デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



――形は民主政体だが、実際はただ一人が支配した時代――

 ペリクレスの「説得力」が効力を発揮できた最大の要因は、それを聴くアテネの市民たちに、視点を変えれば事態もこのように見えてくる、と示したところにあった。

先月のことだが、塩野七生著『ギリシア人の物語Ⅱ』(新潮社)読了した。
いつものことだが塩野氏の書く国の栄枯盛衰の物語を読むと、人間てそれなりに一生懸命なのだが、悲哀とともに滑稽じみている存在で、お馬鹿さんで救われん存在だなぁ思わされる。
作品は古代ギリシアのアテネを中心にして主なテーマとしては民主政の実態について多くを割いている。大きな自治体であろうが企業であろうが、古代アテネにおいてペリクレスが国内外の行政の最高機関を構成するストラテゴスに当選しつづけるようなことは、今も昔もなんだかんだで変わらない。引用させていただいた二つ目の「説得力」も人をよく見ているというか洞察力に長け、こういったテクニックを的確なタイミングで駆使する人はいろいろと上手いし、結果的に多くの人から選ばれる人の特徴だと思う。
これは要するに、民主政を敷いている国であろうがなかろうが、選挙でえらばれた人間が政治家・統治者または武人として有能であって権力の腐敗さえなければ、例え独裁が延々と続こうがそれでよい、それが理想的な国の状態と暗に言わんばかりだが、多くの人がその「理想的な時代」を享受できればそれでいいと思っている証左だろうというのは私もそのように思う。政治家同士が足を引っ張り合う状態にうんざりしていても「独裁色」には反感をもつ人々からペリクレス待望論が出るのは、いつの時代も変わらないのだ。
ペリクレス亡き後のアテネが自滅の道を選んでいってしまうくだりは本当に嘆かわしく感じた。実際に引くに引けなくなった戦争というのは性質が悪いし、古代は古代の事情があったとはいえ、食うに困って食料を確保するための戦争でないところになおさら性質の悪さを感じる。
また情勢に通暁している人々からすれば「ここらで潮時やめときゃいいのに」といった至言が、頭をカッカさせている市民の意識になかなか反映されないのは人間の性なのだ。古代ギリシアの都市国家が繰り広げる、終わらせるためのビジョンなき争いか延々と続く事象は、現代にも少なからず当てはまるところがあるし、現代の人間は他国を戦争へ巻き込む方法ばかりを歴史から学んでいるような気さえする。

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