心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

一週間遅れの父の日プレゼント

2012-06-23 22:36:56 | Weblog
 広島の宿所では、夜な夜なホトトギスの鳴き声が聞こえてきます。ウイスキーを片手に本を読んでいると、田畑の蛙の鳴き声が止むころに、聞こえてきます。広辞苑は「山地の樹林にすみ、自らは巣を作らず、ウグイスなどの巣に産卵し、抱卵・育雛を委ねる。夏鳥。」だと言い、「てっぺんかけたか」「ほっちょんかけたか」などと聞こえる、とあります。でも私には「ぴっぴ きょっきょきょ きょっきょきょ」と聞こえますが、どうなんでしょう。
 そんな広島から帰ると、食卓の上に長男君から届いたという細長い紙箱が置いてありました。なんだろうと開けてみると、720ミリリットルのお酒が入っていました。なんで?と思いながら瓶を取り出してみると、ラベルには特別純米「遅れてすまん」の文字。そういえば先週16日は父の日でした。別にいいのにと思いながら、うれしく美味しくいただきました。ちなみに、ユーモアあふれる商品を販売しているのは栃木県矢板市大槻の株式会社富川酒造店さんでした。どうやら限定販売品のようでした。7月には家内が長男宅におじゃまするのだとか。来月めでたく1歳を迎える孫の写真をみて、急に思いたった一人旅のようです。

 ところで、6月も下旬を迎えました。2012年という年も半年が過ぎようとしています。お正月に大吉の御神籤を引いたのが、ついこの間のように思えますが、時の経つのは本当に早いものです。この半年に、いったい何ができて、何ができなかったか.....。おっと、職業病ですね。ついついこういう考え方をするから嫌ですねえ。もっとゆったりと物事を見つめ、考え、まっとうな生き方ができないものでしょうか。成長ありきの生き方から、生きる「意味」「価値」を問う、そんな生き方にパラダイムシフトしていかなければ。いつまでも古き良き時代を引きずってばかりいては、先行き不透明な世の中を見通すことなんてできやしない。地に足をつけて、世の中を鳥瞰しながら、めざすべき方向性を見定めながら強かに生きていく術を身につけていかなければ。
 しかし現実はと言えば、理屈は語れても決断ができない、実行ができない、そんな世の中になりつつあるように思えます。専門用語を駆使して人々を誤魔化し煙に巻いてしまう、麻薬のようなものが重宝がられていますが、どうなんでしょう。もっと平易な言葉で話すことができる人、美しいものを美しいといえる人、楽しいことを楽しいといえる人を、私たちは大切にしていかなくてはならない。梅雨の合間のひととき、長椅子に身を横たえながら、そんなことを考えました。

 明日は福岡市に日帰り出張のため、土曜日の夜に、少し酔っぱらいながらブログ更新をしております。しんと静まり返った部屋で、内田光子さんのCDから、ベートーベンのピアノソナタ第28番イ長調作品101、シューベルトの即興曲集D889、ドビュッシーの12の練習曲第1巻を聴いています。なんだろう?アルゲリッチでもなければグレン・グールドでもない。舘野泉でもなければルービンシュタインでもない。ピアノに対峙する凛々しい内田さんの姿からは、オーラのようなものが輝いて見えそうです。
 最近よく思うのですが、ピアニストって、ひょっとしたら「詩人」なのかもしれません。詩人は、目の前に広がる風景のなかから言葉を紡いでいく。ピアニストは、目の前に置いてある楽譜のなかから音を紡いでいく。同じ楽譜であっても、同じ風景であっても、人それぞれ見えるもの感じるものは違ってくる。それを読み、聴きながら、私たちは自分の心の中を冒険する。
 人間の一生なんて知れています。その間に私たちは多くのことを経験をしようとするけれども、実はほんの一部分だけしか経験することなくこの世を去っていきます。その限られた時間に、私たちは本を読んだり、音楽を聴いたり、絵画を愛でたり、あるいは恋をしたり、山に登ったりしています。そんな行動をやめた時、人はどうなるのか。小さな「さなぎ」のなかに身を隠すしかないのかもしれません。
 村上春樹の「1Q84」も6冊目に入りました。明日の日帰り出張で読み終えることになりそうですが、どうも最近、内省する時間が増えていけません。というよりも、自らを見つめるのが怖くて仕事で誤魔化してきた自分の生きざまに気づかされることの怖さ。さあ、どうなんでしょうね。今週は出たり入ったりの忙しい1週間になりそうです。 
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