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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「板極道」 (著:棟方 志功)

2009-07-16 23:04:06 | 【書物】1点集中型
 棟方氏の作品は、見ていて飽きない。とても好きな芸術家さんです。作品集を買おうかなとも思うんだけどやっぱり版画にせよ肉筆画にせよ、本物を見てしまった後ではどうしても比べてしまって、「やっぱ違うよなー」となって買わずじまいだったりするのです。あたりまえだけど。なので、もろもろの展覧会図録なども一度たりとも買えずにいます(笑)。見た作品を勉強するためのものと割り切って買えばいいんですけどね、本当は。

 話はいきなり横道から始まっちゃいましたが(笑)
 「板極道」、この本は棟方氏の自伝です。棟方氏といえば仏画の印象が強いですが、こうして訥々とした語り口の文章を目にすると、その仏画のイメージを引き写したような穏やかさが感じられます。もちろん、仏画も穏やかなだけではないんだけれども。
 でもその内には「描きたい」という情熱がいつも燃えていて、インスパイアされれば前後も周りも関係なくその場で描かずにいられない。北国の生まれながらも、とりどりの原色が好きだと述懐するのもなんとなく頷けました。

 わたくしは、「生んでいる」という仕事を願い、したいと思っているのです。自分の手とか、腕とか、からだを使うということよりも、板画がひとりでに板画をなして行く、板画の方からひとりでに作品になって行くというのでしょうか。――少しくどいでしょうが、板画が板画を生んでいる、そういうありさまを、わたくしは非常に大事だと思うのです。そして、それにこそ、どの仕事よりも、より仕業への真実というものがあるのではないかと思うのです。
 わたくしは、自分で板画をやっていますから、板画のことになると、鬼にもなり、蛇にもなり、仏にもなり、神にもなってもらいたいのです。わたくしの板画にそういうものを実現してもらいたいのです。自分でするのではなく、してもらいたいのです。ですから、わたくしがした仕事ではなく、板画がした仕事になってもらいたいのです。

(「『板極道』 戦後の作品をめぐって」より)

 これが棟方氏が、柳宗悦氏の「本当のモノは、名がえらくならずとも、仕事がひとりでに美しくなるようにきまっている」という教えを汲み取って、自分の血肉にしたがゆえに現れた言葉なんじゃないかと思います。
 その、朴訥ながら何か大きな意思を持つような画面いっぱいの表現に、思わず合掌したくなるような時があります。見る者をしてそんな気持ちを自然と起こさせてしまう(もしかしたら気持ち以前の反射にすらなっているかもしれない)、それが「板画がひとりでに作品になる」ということなのではないでしょうか。

 今まで自分が見てきた棟方氏の作品にこれまで以上の魅力を与えてくれるとともに、もっとこの人の言葉を知りたい、その画の根本にあるものを知りたい。そう思える1冊でした。