デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



井波律子著『中国の五大小説(上・下)』(岩波新書)読了。

クイズで解答時間の1分も与えられ「中国の五大小説のタイトルをすべて挙げよ」と問われたら全部答えられる人は多いだろうし私もかろうじて解答することはできるかもだが、登場人物の名前を挙げよ、だったり、どういった内容ですか?、といった問いだったならお手上げである。
五大小説がどういった内容なのか、突貫工事ではあるが大まかに知るために読んでみた井波氏の上下巻、本当におもしろかった。どこかで聞いたり引用されているのを見たことのある中国の物語ってここから来ているの?といった目から鱗な内容ばかりである。
とくに関心を覚えたのが5作品に登場するストーリーを回す存在であるトリック・スターに関する記述であった。たとえば『西遊記』は日本でもドラマ化されたが、あのドラマを見ても三蔵法師(念のため書いておくが原作に出てくる法師の性別は男)が旅の一行を困らせ酷いときには自ら面倒ごとを持ち込み孫悟空らを右往左往させるような存在であることなどは、本の記述を目にして気付かされ、実際ドラマでもそういった役割だったことが腑に落ちたりした。
また『金瓶梅』と『紅楼夢』がフランスの近現代の小説と類似点が多いことにも驚かされた。両作品を読んだわけじゃないが、解説にある作品のエッセンスは確かにバルザックやプルーストの作品を髣髴とさせるものがある。
そして、今になって、古典に出てくる登場人物が、魯迅や老舎や余華、閻連科の作品に出てくるキャラを形容するのに用いられていて、それが作品の重厚さを与えていることにも気づいた。過去の作品を踏襲した物語の脚注には思いもよらぬもの、それでいて懐かしい気持ちにさせる泉のようなものがあるのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )