老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

裁判所は検察審査会の信頼回復に努めよ

2012-09-30 17:09:56 | 民主主義・人権
9月26日の朝日新聞は、『小沢元民主党代表の控訴審は9月25日の東京高等裁判所でわずか1日、たったの1時間で結審し、裁判官は、「(指定弁護士)の事実取り調べ請求を棄却し結審します」と宣言し、判決は11月12日に指定された』と報じている。

そもそも小沢氏が被告人とされたのは検察審査会の強制起訴によってであるが、特に小沢氏の不起訴処分に対する検察審査会の審査の在り方進め方は他の検察審査会(例えば、JR福知山線脱線転覆事故、明石横断歩道橋圧死事件)等に比べ、不透明で不明朗な部分が多いと専門家や市民団体からも指摘されている。

例えば1回目の検察審査会メンバーの一部は任期が切れてそっくり2回目のメンバーではないと伝えられているが、しかしその平均年齢はほぼ同じであったり、検察審査会事務局が後日平均年齢を訂正したりして、本当に入れ替えが行われたのか疑問視されている。にも拘わらず検察審査会事務局はその疑問に答えていないと報道されている。

一方で東京地検特捜部検察官の偽の捜査報告書は、2回目の検察審査会に時期を合わせて提出されたと言われている。そもそも検察審査会は検察の起訴、不起訴を国民が不服として審査の申し立てをして、それを受けて開かれるものである。小沢氏の場合も東京地検特捜部の不起訴を不服として国民が検察審査会に申し立てたもので、その場合、検察審査会に呼ばれ、説明にあたる検察官は、不起訴にした理由を検察審査員に説明するのが筋なはずである。

ところが東京地検特捜部は不起訴にしておきながら、審査会では強制起訴に誘導するための偽捜査報告書を提出していたのであるから、明らかに矛盾した行為である。逆に言えば検察に検察審査員の一般常識(無知)を逆手に取られた感じである。裁判員裁判の裁判員と同じように、有権者名簿から無作為に選ばれた善良な審査員も普通の人であり、元来検察官を信頼しており、検察官がまさかそのような不正行為をするとは夢にも思っていないであろう。また審査員の常識ではこのような検察の矛盾した不適正な行為を見抜けるはずもない。

しかし補助弁護士や検察審査会事務官は偽の捜査報告書内容には気付かなかったとしても、その道のプロであれば、検察官が強制起訴に誘導しようとする行為(捜査報告書の提出そのもの)には気が付いていたはずであり、仮にそれにも気が付かなかったとすればその役務を果しえなかった責任は重大である。

確かに補助弁護士は審査員側に立って検察の不起訴を質す立場であろうが、仮にその弁護士が反民主党であり、反小沢であり、小沢の政敵とパイプがあったとすれば、検察の矛盾した行為(偽捜査報告書提出)を黙認することは否定できない。このような補助弁護士のキャラクターをどこで誰が審理しているのかも不透明である。

また有権者から選任された検察審査員の多くも、弁護士は公正・公平な職業と信じて、補助弁護士の思想・信条や政治的関心について事前審査の必要性など思いもつかないであろう。そうなれば自ずと検察審査会法第二十条に規定されているように、最高裁が裁判所事務官から選任した検察審査会事務官や検察審査会事務局長が、検察官の不正行為や補助弁護士のキャラクターを事前審査しないことには公正な検察審査会は維持できないはずである。

検察審査会法  http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO147.html

第二十条  各検察審査会に最高裁判所が定める員数の検察審査会事務官を置く。
○2、検察審査会事務官は、裁判所事務官の中から、最高裁判所が、これを命じ、検察審査会事務官の勤務する検察審査会は、最高裁判所の定めるところにより各地方裁判所がこれを定める。
○3、最高裁判所は、各検察審査会の検察審査会事務官のうち一人に各検察審査会事務局長を命ずる。
○4、検察審査会事務局長及びその他の検察審査会事務官は、検察審査会長の指揮監督を受けて、検察審査会の事務を掌る。

参考までに、「八木啓代のひとりごと」ブログでは、検察審査会への不信と小沢氏の不起訴を審査した検察審査会の補助弁護士の選定について、次のような信じられないようなことが述べられている。

「小沢事件を通して、検察審査会法の改正は、けっして、検察を縛ったり、検察を厳しくチェックするためのものではなく、検察を補完するための制度(改正)だったのではないかということを改めて痛感したわけです。」「で、その、山下弁護士の衝撃的なお話です。」

