今年も4月29日に春の叙勲が政府より発表された。この中の瑞宝重光章に元高等裁判所長官・判事が併せて9名、その他の章にも若干名の元裁判官が含まれている。叙勲は退官後約5年以上の高裁以上の裁判官経験者が多いようだ。問題はこのような元裁判官に対する叙勲が果たして三権分立に照らして妥当か、ということである。
日本は曲がりなりにも三権分立の国である。曲がりなりという理由は、裁判官の指名・任命権は内閣にあると憲法6条・79条・80条に規定されているからである。そして一方では、現実に立法府(国会)の権能や行政府(内閣)権能も裁判せねばならない立場が司法であり裁判官である。
具体的には都会と地方の参議院議員数の比率も適正か否かが裁かれている。また自衛隊の行動も常に憲法9条に照らして訴訟が提起されている。そして裁判の結果、国会・行政府に不利な判決であれば、為政者は知らん振りか裁判への軽視発言が今や常識である。一方裁判所は憲法判決を迫られれば判断回避が慣習化している。
このような立法・司法・行政の三権の独立を歪めるような関係を助長若しくは追認するような元裁判官への叙勲制度は、今まで気にとめなかったが良く見ると何か異常である。
三権分立の制度に照らした場合、果たして元裁判官が行政府から叙勲されることが適正であろうか、これまでの常識は非常識だったのではないかと思う。過去から行われてきた慣習に慣らされ何ら疑問を感じずに来たところにも、国会議員や行政府の大臣が判決を軽視し、三権分立が形骸化しつつある原因があるように思う。
叙勲制度を全面廃止せよとは言わないが、元裁判官が叙勲されることは三権分立の建前から見ても不適切である。元裁判官も何の矛盾も感じずに叙勲に甘んじている鈍感さには驚かされる。更に叙勲される裁判官とされなかった裁判官は同じ裁判官としてどこが違うのか、職務内容として優劣を付けられる問題ではないはずである。
敢えて元裁判官の叙勲制度を認めるのであれば、国民から見て妥当な叙勲は「長沼ナイキ判決」で自衛隊の違憲判決を下した元札幌地裁の福島重雄裁判官と先の名古屋高裁でイラクへの自衛隊派遣を違憲と判断した青山邦夫裁判官くらいであろう。その理由は憲法判断の訴訟に対して逃げずに正面からに踏み込み判決を下したからである。果たしてこれまで叙勲された元裁判官は憲法判断を回避しなかったか、国民の目線に立って行政裁判をしてきたか自問してみて欲しい。そうすれば元裁判官への叙勲制度が適切か否かも分かるはずである。
参考までに、Yahoo検索欄から引いた叙勲の在り方について取り上げているサイトを掲載する。この機会に元裁判官への叙勲の非常識を問いただそう。
http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/
http://www.collectors-japan.com/nevada/content/c050501_4.html
「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年