デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



名作たちのシリーズ?が20を超えてしまった。まだしばらく続きますので、気長に気楽にお付き合い下さいm(_ _)m

さて、下にある2枚の絵だが、これらはレオナルド・ダ・ヴィンチの絵だ、と言ったら信じてしまうかもしれない。
もちろん、実際はレオナルドの絵ではない。しかし、作品の作者には共通するところがある。二人とも、レオナルドに入門し、彼を師と仰いだ画家なのだ。


アンドレア・ソラーリオ「緑色のクッションの聖母」(1500年頃)

「青は藍より出て藍より青し」というのは、レオナルドに言えた事だ。若きレオナルドは師匠のヴェロッキオの「キリストの洗礼」で天使の部分を描いたが、その天使を見たヴェロッキオが二度と筆を取るのを止めてしまったという「伝説」がある。
で、レオナルドが師匠であるというのは、どんなもんでしょ!?!?
アンドレア・ソラーリオ(ソラーリ)(1470/74頃-1514?)はミラノ生まれで、いろんな場所で先輩画家から多くのことを吸収し、生地に帰ってからはレオナルドに入門した。ソラーリは1490年以降にレオナルド芸術を忠実に反映した作品を描いたが、実際、画家として有能で作品も個性的ではあるのだ。
しかし、ソラーリの作品を現在の画集で見つけるには少々てこずるし、ルーヴル館内でも素通りする人が多かった。
レオナルドの画風の追従の域を出ないといわれることもあるが、私は上のソラーリの傑作は、美術史にしっかりと刻まれていると思う。実際、聖母を「母親の営み」として慶びの微笑とともに描いた作品は、あまり見られない貴重なものではないか。


ベルナルディーノ・ルイーニ「洗礼者聖ヨハネの首を受け取るサロメ」(1510年頃)



ひょっとして手が震えたのやも??

ベルナルディーノ・ルイーニ(1480/90頃-1532)のこの作品は、あのコードな映画でもほんの少し映った。
それにしても、このサロメの気持ちの状態はどうなんでしょ? 「勝利」の陶酔も表情に出さず、あたかも当然のような。少なくとも私はこの絵を見たとき、心の中で「うひゃぁ!」と叫び、動悸が激しくなってしまった(笑)

サロメについては、「サロメ」というキーワードで検索すれば、たくさん出てくる。
昔々、古代パレスティナの領主にヘロデという人がいて、ヘロデは兄弟の妻で既に娘のあったヘロディアを娶(めと)る。そのヘロディアの娘が、ここでいうサロメだ。
かつてキリストに洗礼をほどこした洗礼者ヨハネが、ヘロデを「兄弟の妻を娶るのは不道徳」と批判したので、ヘロデは彼を捕らえた。でも、洗礼者ヨハネは社会的?に影響力をもっているので、ヘロデは彼を殺さずに捕らえたままにしていた。
ある時、ヘロデの誕生日の宴会で、妻ヘロディアの娘サロメが、ヘロデとその部下らの前で舞った。ヘロデは彼女の舞がとても気に入り、「欲しいものは何でもやる」と誓ってしまう。
洗礼者ヨハネから不道徳だと言われ、彼を恨んでいたヘロディアは、サロメに「洗礼者ヨハネの首」を願い出るように言い、サロメは願い出た。ヘロデは悲しんだが、誓約した手前、洗礼者ヨハネの首を盆の上に乗せて持ってこさせ、サロメに与えるという、聖書にも載っている背筋の凍るような話である。
ここでは便宜上サロメと書いたが、聖書にはサロメという名前の記述は無い。しかし、この聖書の中のエピソードは、伝承の過程や絵画や戯曲や小説やオペラなどで、さまざまな解釈や物語の改変が重ねられ、今や「サロメ」というだけで、トロイア戦争の火種になったヘレネや、エジプトの女王クレオパトラらに負けず劣らず、ファム・ファタール(運命の女)の象徴にまでなってしまった。後世の解釈(創作・改変)で特に目を惹くのが、洗礼者ヨハネへの熱情にとらわれたサロメ自身が彼の首を望むというパターンだと、私は思う。
私はこの絵が、女性への一種の心理テストに用いられてもおかしくない気がする。私の勝手な妄想だが、この絵(テーマ)を好む傾向にある女性は、かなりの小悪魔ではないか!?(笑)。

ところで、上のルイーニの絵も、「レオナルド作です」と言われたら、「はいそうですね」と言ってしまいそうになるくらい、レオナルド芸術の影響が色濃い。ルイーニはレオナルドに入門し、1510年以降は師レオナルドに傾倒したのだ。
とはいえ、「洗礼者聖ヨハネの首を受け取るサロメ」は、ルイーニの画風である甘美な感じを前面に押し出したことで、師に負けないくらいの精神性が感じられはしないかと思う。

レオナルドの影響を強く受けたルイーニだが、1520年以降になると師の影響を脱して、ルイーニの独自の美しさが表れた作品が出てくる。そういった作品は主にイタリアにあるそうだが、ルーヴルにも先に紹介したボッティチェリの壁画のある同じ部屋に、下のルイーニ独自の作風が表れた作品があった。


ルイーニ「東方三博士の礼拝」(1520-1525頃)

今から思えば、「洗礼者聖ヨハネの首を受け取るサロメ」の印象が強くて「意外な気がした」が、その驚きの印象を忘れないでよかったと思う。
それにしてもこの絵、まるでお釈迦さんが誕生した時みたいな雰囲気を感じたのだが…。

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