デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ミレー「晩鐘」(1857-1859)

この作品も日本に何度か来たことがある。日本でご覧になった方も多いのでは?
ミレーが農家出身であることは前回書いたが、この作品はミレーの小さい頃の記憶のなかにある感情を思い起こして描かれたところがある。ミレー自身、友人にこう書いている。

「《晩鐘》は,かつて私の祖母が畑仕事をしている時鐘の音を聞くと,いつもどのようにしていたかを考えながら描いた作品です。彼女は必ず私たちの仕事の手を止めさせて,敬虔な仕草で帽子を手に,『哀れむべき死者のために』と唱えさせました」

作品に描かれているのはシャイイ平原だ。絵の右側遠方にシャイイの教会がある。彼は、きっとバルビゾン村近郊のシャイイ平原の農地で働く人々の夕べの鐘の音に祈りを捧げる姿も、数多く見てきたことだろう。
この作品については、男性の戸惑いつつ物思いにふけるような様子と敬虔な女性との対比や、夕暮れの光の移り加減の捉え方、作品から感じる農村における信仰の理想と当時の情勢から見た作品の価値、最初はアメリカに売られたが国民的財産として高値で買い戻されたことなど、研究を踏まえて書かれた充実した解説がある。
それらの解説も興味深いが、私はこの絵を見たときに受けた衝撃を大事にしたい。それは、絵から夕べを告げる鐘の音が聞えてきそうな錯覚?に襲われたことだった。もちろん日本であれオルセーであれ、館内の少量の喧騒は聞えていたのだろうけど、遠くから響く鐘の音とほとんど凪といっていいほどの風の音、じっと佇んでいても僅かに動いてしまう足と草地とが擦れる音までもが、感じ取れるような気がしたのだ。
日本で初めてこの絵を見たとき、その特別展会場内で、絵の痛み具合からして次は「長旅」に耐えられないかもということで、もう日本に来ないのではないか、みたいなことが書かれていたが、今でも作品の保護の観点からすれば日本に来て欲しくなく、でも再び来て欲しい、といったような複雑な気分になる。

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