せっかくの連休ですが、日本海の低気圧が急速に発達しながら北東に進行中で、きょう日曜日は一日中強い風が吹くのだそうです。黄砂の影響も懸念されていて、今朝愛犬ゴンタとお散歩にでかけると、視界不良。きのうの春の陽とは打って変って、オテントウサマもなんだか朧月のようでした。なんとも悩ましいお天気ではあります。
実は、この連休に、家族が数年ぶりに勢揃いしました。家内の退院を祝って子供たちが集合してくれたのです。孫二人もご同行ですから、昨夜から家中大賑わいです。天気が良かったら京都の動物園にでも連れて行ってあげようかと思っていましたが、強風吹き荒れるこの天候では、少し無理のようです。それに黄砂の飛来量は近年になく多く、これも足止めの理由のひとつです。

ところで、大阪にいる孫君とは時々会うのですが、長男の孫娘とは半年ぶりの再開で、歩けるようになってからは今回が初めてです。なのに、おじいさんを見つけると、両手を前に出して、ダッコをねだるしぐさは、何とも愛らしい。孫君とも仲良く遊んでいる姿を眺めていると、人の成長の素晴らしさを思います。
それはそうと、ここ数日、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだに」(講談社現代新書)を読み進んでいます。いまはちょうど半分ほど読み終えたところです。出版当時、新聞書評で知って書店で購入したのですが、実は、数ページ読み終えたところで、書棚で眠っていました。DNAという言葉がちらほらすると、読み解こうとする前に難しさが先行してしまいました。
じゃあなぜ?昨秋放映されたNHKのETV特集「須賀敦子 霧のイタリア追想~自由と孤独を生きた作家」のなかで、須賀さんのエッセーを紹介された方の1人として、この福岡先生が登場され、なんとも優しそうな雰囲気を感じ、おそらく新書もそれほど難しく書かれてはいないのかもしれない、と、思ったからです。そして、もう一度ぱらぱらとめくりながら、時間をみつけて読もうと思っていました。それが、家内の骨折手術を目の当たりにして、なんだか生命体としての人間に関心を持ってしまいました。
この本は、福岡先生がかつて在籍したニューヨークのロックフェラー大学研究所の場面から始まります。日本では聖人扱いの野口英世博士の、もうひとつの顔を興味深く眺めながら、徐々に分子生物学の世界にのめり込んでいくことになります。何か難しさが先行してしまいますが、少し辛抱して読み進んでいくと、逆に先生の文章の美しさを感じるようになる、なんとも不思議な感覚になります。むかし、ミクロ決死隊とかいうSF映画がありましたが、何かそんな楽しさを感じるようになります。
この本には「生命とは自己複製するシステムである」という先生の一環した考えが底流にあります。DNA研究にかかわった多くの研究者を紹介しながら、少しずつ本題にせまっていく手法は、なにやら推理小説を読み解くようでもあります。本も半ば、「原子が秩序を生みだす」「動的平衡とは何か」あたりから、ウイルスというミクロ世界の振る舞いを、人間の振る舞いに置き換えながら読み進む自分に気づきます。まさに生命の不思議であり、人間行動の不思議です。
そんなことが頭の片隅から離れないなかで、まさに成長過程にある孫たちの振る舞いを見ていると、これまた生命の不思議を思います。いつまでたっても不思議なことばかり。しかし、不思議と思う気持ちが萎えてしまったら、ひょっとしたら人生、味気ないのかもしれません。そんなことを思いながら、あと2日の連休を楽しむことにいたしましょう。
そうそう不思議といえば、大正末期から昭和の初期に活躍した童謡詩人金子みすゞさんも、わたしにとっては気になってしようがない人のひとりです。以前、ラジオ番組で解説された金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さんを講師に招いたセミナーが6月の土曜日にあることを知り、一昨日申し込みました。6月上旬の土曜日には還暦記念同窓会も予定されています。この歳になっても揺れ動く、わたしの好奇心は衰えをしりません。
実は、この連休に、家族が数年ぶりに勢揃いしました。家内の退院を祝って子供たちが集合してくれたのです。孫二人もご同行ですから、昨夜から家中大賑わいです。天気が良かったら京都の動物園にでも連れて行ってあげようかと思っていましたが、強風吹き荒れるこの天候では、少し無理のようです。それに黄砂の飛来量は近年になく多く、これも足止めの理由のひとつです。

ところで、大阪にいる孫君とは時々会うのですが、長男の孫娘とは半年ぶりの再開で、歩けるようになってからは今回が初めてです。なのに、おじいさんを見つけると、両手を前に出して、ダッコをねだるしぐさは、何とも愛らしい。孫君とも仲良く遊んでいる姿を眺めていると、人の成長の素晴らしさを思います。
それはそうと、ここ数日、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだに」(講談社現代新書)を読み進んでいます。いまはちょうど半分ほど読み終えたところです。出版当時、新聞書評で知って書店で購入したのですが、実は、数ページ読み終えたところで、書棚で眠っていました。DNAという言葉がちらほらすると、読み解こうとする前に難しさが先行してしまいました。
じゃあなぜ?昨秋放映されたNHKのETV特集「須賀敦子 霧のイタリア追想~自由と孤独を生きた作家」のなかで、須賀さんのエッセーを紹介された方の1人として、この福岡先生が登場され、なんとも優しそうな雰囲気を感じ、おそらく新書もそれほど難しく書かれてはいないのかもしれない、と、思ったからです。そして、もう一度ぱらぱらとめくりながら、時間をみつけて読もうと思っていました。それが、家内の骨折手術を目の当たりにして、なんだか生命体としての人間に関心を持ってしまいました。
この本は、福岡先生がかつて在籍したニューヨークのロックフェラー大学研究所の場面から始まります。日本では聖人扱いの野口英世博士の、もうひとつの顔を興味深く眺めながら、徐々に分子生物学の世界にのめり込んでいくことになります。何か難しさが先行してしまいますが、少し辛抱して読み進んでいくと、逆に先生の文章の美しさを感じるようになる、なんとも不思議な感覚になります。むかし、ミクロ決死隊とかいうSF映画がありましたが、何かそんな楽しさを感じるようになります。
この本には「生命とは自己複製するシステムである」という先生の一環した考えが底流にあります。DNA研究にかかわった多くの研究者を紹介しながら、少しずつ本題にせまっていく手法は、なにやら推理小説を読み解くようでもあります。本も半ば、「原子が秩序を生みだす」「動的平衡とは何か」あたりから、ウイルスというミクロ世界の振る舞いを、人間の振る舞いに置き換えながら読み進む自分に気づきます。まさに生命の不思議であり、人間行動の不思議です。
そんなことが頭の片隅から離れないなかで、まさに成長過程にある孫たちの振る舞いを見ていると、これまた生命の不思議を思います。いつまでたっても不思議なことばかり。しかし、不思議と思う気持ちが萎えてしまったら、ひょっとしたら人生、味気ないのかもしれません。そんなことを思いながら、あと2日の連休を楽しむことにいたしましょう。
そうそう不思議といえば、大正末期から昭和の初期に活躍した童謡詩人金子みすゞさんも、わたしにとっては気になってしようがない人のひとりです。以前、ラジオ番組で解説された金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さんを講師に招いたセミナーが6月の土曜日にあることを知り、一昨日申し込みました。6月上旬の土曜日には還暦記念同窓会も予定されています。この歳になっても揺れ動く、わたしの好奇心は衰えをしりません。