

こうして最近、憲法学者の自伝的な著書を読むことになったが、市販されている「憲法教科書」と異なり、いずれも著者である憲法学者の血の通った文章であり、憲法学の内部にあるいきいきとした問題に触れることが出来る著書であるという感想を持った。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵

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