心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

梅雨の中休み

2006-07-23 14:29:41 | Weblog
 数日来降り続いていた雨がひと休みです。今朝、愛犬ゴンタと近くの公園を散歩すると、夏を待ちわびる蝉の声でいっぱいでした。庭の片隅にある檸檬の木には、大きなアゲハチョウが舞い降りて緑葉に卵を産みつけています。熟した木苺が朝の食卓を飾ったことも嬉しいニュースでした。雨さえ降らなければ「夏」本番といっても良いでしょう。遠くから夏祭りの笛と太鼓の音が聞こえてきそうな、そんなゆったりとした休日を楽しんでいます。でも、きょうは午後の遅くからまた雨が降るとの天気予報です。なるほど空を見上げると、水分をたっぷり含んだ重たそうな雲が空を覆っています。ゴンタも恨めしそうに見上げています。
 ところで昨日は、縁あってテレビ局主催の鳥人間コンテスト選手権大会なるものの応援に出かけてきました。場所は滋賀県彦根市の琵琶湖の湖畔に設けられた特設会場です。久しぶりの炎天下に皆汗だくの応援でした。前日から泊り込んで愛機の手入れに余念のない若者たち。いろいろ工夫を凝らした応援合戦を繰り広げる面々。そんな楽しい風景を眺めながら、30数年前、同じ琵琶湖の湖畔でクラブ合宿をした頃のことを懐かしく思い出しました。
 最近、大声で叫んだり、汗だくになって議論をしたりする機会が少なくなってきたように思うのは、私だけでしょうか。オフィスで、一見、冷静に見える人の仕草に物足りなさを感じるのは、私だけでしょうか。日焼けで火照った身体を持て余しながら、ハーバードビジネスレビュー4月号に掲載されていた「脳の意思決定メカニズム」(ガーディナー・モース著)を読み返してみました。「優れた意思決定は理性と知性、論理の産物だという常識的な考え方が危うくなってきている」「脳内では、感情に関わる脳回路と情報を検討する回路がたえずやりとりをしている」「意思決定には、理性と感情の両方が必要である」。
 そういえば、小林秀雄の講演録CDにも、近代科学の方法について懐疑的な見解が登場します。合理と非合理。ユリ・ゲラーの念力の不思議を笑ってすませるべきではないとも。含蓄のある言葉です。理性だけでは気づかない何かがある。感情だけでは掴めない何かがある。そのどちらかに偏るのは宜しくないというのが、ふたつの論に一致している点です。「理」に走りすぎて様々な意思決定がゲーム感覚に陥っていることはないかどうか。頭は良いけれども「心」が育っていない。感性が育っていない。こんなことはないかどうか。”切れる”症候群の悩ましさ....。休日の昼下がり、長椅子に横たわってそんなことをぼんやりと考えていました。
 鳥人間コンテストでは、若い方々から清清しいご挨拶をいただきました。「お忙しいなか、応援に来ていただき、ありがとうございます」と。彼、彼女の汗が輝いて素敵でした。彼、彼女の生き生きした姿に接して、久しぶりに若さをもらったような、そんな気がしました。結果は残念ながら...。でも参加することに意義ありの一日でした。
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