心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ライラックの花

2010-03-14 10:03:38 | Weblog
 3月も半ば、時は瞬く間に過ぎていきます。そんな休日の朝、愛犬ゴンタとお散歩に出かけると、ほんのりと春の香りが漂ってきます。春の香り?なんだろう。身を包む温かな空気?でも、春の陽にもかかわらず、きょうは少しひんやりとしています。でも、なんとなく身にまとわりつく春の香りって、いったい何だろう。そんなことを考えながら、お散歩から帰ってきました。そうそう、今朝はカメラをもって出かけました。先週、撮影できなかったフサアカシア(ミモザ)の写真を撮ってきましたので、まずは、それを掲載しましょう。
 さて、春の陽が充満する部屋に戻り、窓を全開して春の空気を満たすと、きょうは何の曲にしようかとごそごそします。これも休日の楽しみのひとつです。PCのスイッチを入れ、「春」を所蔵検索すると、やはり最初にヒットするのはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番へ長調作品24「春」。演奏はマルタ・アルゲリッチ(ピアノ)とギドン・クレーメル(ヴァイオリン)。1カ月あまりにわたった独身生活の、気づかない緊張感から解放されたからなのでしょう。週の半ばあたりから夜になると少し熱っぽく感じる、そんな風邪の症状を引きずっているためか、ソナタの優しい流れが心に沁みます。年度末を迎えて、それでなくてもピンと張り詰めたこの時期に、しばしの安堵が漂います。
 昨夜は、風邪気味で何もする気になれず、手許にあったDVD映画「ラフマニノフ~ある愛の調べ」を観ました。淡々と流れる映像をぼんやりと眺めながら、1920年代、ロシア革命を逃れてアメリカに亡命したラフマニノフの、米国での生きざまを、彼を支える妻のナターシャの思いと重ね合わせていく。二人の心を、故郷に咲き乱れるライラックの花の甘い香りが繋ぎ合わせる。香りというひとつの「記号」と人の「心」。見終わった後で、いろいろ考えさせてくれました。おそらく、「春」という季節もそうなんでしょう。花であったり、葉っぱであったり、空気であったり、香りであったり。なにかの記号を、春の兆しとして人は身体全身で受けとめる。そこに心の安寧を求める。





 先週は、日帰りで福井市に出張しました。経営品質賞をお受けになった会社を訪ねるのが目的です。天候は穏やかで、湖西線を走る車窓には、長閑な春の琵琶湖の風景を望むことができました。湖北を過ぎて敦賀トンネルを抜けると、風景は一変します。木々の根元にはあちらこちらに小さな雪の塊が見えます。そして、福井に近づくと、またもや穏やかな田園風景が広がります。刻々と変わる風景に、しばし旅行気分を味わいました。春は確実にやってきています。
 お尋ねした会社では、トップの方から顧客経営の真髄に迫るお話を伺い、また現場の方々ともお話することができました。言葉としての顧客経営ではなく、身体に浸み込んだ経営理念、それに裏づけられた社員の皆さんの行動、生き生き感が伝わってきます。ツールとしてのビジネスモデルではなく、経営陣と社員を繋ぐ場、「共感」とはトップの言葉。では、共感を醸成する「心」とは?「記号」とは?その日の締めくくりは、駅前の居酒屋に場所を移しての反省会。帰りの列車の発車時刻を気にしながら、皆一様にそのことを語り合いました。企業経営での「ライラックの花」とはいったい何?
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