心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

如月の2月

2013-02-17 00:16:08 | Weblog
 陰暦2月を「如月」と言います。「生更ぎ」の意で草木の更生することを言うのだそうです。まだまだ寒い日が続きますが、1週間を振り返ってみると、この短い期間でもいろいろな出来事がありました。同業他社の親しい友人の昇進を祝って祝杯をあげたり、会議で熱い議論をしたり、孫とトランプ遊びに興じたり、庭でクリスマスローズの成長具合を確かめたり、....。
 そうそう、横浜にいた次男君が1月半ば、大阪に転勤しました。これで我が家も少し賑やかになると思っていたら、帰りが遅くなるからと会社の近くにマンション住まい。働き盛りなんでしょう。何かあったら駆けつけてくれるエリアに戻ってきただけでもましです。でも、家内には海外勤務になるかも、と。あれ、まあ。好きなようにしなはれ。君の人生は君のもの。とことんやってみなはれ。そんな週末の土曜の夜、愛犬ゴンタと夜のお散歩にでかけました。明日は朝からお客があるので、真夜中のブログ更新となりました。


 「上から与えられた、つくられた共同意識を僕は恐れる。意識的にしろ無意識的にしろ、安易なかたちで企業体に依存してしまうことを僕は恐れる。なぜなら、今日の巨大化した怪物は、しばしば人を裏切り、精神的・肉体的に殺してしまうものらしいから。それにもかかわらず、日々の忙しさにかこつけて、自分自身に、そして自分自身をとりまく状況に冷静な目をむけることを忘れがちだ。」

 今日、戸棚の奥で探し物をしていたら、一冊のファイルが見つかりました。就職2年目にして職場の労組執行委員を仰せつかったときに創刊した職場新聞でした。これはその創刊号に寄せた一文です。30数年を経て、今は使用者側の席に座っている、なんとも不思議な巡りあわせではあります。
 改めて読み返してみると、私は元々、組織とは馴染めない、そんな人間だったのかもしれません。得体の知れない怪物に警戒心を抱くのは、ひょっとしたら今も変わっていないのかもしれない。こういう素地があるから、無意識のうちにグレン・グールドに惹かれるのでしょうか。鶴見和子先生の「内発的発展論」に惹かれるのでしょうか。そんなことを思いながら、夜の街をゴンタとお散歩しました。リタイアすれば、その呪縛が解けて、もう一度自分を見つめなおす時がやってくるんでしょう。きっと。

 そうそう、1週間ほど前、狭い部屋で、ノートパソコンの画面を睨みながら顔を突き合わせて話し合った若い社員二人が、その翌日に相次いでインフルエンザに罹ってダウンしたようです。回復して開口一番、「風邪、うつりませんでしたか」と申し訳なさそうに心配してくれました。二人とも40度近い発熱があり数日間休んでいたようですが、こちらはなあんにもありませんでした。やはり私は鈍感なんでしょう。きっと。
 そうそう、一昨日はロシアのウラル地方チェリャビンスク州付近で、隕石が大気圏内で爆発し落下したという事件がありました。TVニュースは、映像を交えながら、衝撃波でガラスが割れ千人余りの人々が被害にあったと伝えています。私も以前、仕事を終えて帰宅する途中、夜空を焦がす炎に包まれた落下物を目の当たりにしたことがあります。夜空に明々と燃える物体が「サー」という音を立てて落ちていく光景は、今も鮮明に覚えています。今回とは比べものにならない規模ですが、やはり宇宙の不思議を実感します。人間、奢るに非ず、ということなんでしょう。きっと。

 そうそう、先日、水槽の水草を求めて熱帯魚屋さんを覗きました。いろんな種類があったので目移りしていたら、隣の水槽にいたヤマトエビが気になりました。1匹100円でした。3匹ほど家に連れて帰りました。数日後、エビの姿が見えません。水底にはエビの殻が浮いていました。えっ、熱帯魚さんの餌食になった?そんな馬鹿な。時間をおいて、もう一度覗いてみると、流木の隅に、いました、いました。どうやら新居に引っ越して早々「脱皮」をされたようでした。エビさんたちも、新しい棲家で生きていく覚悟、準備をされたようです。

 地球上では、いろいろな生物が自身の持続可能性を考えながら必死に生きていこうとしています。


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