穏やかな海を静かに進む大型客船の13階客室バルコニーから果てしない水平線を眺めていたら、カモメが数羽ふわりと浮かんできます。地中海の日没は午後9時過ぎ。ゆったりまったりの地中海クルーズを楽しんできました。
異国での4泊5日のショートクルーズです。乗客約四千人、乗員スタッフ千数百人。日本人らしき姿はほんとんど見かけず、多言語の会話が終始BGMのように流れていました。
昼間は観光地を巡り、夜はディナーを楽しんだあと、ショーやアトラクションを見たり、持って来た本を開いたりしてのんびり過ごしました。ちなみに今回のパッケージは、食事と飲みものは一部の例外を除いて全てフリー。船内にある7つのレストランを食べ歩きました。外国人の皆さんの食べっぷりの凄いことに驚きますが、こんな食事を続けていたら体重が増えてしまいそうです(笑)。
ドーハ経由でバルセロナへ
機中泊とホテル泊を含めて9日間の旅程でした。ウクライナの影響でしょうか、今回は関西国際空港からドーハ経由でバルセロナに向かいました。関空を飛び立ち、中央アジア各国の上空を経てアラビア半島のドーハ空港に着いたのは真夜中。そこで乗り換えてバルセロナに向かいましたが、こちらの航路もカザ上空は避け、黒海南端をかすめながら進むルートでした。世界の至る所で戦争が繰り広げられている現実を思いました。
須賀敦子の世界、古代ボエニ戦役の足跡を思い浮かべる
イタリア上空にさしかかったところで航路マップを見ると、ディスプレイ上に東からトリエステ、ベネチア、ミラノの位置が確認できました。ぼんやりと須賀敦子の世界を思いました。
今回巡るバルセロナ、ニース、フィレンツェ、サンジミニャーノ、ローマに加えて数年前に訪ねたシチリア、さらにアフリカ大陸が視野に入ってくると、帯同した塩野七生のローマ人の物語「ハンニバル戦記」の世界が透けて見えてきます。(笑)
その昔、カルタゴ(現在のチュニジア共和国チュニス界隈)の若き司令官ハンニバルは、数万の兵士と象の部隊を引き連れてスペインに入り、極寒のアルプスを越えてイタリアに攻め込んだと言います。そう言えば、スペインや南フランスにも古代ローマの遺跡が点在していました。
バルセロナ、ニース、フィレンツェ、サンジミニャーノ、ローマを観光
スペイン第二の都市バルセロナは美しい街でした。この時期、街のあちらこちらでジャカランダの花が咲いていました。
圧巻は何と言っても1882年着工後いまだ建設が進められているサグラダ・ファミリアでした。ガウディ没100年にあたる2026年の完成をめざして急ピッチで工事が進んでいます。教会内には陽の光がステンドグラスを通して美しく輝き、敬虔な雰囲気に包まれていました。
翌朝カンヌ港に入港後、カンヌ国際映画祭が終わったばかりのニースに向い、南フランスの美しい海岸と旧市街地をのんびり散策しました。
たまたま旧市街地の広場で骨董市が開かれていました。じっくり品定めする時間はありませんでしたが、店先の品の色彩が美しく日本の弘法市とは全く異なる風景が広がっていました。
3日目はイタリアのリボルノ港に入港後、バスでフィレンツェ観光に出かけました。
旧市街地を散策したあと、ミケランジェロ広場から眺めたフィレンツェの街は、私の心の奥にしまっていた風景を再び蘇えさせてくれました。
4日目は、リボルノ港からバスでトスカーナにあるサンジミニャーノに向かいました。城壁で囲まれた中世の小さな街並みを今に伝える観光地です。
そして最後はローマです。チヴィタベッキアに入港すると、大型客船とはお別れです。下船手続きを済ませてバスの乗ってローマ市内に向かいました。ローマでの滞在はおよそ1日半。2階建バスに乗って古代ローマの史跡を巡り、コロッセオやフォロロマーノ、トレビの泉、スペイン広場、サンタマリアマッジョーレ教会などを見て回りました。
クルージングの海外旅行は今回が初めてでした。美術館などをじっくり見て回る余裕はありませんでしたが、街の風景と空気感を楽しむことができ、初老の夫婦にとっては快適な船旅でした。観光地の移動は基本的にバスですから通常のツアーよりも歩く距離は短く、足膝が悪い家内も何とか歩き通すことができました。旅の最終日、当初出かけるのを躊躇していた家内と美味しいワインをいただきながら話しました。後期高齢者になる前に、次は北欧から英国に至るクルージングを楽しもうと。今後の膝の具合と相談になります。どうなることやら。
※6月1日の夕刻、帰ってきました。ずいぶん長文になってしまいましたが、この旅行記はローマ空港から関西国際空港に向かう飛行機の中でスマホのメモ帳に綴ったものです。時差ぼけもあって眠れないので、予定を早めて本日ブログを更新させていただきました。