老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

ザマナイ(時代)の歌声が胸を打つ(1)

2012-05-24 17:52:43 | 政治
先日、ユーチューブで「ザマナイ」の歌をはじめて聴いた。

http://www.youtube.com/watch?v=U-G-lXYeBtc&feature=BFa&list=PL6800B7D8CBACF745

日本語の訳詞はこちら

http://www.utagoekissa.com/utagoe.php?title=zamannai

「ザマナイ」の歌は、旧ソ連の中央アジア、現在のカザフスタンの反核ヒバクシャ運動のなかで歌い継がれてきた歌です。うまれた場所は、カザフスタンのセミパラチンスク。1949年8月29日、旧ソ連で初めての原爆実験が行われたところです。ソ連の崩壊する1991年の実験場閉鎖まで、459回の核実験が行われ、推定120万人の被爆者を生んだ世界最大の核による人体実験場だったのです。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/~heiwa/cons/semipalatinsk.pdf

なぜ、世界で唯一の広島・長崎の被爆経験を持つ日本で3・11の福島原発事故まで「原発安全神話」が信じられたのか、については、多くの議論が語られています。多くはこれからの検証に待たなければなりません。この検証は、右から左まですべての党派・メディア・学者(特に原子力研究に携わった科学者)・評論家などの知識人に課せられた義務だと思います。特に、反核運動を牽引してきたメディ働組合・左派政党などは、深刻な自己批判が必要だと思います。

その一助として、佐々木洋氏作成の年表(日本人はなぜ、地震列島の海辺に「原発銀座」を設営したか?-3・11フクシマ原発震災に至る原子力開発の内外略史私作年表―)は、きわめて有益だと思います。

http://members.jcom.home.ne.jp/rikato/data28.htm

問題は、大飯原発再稼働問題に象徴されるように、野田政権が原子力村の魔力に吸い込まれている日本の現状です。

★‏日米、原発研究で協力、原発再稼働前提に新たな協力関係の構築で「脱原発依存」は後退か 首脳会談(東京)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012050102000095.html

★エネルギーも日米同盟の柱、首脳声明に明記、安全な新規原発の供給で両政府協力の強化を打出す/読売

日本の原発は、当初から米国との密接な関係の下で構築された事は、衆知の事実です。反原発・脱原発のうねりに困り果てた野田首相は、お得意の外圧作戦に出たようです。つまり、米国の力を借りて、国内の反対勢力を封じ込めるやり方です。案の定、野田首相が帰国後、大飯原発再稼働の決定に向けて、動き始めました。

五月一日の日米首脳会談は、野田首相のオバマへの忠誠の儀式であり、その見返りとして、原発稼働への側面援助というわけでしょう。この事を明確に指摘しえたジャーナリズムは、東京新聞一紙という寒々とした光景が、日本のメィアの現状です。

五月九日の小沢控訴も上記の文脈で見なければ、その深層は分からないといえます。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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ザマナイ(時代)の歌声が胸を打つ(2)

2012-05-24 17:39:08 | 政治
消費税増税も同様です。ギリシャ財政危機の再燃で、世界は恐慌の入り口にあるというのに、日本では増税論議一色です。内外の一流の経済学者の多くがクレージーだと評しています。これに命を賭けるという首相の頭を開いて中身を見てみたいくらいです。

ところが、日本のメディアの大半が増税賛成の論調で足並みをそろえています。

フランスではサルコジが敗北。オランドが勝利を得ました。G8サミットでも、これまでの緊縮財政一本槍の政策から経済成長戦略の必要性に言及。微妙に態度を変えつつあります。

オランドの政策は、サルコジが過剰に傾斜したグローバル市場原理主義的政策【金融原理主義的政策】への反省があります。
◎一体規制緩和とは何のために誰のためにあるのだろうか
◎そもそも経済(学)は誰のためにあるのだろうか

この最も基本的で根本的問いを国民に問いかけるという信念(理念)がります。この問いから導かれるのは、【人間にとって本当の幸せとは何か?】というきわめて原初的ですがきわめて高度な哲学的問いです。

オランドの脱原発姿勢もここから導き出されています。オランドは反原発ではない、という批判もありますが、原子力発電に電力の大半を頼っているフランスでは、現実的政策として取りうるのはこの程度でしょう。ドイツの反原発政策は、きわめて倫理的色彩が濃いのですが、オランドの場合は、きわめて哲学的・理性的である点が異なっているように思います。

オランド60の約束のエッセンスを以下に掲げておきます。
『国を上げて大きな論争が巻き起きると思います。論争に方向を持たせるために、私は正確な提案をまとめてみたかったのです。これらは私の政権公約であり、私が守るべきものです。』フランソワ・オランド

●政権公約の4つの大テーマ(1)~(4)の
(1)私はフランスを再生したい

私は公共投資銀行を設立します。
私は中小企業の発展を優先します。

(2)私は正義を再構築したい

私は税制を大きく変えたい。
・・・最高富裕層の所得税率を引き上げることなどで所得税を改革し、税金の一部は社会保障に割り当てられます。間所得が15万ユーロ以上の最も裕福なフランス人に国民的努力に寄与してもらうために45%の追加税率を創設します。その上誰も"税金の抜け穴"を利用して1万ユーロ以上の減税を引き出すことができなくなります。
年金・医療制度の保持。
資本所得は労働所得と同じく課税されます。

