棚田嘉十郎(たなだかじゅうろう)像
江戸末期の生まれで、奈良公園の植樹の職に就いていた方が、荒れ放題だった宮跡の保存のために行動を起こしたことを初めて知った。それにしても(遺構のある?)用地買収が軌道に乗り出してから、棚田嘉十郎が推挙した篤志家が約束を破ったことの責任を取って、61歳で自刃とは・・・。まっすぐで責任感の強い生真面目な方だったのかなと思う。
朱雀大路
朱雀大路の幅は広く感じた。ただ、平城京の朱雀大路の幅は唐・長安城朱雀大街の二分の一だという。
奈良公園方面まで戻るのにバスを待とうにもバス停の場所をチェックしてなかった。奈良公園まで歩いているうちにあるだろうし、バスも来るだろうと思っていたらぜんぜん来なかった(笑)。結局、奈良公園と平城宮跡を歩いて往復することになった。季節が夏だったこともありとても日焼けした。
春に続いて奈良公園
日照りをやり過ごす知恵だなと(笑)