life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込」(著:若林 正恭)

2017-04-05 23:05:26 | 【書物】1点集中型
 本屋でこの、若林画のふざけた表紙(笑)を見かけてまんまと興味を持たされてしまい、図書館に予約を入れてみたのであった。
 当然、オードリーは特に嫌いでもないけどかといってもちろんファンというわけでもなくたまーTVで見かけるくらいでしかない。なので、読む前は「へえ、人見知りする人なんだ」くらいにしか思ってなかったんだけれども、読み始めるとまあなんというか……尖っているという言い方はしてるけど、もっと言えば無駄に突っ張ってる感じというか(笑)。そしてその若林的思考は、読めば読むほどそのまんま自分に跳ね返ってきたのである。
 真面目な話、「ああこれは自分も(相当にいい歳して)中二病だな」とか思うこと多々。そのくらい共感できる話だらけだった。まあ、「パスタ」はさすがに恥ずかしくないけど(笑)。

 ただ、著者自身はそういう自分のまま社会に出て行くことになって、そこここで壁に当たるわけだ。こうして時系列に並んだエピソードを順に見ていくと、壁に当たったときにそこで突っ張り通すというよりは躱す方法、いわゆる処世術的な世の中の慣習の意義や意味をちょっとずつ理解していく過程を見ている感じがする。社会でなんとなーく暗黙の了解のある慣習らしきものとは、妥当性というよりはむしろ必然性によって存在するものが多い、のかもしれない。ってこんなこと言ってる時点で結局未だに中二病真っただ中なのかもしれんが(笑)。
 まあでも、言ってしまえば、読んでるこっちはとりあえず形式上では社会人になって早○○年となった今さら、「社会って結局どうよ?」と外から見させられているような気分にもなるのである。

 「結果」よりも「過程」」を自分の中に取り込み続けて行き着いた「特別な才能がないから自己ベストを更新し続けるしかない」という結論を、著者は「諦め」と言った。その諦めが「自信になった」とも。「諦め」という言葉の中には、もしかしたら自分の中で夢見たのかもしれない「結果」に行き着かなかったという思いがあるのかもしれないが、でもこの「諦め」に辿り着くまでに自己ベストをたくさん出し続けてこられたという手応えがあったという実感でもあるはずだ。
 つまり、それだけ何かしらのトライを繰り返しているということだ。「ネガティブを潰すのはポジティブではない」と言い、ネガティブな意識を変えると言うよりは「没頭」という別の手段をひたすらおっかぶせて忘れる、というやり方を見つける。そしてそれを実践する。その実践ができるかできないかが、双六の次のコマに進めるかどうかの分かれ目だな、と今さらのように思うのであった。

 「ツッコミ続けた挙句、死の直前に何も楽しんでいなかったなんてことに気付く大ボケ」
 何だかんだ言っても、うまいこと言うなぁ。
 ……なんて感心してないで、どうせ同じ生きていくならボケを恐れるな、って話だ。社会を和ませるのは結局ボケられる人だから。