秋の休日、いつものように愛犬ゴンタと朝のお散にでかけました。10月もあと1週間、今年もあと2カ月を残すばかりとなりましたが、ここにきて小鳥たちの囀りに元気が戻ってきたように思います。秋は、野鳥たちに恵みをもたらす季節でもあります。
先週は1日だけ広島に日帰り出張した以外は、ここ大阪で比較的落ち着いた1週間を過ごしたように思います。そんな週末、淀川河川敷のお掃除ボランティアに参加してきました。軍手にゴミ挟みをもって、だだっ広い河川敷でゴミ拾いをするのですが、主催者発表では老若男女700名あまりの参加者があったのだそうです。秋の昼下がり、気持ちの良い汗をかきました。ちなみに私は大きなバケツ一個と空き缶数個、あとはお菓子の袋に煙草の吸殻でゴミ袋がいっぱいになりました。
河岸の秋を堪能したあとは、久しぶりに古本屋さんに寄り道をして帰りました。きのう手にしたのは学芸総合誌「環」2000年夏号、そして山本七平著「渋沢栄一 近代の創造」でした。前者は、久しぶりに鶴見和子さんや多田富雄さんのお名前を見つけたから。後者はと言うと、最近、ISO26000(組織の社会的責任規格)のお勉強をしていることと、もうひとつは明治を舞台にした時代小説を読んでいるため、ついつい。
以前、玉岡かおるさんの小説「お家さん」をご紹介しましたが、それに引きずられるように、ここ2週間、今度は「天涯の船」(新潮社上下2冊)を通勤電車の中で読み耽っています。明治維新を境に日本の方向性ががらりと変わった激動の時代に、海を渡って米国に留学した若者たち、特に女性たちの生き様を追ったこの小説は、どこまでが本当でどこまでが虚構なのか判りませんが、時代の風景を感じさせます。
一方、「渋沢栄一 近代の創造」の中で山本さんは、徳川時代から明治以降の急速な近代化の時代の流れに、「連続性」と「非連続性」の二つの視点を提示します。物事が変わる、いや変える時代のエネルギーを、こんな視点から見つめていく。確かにそうです。政権交替した次の日から日本ががらりと変わるわけではないのです。政権に関与する人が変わる、物事の評価軸が変わる、なによりも時代を見つめるパラダイムが変わっていく。どちらが先とか後とか不毛な議論は不要。年代表で区切られたように時代が変わるわけではないのです。そう考えると、戦後日本のパラダイムシフトは意外と時間を要している、と言えるかもしれません。
さて、きょうブログの更新が遅れたのは、日曜日を利用して孫君の七五三のお祝いをしたからでした。長女一家に両家のお祖父さんとお祖母さんが一緒になって、近くの不動尊に出かけました。私だけ少し早く長女宅に到着すると、当のご本人は、蝶ネクタイにスーツ姿で家中を走り回っていました。少し気取ってカメラに収まったあと、薄暗い本堂内に入っていくと急に神妙になり、お祝いの儀式が終わるまで大人しくしていました。そのあとレストランで大好きな「お子様ランチ」を食べ終えた頃には睡魔に襲われ、椅子に座りながら、こくりこくり。なんとも愛らしい寝顔を眺めながら、この子が私の歳になる頃にはどんな世界が待っているのだろうかと、ふと思いました。とにもかくにも、孫君の運動会と引っ越し、そして七五三と行事が続いた長女一家の10月も、なんとか落ち着きを取り戻したようです。
先週は1日だけ広島に日帰り出張した以外は、ここ大阪で比較的落ち着いた1週間を過ごしたように思います。そんな週末、淀川河川敷のお掃除ボランティアに参加してきました。軍手にゴミ挟みをもって、だだっ広い河川敷でゴミ拾いをするのですが、主催者発表では老若男女700名あまりの参加者があったのだそうです。秋の昼下がり、気持ちの良い汗をかきました。ちなみに私は大きなバケツ一個と空き缶数個、あとはお菓子の袋に煙草の吸殻でゴミ袋がいっぱいになりました。
河岸の秋を堪能したあとは、久しぶりに古本屋さんに寄り道をして帰りました。きのう手にしたのは学芸総合誌「環」2000年夏号、そして山本七平著「渋沢栄一 近代の創造」でした。前者は、久しぶりに鶴見和子さんや多田富雄さんのお名前を見つけたから。後者はと言うと、最近、ISO26000(組織の社会的責任規格)のお勉強をしていることと、もうひとつは明治を舞台にした時代小説を読んでいるため、ついつい。
以前、玉岡かおるさんの小説「お家さん」をご紹介しましたが、それに引きずられるように、ここ2週間、今度は「天涯の船」(新潮社上下2冊)を通勤電車の中で読み耽っています。明治維新を境に日本の方向性ががらりと変わった激動の時代に、海を渡って米国に留学した若者たち、特に女性たちの生き様を追ったこの小説は、どこまでが本当でどこまでが虚構なのか判りませんが、時代の風景を感じさせます。
一方、「渋沢栄一 近代の創造」の中で山本さんは、徳川時代から明治以降の急速な近代化の時代の流れに、「連続性」と「非連続性」の二つの視点を提示します。物事が変わる、いや変える時代のエネルギーを、こんな視点から見つめていく。確かにそうです。政権交替した次の日から日本ががらりと変わるわけではないのです。政権に関与する人が変わる、物事の評価軸が変わる、なによりも時代を見つめるパラダイムが変わっていく。どちらが先とか後とか不毛な議論は不要。年代表で区切られたように時代が変わるわけではないのです。そう考えると、戦後日本のパラダイムシフトは意外と時間を要している、と言えるかもしれません。
さて、きょうブログの更新が遅れたのは、日曜日を利用して孫君の七五三のお祝いをしたからでした。長女一家に両家のお祖父さんとお祖母さんが一緒になって、近くの不動尊に出かけました。私だけ少し早く長女宅に到着すると、当のご本人は、蝶ネクタイにスーツ姿で家中を走り回っていました。少し気取ってカメラに収まったあと、薄暗い本堂内に入っていくと急に神妙になり、お祝いの儀式が終わるまで大人しくしていました。そのあとレストランで大好きな「お子様ランチ」を食べ終えた頃には睡魔に襲われ、椅子に座りながら、こくりこくり。なんとも愛らしい寝顔を眺めながら、この子が私の歳になる頃にはどんな世界が待っているのだろうかと、ふと思いました。とにもかくにも、孫君の運動会と引っ越し、そして七五三と行事が続いた長女一家の10月も、なんとか落ち着きを取り戻したようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます