デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



いくつかの有名な動画投稿サイトには、本当にたくさんのいろいろな動画があるなぁ…。

さて、YouTubeでの私のチャンネルに「刑事コロンボ」のテーマ曲でも有名?な、H・マンシーニの名曲をJAZZチックに演奏された分(画像をクリック)


Kitera & KAT - Moon River

をアップしました。秋の夜長に、ぜひいかがでしょう? 演奏のなかでデッシャロのママの写メの音が絶妙の効果を…。

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キリスト磔刑の場面。印象に残ったが誰の作品か、チェックし忘れた!

先に紹介したジョットの作品がある部屋には、フラ・アンジェリコの「聖母戴冠」や「聖コスマスと聖ダミアヌスの殉教」その他の名作もあったのだが、私が楽しみにしていたのは、何よりサンドロ・ボッティチェリの作品だった。


ボッティチェリ「薔薇園の聖母」(1468年頃) 93x69cm(下に図版からの画像)




この「薔薇園の聖母」は1470年以前のボッティチェリがプラートのフィリッポ・リッピのもとでの修行を終えてフィレンツェに戻り、おそらくヴェロッキオ工房で協力者として活動を開始した時期に描いたとされる「聖母像」のうちで、もっとも信憑性が高いものの一つだそうだ。
描かれているのは、マリアと幼キリストと少年時の洗礼者聖ヨハネの姿。もちろん聖書には、この三人が一堂に会したという記述は無い。実際、ルネサンス絵画で、キリスト教をテーマにした作品のうち、聖書原典にない解釈で持って描かれた作品は数多いといっていいのではないか。
しかしながら、たとえ聖書の記述に則してなくとも、この作品は宗教的なお題目以上ものが感じられた。
パッと見た感じでは、なんと美しいやさしい光溢れた絵だろうか、と思ったが、それ以上に、どうやったらこんな風に衣服を透けた様に描くことができるのか、不思議でならなかった。
そしてジョットの絵にも通じるようなルネサンスの共通点、まずは絵に奥行きを感じさせる技術、次に(私はこれが何より重要だと思っているのだが、)キリストといえども子供らしく、マリアといえどもわが子の将来をメランコリックに憂いる一人の母親として描いているところが、すばらしかった。
聖書のなかの重要人物といえども、見る側の人間の心の琴線に触れる、特にボッティチェリの聖母像は憂いの表情にとても特徴があって、私などは惹きつけられる。


ボッティチェリ「ヴィーナスと三美神から贈り物を授かる若い婦人」(1485年頃)

1873年にフィレンツェのレンミ荘の漆喰壁の下から発見された3枚のフレスコ画の一部。損傷がひどいので、ルーヴル内では薄暗い部屋にあった。最初は何の壁画かわからないけど、「春」とかを思い浮かべれば、似ているなぁと思った。額縁に入っているきれいな画もいいが、歴史を感じさせる損傷している壁画もまたすばらしかった。
この壁画が描かれた頃は、人文主義者や詩人、芸術家たちの文化サークルがメディチ家の別荘や他の各所で開かれ、そこでは古代の文化が語られ、さらには古代の思想とキリスト教とを統合しようという哲学も生まれていた。
この絵は、そういった哲学の影響が色濃く、ヴィーナスと三美神は「美」や「愛」をつかさどる存在だから、総じて寓意画とされる。
それにしても、一枚の絵に込められたテーマが一人の婦人に対して、重いと言うか密度が濃いなぁ(笑)。それが当時の栄誉だったといえばそうなのだが。贈り物をもらう描かれた婦人のモデルは正確には特定されていないが、壁画の所有者だった人は、実際どんな人だったんだろうと思ってしまった。

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ジョット・ディ・ボンドーネ「聖痕を受ける聖フランチェスコと聖フランチェスコ伝から三場面(教皇イノケンティウス3世の夢、フランシスコ会会則の許可、小鳥への説教)」(1295-1300頃?)

ルネサンスの画家といえば、ボッティチェッリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロやミケランジェロが定番だが、ルネサンスの真の祖先といえばジョット(1266頃-1337)だといえる。
ジョット以前の絵は主にイコンとかビザンティン美術の作品みたく、教会の祭壇画みたいな感じで、それは神様もマリアも天使も聖人も配置や表情がどれも似通っていて、奥行きを感じさせない二次元空間での表現にとどまっていた。これは、中世の芸術家が祭壇画を描くときに、厳格な慣例と様式に従わなければならなかったからである。
ジョット以前にも絵画の伝統の束縛を思い切って打ち破ろうとした画家はいる。
しかし、ジョットの絵は、真ん中の聖フランチェスコの背景に岩山が描かれて奥行きを感じさせるところ、そして顔の驚きとともに敬虔な表情を描きこんでいる。それらが、ジョット以前の絵画との大きな違いなのだ。
さて、ジョットがテーマに選んだ聖フランチェスコ(1181-1226)とは、イタリアのアッシジで生まれた人で、遊蕩を重ねたあと重病に陥り、その後回心して一枚の衣だけで岩や土の上に寝て、福音を説き続けたという伝承が残る人だ。
聖フランチェスコには、いくつか有名なエピソードがある。そのうち二つ紹介すると、一つが、聖人が1224年にラ・ヴェルニアという山で祈っていると、熾天使(セラフ)が天から下ってくるのを目にし、やがて我にかえると身体に5つの傷(聖痕)が刻印されていたという異常事のエピソードだ。5つの傷というのは、キリストが十字架にかけられたときに受けた両手両足と右脇腹の傷のことだ。
もう一つは、鳥に説教して、鳥らがまじめに聞いてたというエピソード。
絵には、聖痕が刻まれる瞬間が描かれている。先に触れた奥行き、驚きとともに後ずさりした聖フランチェスコのアクションまで、その一瞬の場面を人間の表情と動きまで表現しようとしたといった特徴については、日本人団体客に向けての、わかりやすい解説がその場で聞こえてきたことで気付いたのだが、これが幸運だった。帰国してから、この絵についての詳しい解説を知りたいと思ったからだ。
さて、画像では分かりづらいが、絵の右下の方には、聖フランチェスコが鳥に説教している場面も、描かれている。見づらいので、拡大されている図版を載せると、



これは、説教しているのか?(笑)。正直、一瞬、エサを撒いて集まってきた種々の鳥たちみたいに見えたが、そこは鳥たちをみると、地面にクチバシを当てている鳥がいないのがわかる。それと、ほとんどの鳥が「つがい」に見える気がするのは私だけだろうか? 本当に、芸が細かい…。

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