衝撃的なお話の詳細は下記のURLを参照して欲しい。

http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-623.html

一方竹崎最高裁判所長官は今年の憲法記念日前日の記者会見で、『強制起訴された民主党の小沢一郎元代表が無罪となった検察審査会制度については、「強制起訴件数や裁判例はわずか。長い目で見ていく必要がある」との見方を示した。』と産経新聞は報じているが、いかにも能天気な会見答弁である。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120502/trl12050221070007-n1.htm

小沢氏はこのような不備な検察審査会制度の審査で強制起訴され、人格を毀損され、政治生命を絶たれたと言っても過言ではあるまい。裁判所はこのような不信を招いた検察審査会制度の信頼をどのようにして回復するのか、実際に犠牲者が居るのに、「長い目で見ていく必要がある」では済まされない。現状の検察審査会法の中でも検察審査会制度の改革をすべきところがあることは国民目線(素人目)にも明らかである。

例えば政治家や思想家や宗教家を検察審査会にかける場合、現状ではその人の政治信条や理念や宗教上の思想に賛同する人や逆に反対する人が検察審査員や補助弁護人に選任されることもあり得るわけで、そのような場合に検察審査員や補助弁護人が公正な判断をできるか疑問である。検察審査会法第六条には、「次に掲げる者は、検察審査員の職務に就くことができない」と一定の職種が規定されているが、その中には政党員やサポーターや宗教の信者や一定の思想を持つ学者は規定されていない。これらの人を憲法上排除できないならば、政治家や思想家や宗教家を検察審査会にかけるのはそぐわないのではあるまいか。

さらに審査会法第十五条(下記)には、検察審査会長は検察審査員に互選され、その2項には、「検察審査会長は、検察審査会議の議長となり、検察審査会の事務を掌理し、検察審査会事務官を指揮監督する。」と規定されている。

第十五条  前条に規定する各群の検察審査員及び補充員のいずれかの任期が開始したときは、その都度速やかに検察審査会議を開き、検察審査会長を互選しなければならない。この場合において、検察審査会長が互選されるまでは、検察審査会事務局長が検察審査会長の職務を行う。
○2、 検察審査会長は、検察審査会議の議長となり、検察審査会の事務を掌理し、検察審査会事務官を指揮監督する。

しかし有権者から選任された検察審査会長が司法行政のプロである検察審査会事務官を指揮監督したり、また検察審査会議の議長として、検察審査会の事務を掌理し司法行政の一端を司することは難しいであろう。自ずと実務経験のある補助弁護人や検察審査会事務官や事務局長に頼らざるを得ず、実質司法行政のプロが検察審査会を取り仕切らざるを得ないはずである。現実はこの様な条文と乖離している可能性が大であり、国会で早急な検察審査会法の改正が必要なのではあるまいか。

ざっと見ただけでも生煮えな検察審査会法とそれに準じた検察審査会制度であると見えてならない。裁判員裁判ではプロの裁判官が素人の裁判員をうまくリードして審理を進めているように見えて安心できるが、検察審査会では誰が審査を主導しているのか不透明である。このような不備な検察審査会に申し立てられては公正な審査は保障されないであろう。東京地検特捜部から提出された偽の捜査報告書が何よりの証拠である。

「護憲+BBS」「裁判、司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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「ここから~定点観測・国会前~」東京新聞9/29

2012-09-30 11:43:17 | 民主主義・人権
東京新聞9/29付記事より。「ここから~定点観測・国会前~」9/28に参加された、熊野亘代さん(81歳)のインタビューです。

+++++++ ここから +++++++++
 先月、デモ参加者が最盛期の3分の1に減ったとテレビで聞いて、「私のようなおばあさんでも一粒の種になるなら」と参加を始めました。腰や足が痛く、最近は微熱もあって少しつらい。それでも、ここに来ずにはいられない。

 戦争中、小型艦載機からの銃撃に必死に逃げました。3日間、水だけでしのいだこともありました。国民は知らないうちに戦争へと駆り立てられ、がちがちの軍国主義に染められた。40年ほど前、高校生だった娘に「大東亜戦争に、なずお母さんは反対しなかったの」と尋ねられ、何も言えませんでした。

 私が政治的な活動に関わるのを禁じていた夫が6年前に亡くなり、平和運動に加わるようになりました。基地反対を訴える米軍キャンプ座間(相模原市、座間市)前の座り込みにも毎週、行っています。父と兄は東京電力に勤めていました。

