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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



一昨日(4/7)は、ワーズワースの誕生日だった。この日は遠い国からはるばる京都までご足労くださった友人と京都三昧・桜三昧の日を送った。(撮った画像は100枚以上)


平安神宮にて

地元に住んでいる人間は、その土地の美しさを分からないままでいることがあるものだが、この日ばかりは京都の価値を思う存分堪能した。そして友人と多くのことを語りあった。素晴らしい一日だった。
ただ、正直なところ、そのときは自分でも気づかなかったことで、まだまだ話したいことはたくさんあったし、この季節に共に足を運びたいところもたくさんあったことを考えると、本当に名残惜しい。とはいえ、またいつか思わぬところで再会できるだろう。駅で見送らせてもらった時の言葉も「どこかでまた会いましょう」だった。その場所がどこになるか、もう既に今から楽しみである。

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デジカメを手にしてからというもの、いろいろと撮っているうちにもう300枚近くになってしまいました。でも、まだ使いこなせてはいなくて、たとえば何も知らずにスーパーファインモードで撮っていたこともあったりし、一日でバッテリ切れになることが多い有様です。でも、その分きれいな画像がたくさん残っているので、まぁいいか、と思ってたりしています。
ところで、300枚近く撮ったのはいいのですが、「桜」を中心にいろんなことに出くわすので、何から紹介してよいか頭がパンクしそうなくらいです。もちろんそれらは独りよがりな話なので、雰囲気がうまく伝わるか分からないですが、徐々に紹介していきますので、よろしくお願いします。

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2002年のサッカーW杯でセネガル代表を率いた監督にブルーノ・メツーという人がいる。


ブルーノ・メツー

監督は風貌だけでなく、その采配も見事なもので、セネガル代表を一躍アフリカの強豪に仕立て上げた。
私はこの人の試合中のリアクションもとても好きで、とくにゴールが決まったときに両手を上げてガッツポーズするリアクションが最高なのだ。
どうしてメツー監督のことを書いたかというと、先月のホワイトデーのことで昨日事態が好転したので、喜びを爆発させたことを記録したいがためである。
簡潔に書くと、ホワイトデーのあった週、福岡へ出張していた人がいた。散々酷評をもらったクッキーについて、出張していた人が、今日例のクッキーの味が分かって美味しいとお世辞なしに言ったのだ。
ホワイトデー以来、食のことに関しては発言を控え、またなるべく思い出さないようにしていたが、今日、事態が好転する感想を聞いたときは、まさにメツーのガッツポーズに匹敵するようなリアクションで、喜びを爆発させた次第である。
なんというか、3週間の忍耐の後、宿願叶ったわけだから、こう着状態だった試合終了直前にゴールが決まったときの喜びに勝るとも劣らないだろう。
今日は、その気持ちを損なわないようにしながら、時間が来たらさっさとタイムカード押して帰った。

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デジカメを買ったのはつい最近だが、毎日持ち歩いていると思わぬことに出くわし、それが貴重な記録となる、といったことに出くわした。
以下の画像は年度末ならではのもので、あの瞬間しか撮れなかっただろう。私にとってはかなり貴重なものという気がしている。










画像だけでなんとなくわかるように、これは廃線になる路線バスの名残惜しき姿なのだ。
私はこのバスに一度も乗ったことがなかったし、この折に乗ろうかと思ったが、最後の日は葉書で抽選に当たった人しか、中の撮影および乗車はできないと言われたので、少し残念だった。
この場は物珍しさで集まった人が多かったように思う。また運転手さんたちは集まった人たちに対し、バスに対する感情をあらわにすることはなく、職場での喫煙室で聞こえてくるような会話が延々と続いていた。きっと、感慨は日が沈んでから訪れることだろう、と思った。

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デジカメを手にしたばかりなので、「デジカメライフ」というには程遠い状態だが、とりあえず落として壊したりしないように大切に扱いたい。
それにしても、デジカメを手にしたらいつだって気軽にいい場面を撮れるだろうと思っていたら、そうは問屋が卸さないものだ。個人的な記憶に残っている、夏の台風が去ろうとしているときの雨上がりの夕暮や、変った雲の形や、大雨が降る直前の薄暗くエメラルド色にギラリと光る海や、翌日に雨が降るときの雲が迫りつつあるときの青空と夕焼け、幻日…私の好みの空は、そうは訪れてくれない。
でも、カメラに収める対象は何も空だけじゃない。思わぬときに写したい対象を撮れるのは素晴らしいことだ。
先日行ったエルンスト・バルラハ展の会場は、作品を撮ることはできないが、「画面」は撮っても誰も咎めないので、バシバシ撮らしてもらった。


エルンスト・バルラハ(1870-1938)



きっとロシアの農村の風景だと思う



バルラハが関わった雑誌の表紙かも



「戦う天使」(1928)の頭部



「再会」(1926)



「読書する僧たちIII」(1932)

バルラハ展については、作品から非常に微妙な時代の空気を感じ取れた。ドイツ表現主義って初めて聞く言葉だったが、これを機に20世紀美術にも目を向けていけたらと思う。

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