Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

しっとりとした旧市街風景

2024-03-17 | アウトドーア・環境
土曜午後はハイデルベルク行だった。復路は50分も掛かっていないのだが、道路事情から若干遠のいている。マンハイムへの橋が補修中であることが一番のネックであるが、南回りのスパイヤー経由のアウトバーンも工事していたようだ。特に往路は買い物客もあってマンハイムを抜けるのに判断を誤ると渋滞に巻き込まれる。幸い勘が働いて、問題なく抜けれた。

そうなると早めの12時30分に出たので、ハイデルベルク旧市街到着が13時8分と出た。それならば南に数キロ離れたライメンの醸造所に行ける可能性が出てきた。講演会が始まるのが14時で五分前に来ないと席がないと書かれていたのだ。

アウトバーンから醸造所へは少し迷ったのだが、迷った経験を活かして18分ごろに入れて、22分には清算していた。地道で10分ぐらいいけるが15分見ていた。ナヴィを利かしても結局工事閉鎖で迷って、幸い土地勘で、13時45分に車庫入れした。なんとか間に合ったという感じだった。

駐車場は敢えて、一番近い図書館を外して、主催者が最初にあげた劇場のそれにした。理由は一ユーロでも安いことがあるが、やはり夜間料金などでお得になるのだろう。今後のことも考えて初めて使ってみた。道を横切っての入車は記憶がなかったので初めてだと思う。

因みにリーダーアーベントが終ってからは一時間半ほど時間があったので、劇場の前も通てみた。以前出かけた寂聴と三木稔が来ての初演の時は借りの場所であったので入った覚えがない。こここそがシュトッツガルトの音楽監督マイスターが最初に音楽監督をした劇場であり、またライプチッヒのカペルマイスターに出世して仕舞ったネルソンスやミルガやマルヴィッツが修行した劇場である。

講演会の内容は改めて纏めるとして、終って一時間程時間があった。先ずは手洗いに行って、コーヒーを飲んで、2ユーロでプログラムを購入して、ただの舐めラムネを食べた。プログラムにテキストが記載されていたので初めて目を通した。それでも前半分で、後半分は休憩時間に置いておいた。

ゲルハーハーのリーダーアーベントは予想以上に充実していた。これも見直していかないといけないが、会場は昨年の演奏会時には上階であったが、平土間も決して悪くはなかった。大学の現役の大講堂でこれだけの音響の会場はどれほどあるのだろう。広さが異なるので簡単には比較できないのだが、旧講堂とこちらの両方を使うとソロから室内交響楽団迄は全く問題がない演奏会が可能となっている。

ハウプトシュトラーゼで少し座ってから、テオドールブリュッケの写真を撮ったり、大学の食堂を覗いたりして、劇場の前を通って、講堂の裏口から入ると結構適当な時刻となっていた。お昼は少しパラついたのだが、その後は正常化して、穏やかながらもネッカーの少し湿り気があるような街の空気は冷たい感じになっていた。やっぱりケムブリッジなどにも似ていなくはない。



参照:
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音
お家芸の指揮棒飛ばし 2023-03-26 | 音
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四旬節も終盤へと

2024-03-16 | 
保守的なオーストリアの形式である。ザルツブルク音楽祭の芸術監督がまだ辞任するとは表明していないのだが、形式的に次期の監督への応募を募っている。指揮者のメストなどと並んで、シュトッツガルトのショーナーやスカラ座を辞めるメイヤーとミュンヘンのドルニーも応募した様である。

ショーナーも受けるとは思われないが、ドルニー体制の任期が2026年までになっていて、まだ延長されていないことからの圧力ともされる。たとえ師匠のモルティエが成功していたとしてもこうした革新的な人たちがそこでやれることは限られている。

それでも2025年以降契約延長されていないカタリーナ・ヴァ―クナーも既にそれ以降の計画の必要があってなされていることから後手に回っている。背景はよく分からないながらも、バイロイト、春夏のザルツブルク、そしてミュンヘンやスカラ座などは関連して着ていることは明らかで、バッハラーだけでなく、そこのドルニーやショーナーなの名前が挙がってくることはとても喜ばしい。一番期待したいのはバイロイトである。

さて、バーデンバーデンでの舞台稽古が始まった。一週間前の開幕を前に既に最初の稽古は終えていて、みっちりとした集中的な練習が繰り広げられているのだろう。昨年の「影のない女」に比較すれば容易く仕上げられる反面、演奏時間も短く飛び切りと決定的な演奏となる筈だ。

