デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



五層石塔

『北史』には百済は「寺塔甚多」とされているが、現在残っている百済の石塔は、定林寺址と益山(イクサン)市の弥勒寺址にある分だけだという。


五層石塔の存在を本で知ったとき、もし百済の歴史を訪ねに扶余に行くならば必ず行こうと決めていた。
本に載っている図版・写真でも十分惹かれるものがあったが、実物を見ると案外大きく、石を組み上げている石塔なのにとてもバランスがよくて、華美でなくて素朴で無駄がないにもかかわらず、品があるように思った。そして、どうやって建てたんだ?と興味をそそられた。
石を積み上げたり組んだりする技術はすでに紀元前から古代の4大文明のみならず、地球上のあらゆるところにあって、現代にも残る遺跡があるのは分かってはいれど、やっぱり驚かざるを得ないのだ。

















石仏座像

頭部は後代のものだが、
胴体は高麗時代に作られた。


石仏座像の向こうに教会があった。
韓国はキリスト教徒も多いんだと思った。






ところで、(定林寺址にかつてあった百済時代の寺の名が「定林寺」だったのか、そのことが記されている文献というかソースについては知らないので、あえて寺と書くが)寺は7世紀後半の百済滅亡と共に消失したが、高麗時代(918-1392)の1028年に再建された。
再建は大契丹国(後の遼)が「太平」と称した元号を用いていた頃だった。寺の再建には「太平八年(1028年)戊辰定林寺大藏當草」と銘文を刻んだ瓦も用いられた。
1942年、第1次発掘調査の際、「太平八年戊辰定林寺大藏當草」の銘瓦片が出土したことから、この寺址が定林寺址と呼ばれるようになった。



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