老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

著作権改正案通過、他

2006-12-06 06:36:43 | 安倍内閣
保坂展人「どこどこ日記」http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/ を読んでください。

3日は「著作権法」のこと。国会の参考人質疑のテレビ放送まで、後で見るのは当事者の許諾がいるなどというとんでもない法案が通ってしまったようです。また4日の記事によると、「共謀罪」の委員会審議入りを与党が提案とか。マスコミは今国会での審議は無さそうなことを報じていましたが、与党が強行しそうだとのこと。5日は政治資金の「外資規制」を解除の記事。つまり外国系企業からも政治資金をもらえるということのようです。

「いじめ問題」や「復党問題」「知事逮捕」などに目をむけさせておいて、とんでもないことをやっています。 私たちも特に民主党を監視しなければいけないようです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
松林
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戦時下の勇気と良識

2006-12-06 05:28:12 | 戦争・平和
12月8日の第2次世界大戦開戦日が近づいてくると、父の話を思い出す。

昭和16年、父たち文科系の大学生は、3月の卒業を早めて12月に卒業、兵役となることになった。卒業の日も近いある日、法学の授業で、当時の慶應義塾大学法学部長であった板倉卓三教授は、「これが最後の授業だ」と学生たちに「国際法」を教えた。

そして最後に「この戦いは、日本は必ず負けるよ。英米が勝つ。君たちは命を大切にしなさい。戦後日本の復興には、君たちが絶対に必要なのだから」と言ったそうである。

2ヵ月後、父は故郷の八幡宮で、入営して出征する父たち新兵を送る町の人々に囲まれ、代表で別れの挨拶をした。「日本大勝利の上、故郷に凱旋し、再び皆様にお目にかかりたいものです」と。

駅までの道、川を渡る橋の上で、町長さんが小さな声で父にささやいた。「あんな挨拶をしたのは、あんたが初めてじゃ」。当時は、「一命を捧げ、死んでお国のために尽くします」が、普通の入営の挨拶だったのだ。父は私たちに、「板倉教授の言葉が、心に深く残っていたのだな」と語った。

翌年の最後の授業は、戦時国際法だったそうだ。「君たちも捕虜になることがあるだろう。戦時における捕虜の取り扱いは・・・」と教授が語りだすと、教室では失笑が起きた。当時の学生たちは、戦陣訓で「生きて虜囚の辱を受けず」と教え込まれており、捕虜になることは即ち自死することだった。

しかし教授は、淡々と「捕虜の取り扱い」について語り続けた。学生たちはやがて咳一つなく聞き入ったそうである。このときも教授は「たとえ捕虜になっても命を大事にせよ。また捕虜とした敵兵は大切に扱え」と教えたのだろう。

戦時下に、己の信念をもって語る教授の勇気。そしてその話を他に漏らさぬ学生たちの良識。父のクラスには、中将はじめ高級将校の息子たちもいたという。「日本は負ける」の一言で非国民呼ばわりされ、職も失い、時には入牢もあり得たと聞く戦時下にも、こうした場があったのだ。

父の級友たちは、三分の一が戦地から帰ってこなかった。

「護憲+コラム」より
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