7月から始めた四国八十八ヶ所遍路の旅も、今回で5回目を数えます。第一番札所から順番に巡る「順打ち」でスタートしたのですが、4年に一度の閏年にあたり「逆打ち」に人気があって、旅行会社の企画も輻輳しています。そのうえに個人的なスケジュール調整も絡み、なにやら「乱れ打ち」の様相です。今回は土佐に入らず伊予の国、愛媛県は松山市と今治市にでかけてきました。
今回お参りしたのは、つぎの八ヶ寺でした。ご本尊によって唱える真言が違いますが、まだまだ本来的な意味は理解できておらず、わからないままに先達さんの言われるとおりに唱えています。
第五十二番札所・瀧雲山太山寺(松山市) ご本尊は十一面観世音菩薩
第五十三番札所・須賀山圓明寺(松山市) ご本尊は阿弥陀如来
第五十四番札所・近見山延命寺(今治市) ご本尊は不動明王
第五十五番札所・別宮山南光坊(今治市) ご本尊は大通智勝如来
第五十六番札所・金輪山泰山寺(今治市) ご本尊は地蔵菩薩
第五十七番札所・府頭山栄福寺(越智郡) ご本尊は阿弥陀如来
第五十八番札所・作礼山仙遊寺(越智郡) ご本尊は千手観世音菩薩
第五十九番札所・金光山国分寺(今治市) ご本尊は薬師如来
今回印象深かったのは太山寺でした。本堂自体が鎌倉時代に建築された古いお寺で、鐘楼堂の壁画を覗いてびっくり。なんとも恐ろしい絵が目に飛び込んできました。本堂と大師堂のほか、目の霊仏一畑薬師にお参りました。
もうひとつは、圓明寺の境内にひっそりと佇むキリシタン灯ろう(十字架形灯ろう)です。案内板に「高さ40センチほどの合掌するマリア観音とおぼしき像が刻まれ、隠れキリシタンの信仰に使われた」と記されています。先達さんのお話しでは、昔は隠れキリシタンの人たちの巡礼もあったらしく、お寺も見て見ぬふりをしていたのだとか。「祈り」というものが宗派を越えてあることを改めて考えることになりました。そういえば、白衣を纏い菅笠をかぶって歩き遍路を続けている外国人の青年にも出会いました。
日に日に陽が短くなる季節です。延命寺に着いたのは午後5時を少し過ぎていましたが、お寺のご配慮でお参りすることができました。この境内の片隅、暗がりの中に、開祖・行基菩薩供養塔がぼんやりと浮かんで見えていました。
二日目は6時30分朝食、7時40分に宿所を出発しました。まずは別宮山南光坊。山門の仁王さんが印象的でした。次にお参りした泰山寺は、度重なる火災に遭いながらも復興に努めてきたお寺で、かつて山門で睨みをきかせていた仁王さんは、まだ本堂横の廊下に仮住まいでした。
そのあと、穏やかな朝の陽を浴びて農道を歩きながら栄福寺をめざしました。本堂を見上げると、宝珠をくわえて邪気を払う龍の透かし彫りが目を引きます。また、足の悪かった少年遍路が奇跡的に歩けるようになったお礼として奉納した箱車も置いてありました。このほか義足や杖などたくさんの補助具が奉納されているとのことでした。ウォーキングを始めた私も、参拝記念に「足腰の健康守(仏足・錫杖)」というお守りをいただき、リュックに着けました。
仙遊寺は、遠くに「しまなみ海道」を望む山の上にあります。道の両側にはミカン畑が広がり、この日は園児たちがミカン狩りを楽しんでいました。観音様の優しいお姿にほっとひと息です。
国分寺の境内には握手修行大師の像がありました。傍に「お大師様と握手して願い事を一つだけ。あれもこれもはいけません。お大師様も忙しいですから」という看板をみて笑ってしまいましたが、私もきっちり握手して帰りました。(笑)
今回のバスツアーで行動を共にしたのは私より1歳年上のMさん(男性)でした。夜、食事を終え温泉で疲れを癒した後、いろいろとお話をしました。65歳でリタイアされたMさんですが、今年2月奥さまに癌が見つかり、なんと6月にお亡くなりになったのだそうです。(当然のことながら)そのショックから立ち直れないでいらっしゃいましたが、7月から一念発起され四国遍路の旅を始められたのだそうです。いろいろご苦労も絶えないのでしょう。見かねた末の娘さんご夫妻一家が来春から実家に引っ越してご一緒にお住まいになるのだとか。話を聞いている私も少し安堵いたしました。
四国遍路への旅立ちは、人それぞれに事情があります。それぞれの思いを胸に静かに歩いていくことになります。そのため、同宿同士でもあまり込み入ったお話しはしなかったし、むしろ避けていらっしゃる方が多かったように思います。ところが、バスも隣り合わせ、二人相部屋で過ごしたためか、この日初めて出会ったMさんは違いました。こころを開いてお話しをしてくださって、ゆったりした時間がながれていきました。私自身、学ぶことの多い二日間でした。細い細い線にすぎませんが、来年1月からご一緒に歩くことにしました。