老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

指定弁護士「控訴」(小沢裁判)

2012-05-10 20:09:42 | 民主主義・人権
昨日は、腹がたつて仕方がなかった。小沢事件の指定弁護士たちが、控訴を決めた。人権派という触れ込みだったが、にやにやしながらの記者会見を見ていると、控訴される被告の苦しみや痛みなど蚊に刺された程度にしか感じない感性の持ち主だと思う。所詮、人権派などという触れ込みは、身すぎ世すぎの意匠なのだろう。

そういえば、赤旗が執拗に小沢疑惑を書きたてている。たとえ、自分たちにとって、政敵であろうと、検察が行った今回の小沢裁判の異常性について、厳しく批判するのが共産党の立場であろう。それが戦前、特高警察の激しく理不尽な弾圧を経験した共産党の生命線ではないのか。それが権力側と一緒になって、小沢批判を繰り返す。一体、戦前の苦い経験はどこに行ったのか。

マスメディアのプロパガンダ記事も見るに堪えないが、曲がりなりにも反体制政党として認知されている共産党までこの体たらく。もはや、反体制政党(革命政党)としての共産党の役割は終わった、と言わざるを得ない。彼らの叫ぶ民主主義は一体何なのか。理解に苦しむ。鬼籍に入った吉本隆明の言う【擬制の終焉】そのものである。

今回の小沢裁判の唯一のメリットは、日本の支配構造を影絵のように浮かび上がらせている点にある。官僚・財界・政治家・メディア・外国資本(政治)の悪徳ペンタゴンの影響力が、これだけ強大な力を持っている事を、国民の目の前であからさまに見せつけている。

そもそも、小沢事件とは何だったのか。検察審査会の疑惑を精力的に追及した森ゆうこ議員が書いた次の一文に尽きる。

【小沢裁判とは一体何であったのか。
政権交代を目前にして代表の座から小沢会長を引き摺り下ろした西松建設事件は、結局、ダミー団体ではないと検察側証人が法廷で証言し、「訴因変更」という姑息な手段で検察は裁判から撤退。事実上裁判自体が無くなった。
そして、陸山会事件は担当した検事が法廷で「検察の妄想」による壮大な虚構と証言したように、捜査当局による「でっち上げ」である。
検察のでっち上げだから、証拠が無く、起訴出来なかった。
だから検察は捜査報告書の捏造という大犯罪を犯してまで、検察審査会を悪用した。
また秘書裁判において、裁判所は、証拠が無いにもかかわらず、推認に次ぐ推認という到底許されない方法で石川知裕衆議院議員議員らに有罪を言い渡し、裁判が続いている。
2009年3月3日からこの3年と2ヶ月余り、前述した検察と司法の暴走に、マスコミはメディアスクラムを組んで協力し、それを、改革を阻む政治勢力が利用してきたことも決して忘れてはならない。
これは、明らかに政治弾圧である。】
・・・新政研「声明」

日本国民が正当な選挙を通じて選んだ議員を、でっち上げの疑いが濃い罪名(そもそも罪ともいえない期ズレの問題)で起訴し、その政治活動を阻害し、岩手県民の意思を踏みにじるような行為が許されて良いのか。しかも、捜査報告書を改竄し、検察審査会の審議(そもそも開催されたかどうかも疑わしい)を誤誘導したのである。

これが検察ファッショでなくて、何なのか。民主主義の根幹を揺るがす問題である。悪名高い戦前の【帝人事件】に勝るとも劣らぬ日本検察史上に残るでっち上げ裁判である。それも曲がりなりにも民主主義国家として出発した戦後の日本においてである。

この問題を【政治とカネ】のような抽象的問題に矮小化し、魔女狩りのような小沢批判を繰り返し、「市民感情」なるこれまたわけの分からない文言で正当化する政党・マスメディアは何なのか。彼らの垂れ流す言説こそ政治劣化の象徴である。もはや、日本はファッシズム国家そのものと言っても過言ではない。

小沢裁判は、日本の政党・メディア・評論家などの民主主義的感性・理解を判定する【リトマス試験紙】である。この問題を通じて、日本の民主主義の危機を感じ叫べないような輩は、信じるに足りない。良識ぶった言説の輩こそ、最も悪質な連中である。

私たち国民は、その視点で、政党・メディア・評論家・有識者なる連中の偽物性・反動性を直視すべきである。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
流水


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