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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



瀬戸内寂聴・馬場あき子・秋山虔・野口武彦・大和和紀『源氏物語の愛』(講談社)読了。

昨年逝去された秋山虔氏の本を探していると、読みやすそうな本書がヒットしたので読んでみたらこれがすこぶるおもしろく、一気に読めた。
本書は5人の著名人による「源氏物語」をテーマにした講演と対談の内容を収めたものである。物語へのアプローチは講演者によって個性が出るが、もう講演者の名前だけで内容のみならずどんな語り口で語られるかといった臨場感すら覚えるのではないだろうか。特に瀬戸内寂聴氏の講演は。
藤原道長が紫式部に白羽の矢を立て、清少納言に対峙させることについて、瀬戸内寂聴氏の語る内容を部分的に引用させていただくと

 紫式部は、まあ暇でもありましたでしょうし、将来が心細くもあったわけでしょう。それでついに道長の誘いに負けて宮仕えをします。宮仕えというのは貴族の所に仕えることですね。奉公することです。そして彼女は中宮彰子の女房として後宮に仕えることになり頭がよくて学問が出来ましたから、中宮彰子の家庭教師の役もさせました。『白氏文集』なんかを彰子に教えています。ですからそういう力もあった。しかしそれが目的ではない。道長の目的はあくまで小説を書かせることです。ですから立派な部屋と机を与えて、原稿用紙を買ってあげた。原稿用紙は当時は和紙あるいは唐紙ですね、当時はとても高価なものでした。その紙をたくさん買って、インクとペンは当時は硯と筆ですね。あるいは墨。そういうものも道長のことですから、最高級のもの、おそらく唐からの舶来でしょう。そういう文房具をそろえます。小説を書くには参考書がいります。中国の本から、日本の昔の物語、そういうものを山のように買い与えて、さあ書け、さあ書けといって、それまで既に有名になりつつあった物語の続きを書かせた訳なんです。
 ということはこれは、時の最高の権力者が小説家紫式部のパトロンになったということなんです。芸術家のパトロン、スポンサーになった。芸術家とパトロンというのは今も昔も西洋も日本もどうも性的関係が伴うようです。もちろんこの二人もそういう関係があったでしょう。しかしこれは不適切な関係ではないんですね、当時としてはこれは当たり前だったんです。雇った女房に主人が手をつけるのは当時としては当たり前のことだったんですね。ですから誰もそれを咎めなかった。しかし彼女はプライドが非常に高いから、日記にそのことをわざわざ書いているんです。これは事実の話で小説ではありません。ある夜、道長がわたしの局(つぼね)にやってきた、局というのはお部屋のことです。そしてほとほと外からノックした。これは夜這いに来たということなんです、夜中にね。しかしわたしは開けてやらなかったと書いてあるんです。ということは非常に何か貞操堅固な未亡人という感じがするじゃあありませんか。しかし時の最高権力者ですよ、天皇よりも実力があった道長がこれと思った自分の雇った女房の所へ、夜忍んでいったのに開けてくれなかったからと、そのまま引っ込むことはないと思いますね。おそらく二度、三度、四度と来たでしょう。わたくしは三度目ぐらいに開けたと思いますね。
 そして紫式部は時の最高権力者の庇護をうけまして、原稿を書いたわけです。一条天皇は当時最高の文化人でした。物語が好きで、歌が好きで、音楽が好きで、そういう芸術方面のことがお好きだったのです。その一条天皇に、清少納言の随筆もおもしろいかもしれませんけれど、今度うちはもっとおもしろい小説を書く女を雇いましたから、その小説を読んでやって下さい、聞いてやって下さいと道長が奏上する。
 天皇はずっと彰子のところにご無沙汰しているし悪いかなと思って、最初は義理でいらしたと思います。そこで紫式部の小説が読まれた。その場合、前にも申しましたように当時は音読しました。(~略~)作者が読むんじゃなくて、作者よりももっと朗読のうまい人、プロが読むんです。女房の中にはそういう人もちゃんと雇ってある。そして読みますと、それを天皇や中宮や道長やそれから女房たちも聞いています。それで「まあ、おもしろいわ」ということになる。天皇がそれをお聞きになって、こんなおもしろい小説はない、この作者はすごい、この作者は女ながらに中国のことも日本の歴史もよく知っている、といってお褒めになりました。それを紫式部は部屋の隅で黙って聞いている。自分が書いたような顔をしないで聞いていると思うんです。これはあくまでわたくしの想像でございます。小説家的想像です。まあ、間違いないと思いますよ。天皇に大そう褒められたんです。わたくしがもし紫式部なら、そこでぱっと手を挙げて「それはわたくしが書きました」と言うと思うんですけれども(笑)、紫式部はそういうことは言わない。ますます肩を縮めてうつむいていたと思いますね。自分を隠そう隠そうとする人つまり韜晦趣味の強い人です。それはわたくしじゃありませんみたいな表情をつくって、本当は嬉しくてしょうがないのに、嬉しさを隠してうつむいている。何だかさっぱりしなくて、陰険で根性の悪い人なんです(笑)。
 『紫式部日記』のなかに、当時、『枕草子』という随筆を書いて人気のあった清少納言とか、歌が非常にうまくて天才的な歌人の上、器量がよくて、男出入りの多かった和泉式部という女房たちがいましたけれど、その和泉式部や清少納言をライバル視して悪口雑言を言いたい放題に日記に書いているんですよ。そういう嫌な人物がどうしてだか小説がうまいんです(笑)。だからみなさんのような人のいい方たちは小説なんかお書きにならないほうがいいと思います。まあ、わたくしももうちょっと人間が悪いと、もっとうまい小説が書けたかもしれない。ちょっと人間がよすぎたようで(笑)、ですからこの程度でございます。
 まあそういうことで、紫式部はつきあいにくい女だったと思いますよ。しかし本当に天才だったんですね。ですから書くものも実におもしろかった。…

こんな感じである(笑)。最近『源氏物語』を読み終え、なまじ話のテーマがよく分かるようになったせいで、私も読んでいてゲラゲラ笑ってしまった。
瀬戸内寂聴氏以外の講演もおもしろかったのだが、しかし同時に、いくら『源氏物語』は読んだ人の数だけ読み方があるとはいえこちらでも書いたような心の奥底で誇らしげにしていた自分なりの読みが、誤読もしくは即物的な読み方に留まっていることも分かったように思う。やっぱり瀬戸内寂聴氏本人も言っているとおり「寂聴源氏」は中世の『源氏物語』を現代に橋渡する役割にとどまっているのであって、現代的な感覚では理解しにくくもどこか心に残っているもののあわれを味わうには原文にあたっていくのが一番だろうし、『源氏物語』の時代の社会システムや習俗、『源氏物語』がどういった過去の物語を踏まえて書かれているかを調べていくほうが、もっと世界が広がるように思った。

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