鬱陶しいお天気が続きます。きょうは一日中、雨でした。来週も雨、台風が三つも上陸をねらっています。でも、気温が低いためか湿気は感じません。網戸にして窓を全開にして眠りにつくと、真夜中に肌寒さを感じて目が覚めてしまいます。そんな梅雨の土曜休日に、無花果の初物をいただきました。昨年思い切って剪定したためか、今年は実の付き具合が良さそうです。20個は収穫できるかも。
さて、今週は週の半ばに東京に出張しました。それも東京スカイツリータウンビルの一画を訪ねることに。東京駅から錦糸町駅、そこから地下鉄に乗り換えてひと駅目の押上駅下車。浪速の町から江戸の町に空間移動したような「お上りさん」気分でした。スカイツリーに登る時間はなかったのですが、下から見上げるタワーの勇姿は圧巻でした。
仕事を終えて夕刻の江戸の町を歩きながら、ふと目の前に昨年亡くなった姉の後ろ姿が?それは冗談ですが、そんな雰囲気の方にお会いしました。あれから1年が経ちました。早いものです。帰途、甥にメールを送ると、近親者で法事をすませたこと、遺産整理に半年以上かかったこと、今やっと落ち着いたことなどを報告してくれました。兄妹で頑張ったんでしょう。お疲れ様でした。
そんな一週間を振り返りながら、きょうは一日中、音楽と戯れておりました。昼間はエリック・サティのピアノ曲集。これって梅雨の季節にお似合いです。そして今は、マルタ・アルゲリッチのLPレコードで、シューマンとショパンのピアノ協奏曲を聴きながらのブログ更新です。ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮しているのは、チェロ奏者のムスティスラフ・ロストロポーヴィッチです。1978年1月11日の録音です。
さて、今日の話題は何にしよう??ふと思い出したのは、昨日の毎日新聞夕刊の記事「清盛の『血曼荼羅』復元 金剛峯寺に奉納」でした。高野山金剛峯寺が所蔵し、現存する日本最古の彩色曼荼羅図「両界曼荼羅図」の復元版が完成し、奉納されたのだと。平清盛の血を混ぜて描かれたと言われ、別名「血曼荼羅」と言われている由。
曼荼羅という言葉の意味にはずいぶん深いものがあります。私が曼荼羅という言葉に出会ったのは、鶴見和子著「南方熊楠」(講談社学術文庫)でした。それが南方熊楠との出会いでした。南方曼荼羅という聞きなれない言葉に出会いました。
『曼荼羅とは、「宇宙の真実の姿を、自己の哲学に従って立体または平面によって表現したもの」である。真言曼荼羅とは、真言の教主である「大日如来を中心として、諸仏、菩薩、明王、天を図式的にしめしたものである」。この真言曼荼羅にヒントを得て、南方は曼荼羅を森羅万象の相関関係を図で示した」・・・・・これを「南方曼荼羅」と呼ぶこととする。曼荼羅、今日の科学用語でいえば、モデルである。南方曼荼羅は、南方の世界観を絵図として示したものなのである。』(前出文庫)
南方曼荼羅の起源は、南方熊楠と土宜法龍(後に高野山管長を務める)との、英国留学中からの往復書簡によります。異質な要素をすべて包み込む真言密教の精神とあい通じるものがあったのだろうと思いますが、あいにく私の理解は未だ断片的です。いずれ手を打って納得するときが来るのでしょうが、当分はあっちに行ったりこっちに行ったり。
かの金剛峯寺は、今月末に参加する高野山夏季大学の会場の近くにあります。存分、曼荼羅の世界を楽しんできたいと思います。
と、さらり書き終えて、読み返してみました。東京スカイツリーからLPレコードに変わり、曼荼羅へと話が展開していることに、ついつい笑ってしまいました。摘み食いしながら、いろいろなものを引きずりながら、なんとか生きている根無し草、そんな私の姿が見え隠れします。滑稽ですらあります。まあ、これが私の生き方だから仕様がありませんけどね。