歌手陣に心配はいらないが、演出が上手く行くのかどうか。稽古写真を見ると独伝統的楽器配置を採用していて、ペトレンコ指揮のオペラでも「マイスタージンガー」に続くとても異例の配置である。それゆえに一番端にコンツェルトマイスターリンのサライカが座っているのだが、実際は内側のダイシンがリードするのかどうか分からない。もし彼女が受け持つとすればとてもしなやかな演奏となることだろう。

女性が主役の出しものの方が多いので、もっと多くの楽劇が女性のリードでなされた方が良い。同時にそこで期待したいのは、ブラームㇲを日本での公演とは違ってダイシンが受け持つとなればより硬質の交響曲四番となる筈である。

兎も角あと一週間で、その前の総稽古から録音されてカメラが回されるだろう。そして三回の公演から編集して、四月にラディオ全国放送される。映像は昨年同様に夏以降にTVで放映される。それ以外にブラームスの公演の録音が為されると良いと思うがさてどうなるか。そしてDCHでは日本で放映された11月の公演がハイレゾでアーカイヴされた。券を購入して公演前にもう一度しっかり観ておかなければいけない。

肉屋ではこの季節に合わせて、ヴィーガンのモッツァレッラの玉のペスト和えを売っていた。チーズも買いそこなっていたので、価格も4ユーロもせずに結構入っていたので購入した。ペストの臭みや後味はあるのだが、滋養強壮で良さそうで愉しめる。

食事やアルコールを節制していてもそれほど痩せる気配はない。やはり暖かくなると服装だけでなくて、消費するカロリーが可也減少するのだと思う。もう一息である。来週散髪をするのかどうか、考えどころだ。摂氏17度近くになると行かざるを得ないだろう。予約がとれるか。
Nina Stemme als Elektra | Osterfestspiele 2024

Kostümbild | Osterfestspiele 2024




参照:
総合評価8.6以上の価値 2024-02-22 | 文化一般
ヴィーンでの家庭騒乱 2024-02-20 | 音
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ブラームスのセレナーデ

2024-03-15 | 
ブラームスのセレナーデ二番イ長調、子供の時から交響曲的な作品だという認識はあった。今回初めて詳しく見て行くと、思っていたよりも面白い。なによりも最近の演奏では、例えばコロナ期間中に無観客で放送されたBR交響楽団をサイモン・ラトルが振ったものでもその音楽の構造がよく見える。二管づつの管楽器にバスの弦楽が支える形になっているのだが、パッサカリアになったりで、この作曲家のαからΩとなるような作風だと気が付いた。

半世紀前の演奏は、何もNHKで当時の大木や藁科などの音楽評論家が特に選択したという訳でもないだろうが、ブラームスの情緒的な側面が強調された和声の響きしか分からないような演奏が持て囃されていた。

勿論ブラームスがクラシックのセレナードの原点に戻って創作したという認識は解説されたとしてもそれがどのような音楽的なエポックで以って新たな芸術への意志によって創造されたかまでは音響的に認識されなかった。

具体的には、浪漫派とされる五里霧中なものから後期浪漫派とされる形式化がなされる過程での古典回帰の所謂新古典主義とされる運動のエポックである。有名な梅毒に侵されたシューマンの浪漫から奥さんのクララのピアノ演奏がそうであったとされる古典的な均整美への憧憬でもある。

そうした音の重なり合いの妙は半世紀前にはまだまだあまり顧みられなかった傾向がある。この件は実はブラームスの交響曲四番における所謂シュタインバッハ版などの比較的小編成の交響楽団による瀟洒な演奏から巨大な大管弦楽団へと演奏形態が肥大化していった社会的背景があって、それがまた戦後の磁気録音のLPからステレオへと複製芸術の技術的な発展とも関係があって、カラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカーのブラームスの音響として完成していた。

今月には二回その交響曲四番を聴くことになるのだが、日本でも11月にペトレンコ指揮で録画されたものがもう一度再放送されるようで、そこからの更なる演奏として期待されるところである。

今回上の録画を改めて聴いてみて、コロナ期間中の特別な背景もあってかとてもよく準備されていたようで、素晴らしい音程で声部が重ねられたりしていて聴きごたえがある。なによりも、ブラームスのその筆捌きはやはり惚れ惚れするものである。ブラームスというとどうしても晩年の髭の加齢臭の漂うような写真が有名であるが、その若い姿はやはり魅力的であったろうと思わせる。

