デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



三友量順『玄奘』(CenturyBooks―人と思想・清水書院)読了。

玄奘三蔵は中国の唐の時代の僧侶ながら日本でも馴染み深い存在といえる。玄奘が記した『大唐西域記(だいとうさいいきき)』は『西遊記』の元ネタになった唐より西の国々に関するレポートであることや、玄奘がインドから持ち帰ったインドのお経を翻訳したものの一つが般若心経であることもよく知られている。
現在のように車も飛行機もない時代、国禁を犯してまでインドまで旅に出た玄奘のエピソードはすさまじいものだが、今に伝わるエピソードの内容は出来すぎてはいないかなと思うこともある。砂漠で死にかけたり自分の希望を聞き入れぬ王様に対してハンストで抗議したりなど命の危機を乗り越えた肉体的精神的強さをもち、ゆく先々でたくさん勉強して多くの知識を得た努力家であったことは否定しないが、結局は行く先々で玄奘の類稀な能力に周囲は彼を崇めたおし、現代でいうなら仏教界の一なろう系作品の主人公であるようにも見えてくるのだ。仏様に好かれたことのみならずあらゆる地域のことを鋭い観察眼でもって観察し記述し、周辺国の国家機密までも握った面をもつような玄奘をなろう系主人公に貶めるとは何事かと叱られるかもだが(笑)。
さて、三友氏の『玄奘』だが、玄奘の弟子の弁機が太宗の娘と密通した罪で処刑された件についての記述が無いこと以外はとても充実した内容になっていると思った。玄奘が訪ねた仏教縁の地についての説明が丁寧かつ分かりやすかった。釈尊やその弟子達がさまざまな土地で残したエピソード、カニシュカ王やアショーカ王の足跡と彼らが活躍した頃の歴史などを知ることができ復習もできるいい本である。
私にとっての新たな発見に似た驚きは、中国的な思惟とインド的な思惟の違いからパーリ語やサンスクリット語の言葉を漢字を用いた言葉に翻訳する際に生じた問題を扱う第一章だった。この章ではストゥーパ(仏塔)を擬人化した図像が仏像へと変化を遂げていく過程や、仏舎利の崇拝から「法舎利(経本)」崇拝までの変遷についてもきちっと触れているところも内容の密度の濃さを感じさせる。第一章と唐代にいたる仏教の受容を扱った第二章だけでも充分に読む価値がある。インド、中央アジア、東南アジア、東アジアの仏教の伝わり方を詳しく知りたい人にはぜひおすすめだと思った。

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