デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



イングリッド・バーグマン主演の映画『追想』(1956)(原題は"Anastasia")を鑑賞。

先日の『スパルタカス』同様、また、一度目に分からなかった映画も、時を経て見てみれば傑作であるゆえんを感じることができるという体験を今回できたように思う。『追想』は映画を乱読ならぬ乱鑑賞していた頃に一度見たことがあったけれど、内容を忘れてしまっていた。自分でも笑ってしまうが、この映画、こんな「シンデレラ」「カバーガール」「マイ・フェア・レディ」展開だったかな?と過去の自分の記憶に疑いを禁じえなかった。
ただ初見時にはアンナとボーニンの策略がうまくいくのかそれだけしか関心がなかったが、今回はやっぱりあの頑固かつ聡明な皇太后の存在なくしてこの映画は成り立たないということはよく分かった。ロシア革命を経あらゆる物事をつぶさに見てきた人物像をうまく作り上げているといえるだろう。皇太后がアンナと「再会」した場面の「万が一本人ではないとしても私には黙ってて」(But, oh, please, if it should not be you, don't ever tell me.)このセリフは多くの観客に切なさでもって感動を覚えさせたように思う。
それにしても邦題の「追想」って、どういう意図でつけたのだろう。ひょっとすると「追想」というタイトルをつけた人にとっては、ロシア皇帝に仕えていた人たちの追想を策略のため補完するための演技を繰り広げるアンナよりも、皇太后やその侍従たちの過去の栄華のほうに心がとらわれたのかもしれない。

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