(3)私は新しい世代に希望を与えたい

私は生産と雇用と成長を再稼働させたい。短期雇用の是正など。
私は公共行動の中心に教育と若者を置きたい。
私は、最大限のセキュリティ機能および当社の原子力産業の継続的な近代化を保証し2025年までに75%から50%に発電における原子力のシェ アの減少を促す。
私はこの分野での産業クラスターの創造と発展を支援することにより再生可能エネルギーの上昇を支持するだろう。

(4)私は模範となる共和国、皆が耳を傾けるフランスにしたい

私は世俗主義(政教分離)を擁護し促進します。
大統領と閣僚の俸給を30%の削減します。
国の上級職の指名に関して完璧を期すために議会の指導力と管理力を高めます。
政党の男女議員数の平等を尊重しない政党への罰金を重くすることで政党における男女格差を解消したい。
私は国民議会における男女議員数の割合制度を導入したい。
私は司法と裁判官の独立を擁護します。

世界の趨勢は、フランス国民のこの方向性を支持しているように見えます。この方向性から見れば、日本の消費税増税論議の空虚さ・哲学(理念)の無さが一目瞭然です。フランス国民のこの選択を支えたのが、フランスメディアの健全性です。ジャーナリズムのレーゾンデートルである【公正】さを徹底的に守ろうと戦っているフランスジャーナリストたちの姿勢こそが、オランドの勝利をもたらしたのでしょう。

これに比して、日本メディアの惨憺たる状況を見れば、あまりの彼我の落差にあぜんとします。野田首相の消費増税に向けての姿勢を男女間の二股交際にたとえて揶揄嘲笑するTV番組を垂れ流しています。消費税増税という国民にとって生活を直撃する重要な問題を「政局話」に還元して垂れ流す。ここには、フランスジャーナリズムの【公正さ】に対する執念ともいうべき姿勢、理念を徹底的に語り、徹底的に考え抜き、真実を報道する真摯な姿勢などかけらもありません。

国民だれしもが持っている負の側面(人を馬鹿にする、ちゃかし、軽蔑、侮蔑の笑い)に依拠した番組作りしかありません。一つの番組に全身全霊を傾け、皮相な現実主義ではなく、現実の背後にある真実をえぐりだす【絞り出す】創造精神などかけらもありません。誰もが割り当てられた時間に番組制作意図に沿った気のきいた適当なコメントを出しています。ここからは、自らが創造した作品に対する【責任】などどこにもないのです。絶望的ともいえる日本の言論状況が野田政権と自民党とメデイアの安直な消費税論議を支えているのです。

問題は、このような空中楼閣とでも言うべき壮大な虚構の上に日本の統治機構が成立しているという事に、多くの国民が気がつき始めているという事です。今日(5/24)付け毎日新聞一面トップで報じられた核燃料サイクルサイクル原案秘密会議で再処理有利の判断誘導を狙った【評価事前書き換え】が行われた問題。野田政権・主要メディア・経団連・大労組などの原発再稼働へ向けての暴走の証左です。菅政権・野田政権とも会議に公文書を残さないという隠蔽体質の濃い体質なことは明らかになっていますが、同時にこれは後世の歴史の検証を受けたくない、というきわめて無責任な体質の露呈でもあります。

元東京地検特捜部の田代政弘検事(45)が虚偽の捜査報告書を作成した問題、それを指揮・監督したと推察される佐久間達哉・元東京地検特捜部長などに対して検察庁は人事的処分で済まそうとして、その観測記事を朝日新聞に書かせています。小沢一郎の容疑の虚偽記載(それも会計学の権威者たちがそろって問題ないと認めている)を大問題にしながら、検事の不祥事にたいしてはこの寛大さ。検察の正義はこれほど恣意的なものなのか。そして、検察リークと思われるこのニュースを何の批判もなく垂れ流すメディアの姿勢。

好き嫌いにかかわらずわたしたち国民が選択した【政権交代】の担い手だった小沢一郎を標的にした国策捜査により、民主党政権の【国民生活が第一】の革命的意義は崩壊し、いまや野田政権は消費税増税に狂奔し、東北大震災の復興や福島原発事故の被災者救済は遅々として進みません。これでは、戦前の満州開拓民たちの悲劇とどこが違うのでしょうか。文字通りの【棄民】政策ではないかと思います。

東京地検特捜部の捜査は、このように国民が民主的に選択した【政権交代】の意義を根底から覆した【国家反逆罪】にも相当する民主主義に対する敵対行為なのです。これだけの行為をしておきながら、それを人事的処分で済まそうとする検察庁の姿勢に対して何一つ批判できないメディアなど無用の長物といっても過言ではないのです。まして、国会でこの問題一つ徹底的に追及できない議員たちとは何なのでしょうか。

これがわたしたちが目の前にしているこの国の悲惨な姿です。

冒頭に紹介したザマナイ(時代)の切々たる歌声は、遠いカザフスタンの人々の声ではありません。わたしたち日本人の声なのだ、と感じなければならないと思います。それも、ザマナイ(時代)という意味ではなく、【ざま~ない】という自嘲の言葉として唄わなければならないようです。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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