もう少しお勉強が出来れば、昨年からの流れで、この作曲家の全体像が今月で何とか描けるようになるのではないかと思っている。今回は弦楽六重奏一番変ロ長調も演奏されるのだが、そこでも本来の弦楽奏法なども少しは思い描いてみたいと思っている。なにかいい録音はないかネットを探してみたい。先ずはこれまたコロナ期間中のエルフィーでのベルチャ四重奏団を核にしたヴィデオを流してみる。



参照:
歌曲の会で初めて聴く 2024-03-14 | 生活
演奏実践の歴史的認識 2024-02-18 | マスメディア批評
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歌曲の会で初めて聴く

2024-03-14 | 生活
週末の準備である。先ずは楽譜を一部落としたが、歌曲は一曲一曲見ていかないと混乱する。幸い同じプログラムを既にケルンで歌っていて、そのプログラムがあったので落とした。休憩を入れて殆ど二時間程時間が掛かるようだ。

ブラームスの歌曲の歌詞も載っているのだが、先に読もうかどうしようか考えている。ブラームスのシムプルな民謡を目指す作風にどうすれば最も上手くお勉強が出来るのか?

ゲルハーハーのプロフィールを見ると、今迄この当代筆頭の人のリーダーアーべントに出かけたことがないのに気が付いた。結構機会はあったのだが出かけることはなかった。今回も本当はもう少し小さなところでと思っていたのだが、比較的近いのでこれだと思った。

そこにはやはりオペラでは「タンホイザー」のヴォルフラムと「パルジファル」のアンフォルタスは別格に書かれられていて、どちらも体験しているので、初めてとは思わなかったのである。伴奏のフーバーも生では聴いていないようだ。これは俄然楽しみになって来た。

その公演が16時から開かれるのだが14時からブラームスのグローバリズムへの講演がある。出来ればその前にヴィースロッホの醸造所に寄りたいと思っているが時間があるだろうか。

歌曲の会が終わってから、次のコンセルトヘボ楽団の六重奏とセレナーデの演奏会まで一時間半ほどの時間がある。街の中なのでどこかに腰掛けるのは全く問題がないのだが、長丁場なので考えとかなければいけない。少なくとも前夜は熟睡しておきたい。出来れば前日に走っておきたい。

ラマダン絶食期間で、甘いものが堪らない。肉食を控えると追々アルコールも進まなくなるので、愈々甘みが欲しくなる。先日パン屋で購入したリュッブリが途轍もなく美味い。今迄はここまで美味いと思ったことはない。恐らく蜂蜜が入っていて甘みもあるのでこの時期にこそ美味いのかもしれない。今迄はただのニンジンケーキかと思っていたのだが、そのリュブリの名前はスイス語風でなんともいい。イースターの兎にかけたのだから季節ものなのかもしれないが今迄はそのようには感じたことがなかった。兎に角甘みがおいしいのである。2022年にも書いているのだが、今回の様には美味しくなかった。糖分を増やしたか?価格は何故か落ちているようだ。

ここ暫くは冷えても暖房を付けないので、仕事中に膝掛を掛けることにしている。上半身よりも足元が冷えるのが今頃の室内の特徴なのかもしれない。そして午後の熱い紅茶がなによりも身体を温める。摂取カロリーは落ちていないのだろう。体重も減少する様子は全くない。

パン屋に向かうのに距離は伸びてもバイパスを通ることで全体の買い物の時間を短くできることが分かった。バイパスも延長されているので、場合によってはもう少し近くからアクセスできるようになる可能性もある。今回は甘辛双方とも満足である。



参照:
あとから仄々思うもの, 2022-03-18 | 歴史・時事
とても峻別し難いロマン派歌劇, 2017-05-27 | 文化一般
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音楽劇場演出の重要性

2024-03-13 | マスメディア批評
ミュンヘンからの生中継で語られた。支配人ドルニーは、こうした作品を上演するには今がいい時期で、ドイツも解き放たれる時だというようなことを語った。詳しくは語らなかたのだが、ポストアドルノ時代に即ちアウシュヴィッツ以降に詩を書けるかという呪縛からである。

同時に現在のガザの状況を見るにつけ所謂「追憶の歴史」から導かれる「追憶の文化」から解き放たれる時だということでもある。車中のラディオのニュースでベルリンの映画フェスティヴァル時にガザへのパレスティナ共闘がコメントされた問題が扱われていた。思想と表現の自由とはまた異なるアンティセミティズムは許されないという事である。

