心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

東寺・祇園祭・蝋燭能...。

2015-07-11 23:55:59 | Weblog

 日曜日に京都にでかけました。向かったのは、和紙の掘り出し物を探している家内のお供で、毎月第一日曜日に「がらくた市」を開いている東寺です。私にとっては中学校の修学旅行以来50年ぶりのお参りでした。
 正式には真言宗総本山教王護国寺と言い、世界遺産のひとつです。ウィキペディアには「平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めた」とあります。要するに高野山と縁の深いお寺です。
 金堂に入ると、真ん中に薬師如来坐像、その台座には十二神将が見えます。そして左右には、日光、月光の両脇侍菩薩像が立ちます。お隣の講堂には、これまたたくさんの仏像が並んでいました。大日如来を中央に、両脇には不動明王と金剛波羅密多菩薩が鎮座、総勢21体の仏像が安置されていました。立体曼荼羅というのだそうです。仏像の前に立って、ひとつひとつ表情を眺めていると、なんとも心和みます。
 境内の小さな池には蓮の花が咲いていました。葉っぱの形をみると、睡蓮と蓮の違いがよくわかります。葉っぱに切り込みがなく水面より高めにあるのが蓮。葉っぱに切り込みがあり水面に浮いているのが睡蓮、ざっとこんな違いでしょうか。観光客も比較的少なく、ゆったりとした時間が流れていきました。
 ほどよい疲れが出てきたところで、バスに乗って四条河原町に移動しました。と、四条通りに人だかり。テレビカメラも何台か見えます。よく見ると、祇園祭に華を添えるお稚児さんの姿。お披露目の晴れ舞台でありました。あたりにはコンチキチンと祇園囃子が鳴り響き、京都に夏の訪れを告げています。
 そんな週の後半に、所要のため和歌山県は御坊市にでかけました。天王寺から特急「くろしお」に乗って1時間半。座席の背には高野山の案内がありました。高野山は和歌山県にあります。御坊駅に到着するとバスに乗り換え、そこから15分。目的地に着きましたが、ちょうどお昼どきだったので、バス停近くの喫茶店に入ると「食事はできない」とつれない返事。ならば、どこかに食事するお店はないかと尋ねると、20分ほど歩いたところにお店があるのだと。炎天下、田舎道のバス通りを汗を拭き拭きお店に向かいました。この日は東京から飛行機でやってきた方々と合流して、楽しいお勉強会でした。
 そうして迎えた週末、今夜は大槻能楽堂にでかけました。恒例の「蝋燭能」です。曲名は、狂言「箕被」と能「俊寛」。京都鹿ケ谷で平家打倒の謀議をしたかどで、俊寛、成経、康頼の3名が薩摩の鬼界が島に流されます。何年かたって大赦の使いがやってきて赦免状を読み上げます。しかし、俊寛だけ名前がない。悲嘆のどん底に突き落とされてしまいます。「平家物語」巻三に描かれる俊寛僧都の悲劇を舞台化したものでした。堂内の照明が消され、蝋燭の光だけの舞台。曲のなかに引き込まれてしまいました。

 振り返ってみると、なんとも落ち着きのない1週間でした。さあて、七月も半ば。夏蝉の声で目が覚める季節を迎えました。下旬には長男君一家が帰阪する予定だとか。孫君たちも夏休みに入り、久しぶりに家族全員が揃います。次男君とお嫁さん候補を含めると、なんと総勢13名、うち5名が孫です。我が家は少子化ではないですね。

 

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