 でも日本が原発を始める時、私は「日本のような地震国では危ない」と思った。当時、誰も耳を傾けてくれなかったけど、「そら見ろ」という感じです。

 野田首相が原発ゼロをうち出して久しぶりにすかっとしたのに、経済界や米国の圧力でひっくり返された。まだ日本は占領状態なんですね。放っておくと、お国は何をするかわからない。残りの人生は運動にかけようと思っています。(聞き手・小嶋麻友美)
++++++++ ここまで +++++++++++

昔、映画俳優の「男は黙って、〇〇ビール」なんてCMがありましたね。女性(奥さん)が世間に声を上げようとすると、男性(ご主人)が「女だてらに」「オレに恥をかかすな」とか苦言を呈した時代なんでしょう。でも、「黙して語らず」では、ズルイ輩に好き勝手させるだけです。

熊野さんのお嬢様の素朴な疑問も理解できます。それをいいことに「戦時中は全国民が戦争に賛成していたんだから、戦争責任は国民にもある」という論理のする替えをするアホもいます。

しかし戦時中は、女性一人が「反対」の声を上げなどしたら家長ににらまれ、隣り組に叱られ、地域から村八分にされた時代でしょう。さもなければ憲兵隊か特高警察に連れて行かれ、最悪生きては帰って来れない時代だったと思います。

熊野さん、無理はなさらず長生きして、声を上げ続けてください。きっとお嬢様は理解して応援していると思います。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
猫家五六助
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「日中国交正常化40周年、、、」(東京新聞9/29)より

2012-09-30 11:40:44 | 安全・外交
東京新聞9/29付に、「日中国交正常化40周年、『不惑』を超えて」という特集記事がありました。その中にある中日新聞社相談役・大林主一さんの意見を転載します。

+++++++ ここから +++++++++++
「本社取材団として同行---田中首相の気構え伝わる」

 「決断と実行」を旗印にして1972年7月に誕生した田中角栄内閣。田中首相は就任わずか2ヵ月半後の9月25日、北京に飛び、中国の周恩来首相とのトップ会談に臨んで一挙に国交正常化を果たした。

 国民は田中首相の訪中を歓迎。当時の世論調査では訪中に「賛成」が63%、「反対」はわずか4%だった。

 日本メディアは国交がない中国側と交渉を重ね、新聞、通信、テレビ、ラジオの計29社の記者ら80人と技術者ら70人の計150人という前例のない大規模な報道陣を派遣した。本紙(東京新聞)は私を含め5人の取材団で臨んだ。

 田中首相、大平正芳外相、二階堂進官房長官とともに、羽田空港を25日午前8時10分に飛び立つ日航特別機に乗り込んだ。機内では田中首相が大平外相に向かって「おれは細かいことまで知らんぜ。大局的にやるよ」と話す声が聞こえた。あえて豪放さを装いながらも、首相の表情からは正常化交渉に命を懸ける気構えが感じられた。

 日中の国交正常化はすなわち台湾との断交を意味し、出発前には国内で不穏なテロ情報も流れた。中国内には戦争の記憶が生々しく残り、過激な行動も考えられた。田中首相は「いつ刺されても恥ずかしくないように」と新調の下着をつけ、大平外相は自宅に遺書を置いてきていた。

 日中間では粘り強い交渉が続き、一時は決裂するのではと危ぶまれたが、周恩来首相は
 「小異を残して大同につく(中国語表現)」
と最終判断。それだけに北京の人民大会堂で両首脳が共同声明に調印して力強く握手する光景を目の当たりにし、その記事を書くことができた感動は、今も忘れられない。
++++++ ここまで ++++++++++

故田中首相の功罪はありますが、政治家としての気構え・矜持・ポリシーは確かなものだと感じます。「細かいことは官僚に任せればいい。政治家は国(国民)のために体を張って決断する」ということでしょうか。

今の政治家、特に自民党!そして第二自民党と化した民主党。私には「政治家」の看板を背負った役人やサラリーマンに見えるんです。田中角栄さんが生きていたら、どのように尖閣諸島問題を捌いたでしょうか。

きっと雲の上から、あのダミ声で「まぁ、その~、チミねぇ」と今の緊迫した日中関係を憂いていることでしょう。そして、どの政治家・知事に「天罰」を与えてくれますやら。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
猫家五六助
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