今回のクラッツァーの演出では、アウシュヴィッツの場面は具体的な囚人服や丸坊主などでは表現されない。しかしそれ以上に暗示するところがあって、それは批評にあるように殆ど音楽的な認識が深くない聴衆でも分かる音楽になっていることに合致する。

最も印象的だったのは、ショスタコーヴィッチ同様にヴァルツアーを使って、囚人がそれを要求されて拒絶するところでバッハのシャコンヌが弾かれるというところであったようだ。そうしたやり方は、音楽監督ユロウスキーが最初に上演したショスタコーヴィッチの「鼻」においても弦楽四重奏曲は八番の挿入などは印象としてとても強く残った。

反面批評を読むと、今回の初日に劇場にいたチェルニコフの演出でウクライナ侵攻によって再制作された昨年の「戦争と平和」が挙げられて、演目そのものの上演の必要性が論じられる。そこでもソヴィエトにおけるプロパガンダの歌詞などが大きく削除されたことが思い出される。しかしその音楽の価値が大きく異なるのは確かで、プロコフィエフはやはりそれだけの作曲をしていたことには間違いがない。

一方各紙で語られている最後に小さなモニターに映る収容所の映像は、眼がある人には皆見えて気が付くというのである。まさしく、遠くアウシュヴィッツで起こっていたことは、ドイツの生活では全く気が付かなかったというその年齢の人たちの言い訳を砕く観察である。

当然のことながら、このことはこの新制作の企画時にはまだ起きていなかった大規模なガザ地区での出来事についても突きつけられることになっている。フランクフルトのルンドシャウ紙はこの制作を絶賛して、特にクラッツァーの演出家としてを仕事を評価する。

オペラに通じていればいるほど、ここでの演出家の判断を確信するだろうと、否そうではなくて、このオペラを既に知っていればこそクラッツァーの読み方を理解することが出来ようとしている。

なるほど、この演出家の仕事はその作品との深い関係から導かれる制作企画となっていることが多い。そして新シーズンへと向けて「指環」四部作の準備が進んでいる。その配役などは指揮者を除いては皆目分からないのだが、今迄に無い大きな話題となることだろう。



参照:
Maximal eindringlich: "Die Passagierin" im Nationaltheater, Robert Braunmüller, AZ vom 11.3.2024
Erinnerung für Fortgeschrittene: „Die Passagierin“, Markus Thiel, Merkur vom 11,3,2024
Der Alptraum, die Täterin zu sein, Judith von Sternburg, FR vom 11.3.2024
音楽劇場の使命を果たすか 2024-03-12 | 文化一般
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評
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音楽劇場の使命を果たすか

2024-03-12 | 文化一般
久しぶりにすっきりの週明けとなった。なによりも陽射しが嬉しい。気持ちがよい、窓を開けられる。バスルームのドアがすっきりと音もなく開く。夜中に開け閉めしたが、それでも朝が起きやすかった。早めに床に入るとそれだけ早めにトイレに行くことになるが、その後もぐっすると眠れた。

最近は日曜に運動することもないのでその傾向が強く、月曜日がいつもブルーになっていた。週末は起きる前に足を突っ張ったので以前に問題のあった足裏までが突っ張りそうになった。要注意である。やはり筋の関係であることが分かる。

18時からの実況中継を聴いた。事前に書いていたようにミュンヘンの劇場に出入りしている評論家ティーレ氏が直後に劇場から語っていたその言葉に全てが現れていた。「ただそれだけだったのは作品がよくないからだ」と。

そのようことは皆分かっていて、今回の企画を主導的に執り行っていた音楽監督ユロウスキーが、決してヴァインベルクのファンではないが、この作品はやるべきものだというのにも同じことが表明されている。

そしてこの指揮者こそは、その祖父の義理の父親が作曲家の義理の父親でもあって、最も身近な音楽家である。そしてこの作品の2時間30分に及ぶ音楽の30分を演出家のクラッツァーとの協議でカットした。そしてその責任は負うと宣言している。

演出面でも主にソビエトのプロパガンダにあたる部分をそっくりカットしたようである。そうした纏まりの悪さはなにも台本上のドラマテュルギーではなくて、音楽的な構造として恐らく全く意味を持っていなかったことぐらいは想像可能な音楽である。

なぜか数え切れないほどの交響曲も作曲していて親友のショスタコーヴィッチを越える22曲を作曲しているらしい。しかしそれを演奏させられているのはフィンランドの女流指揮者で、その質の悪さを証明していた。逆にメディア側からすれば万が一女流指揮者の破廉恥な指揮で話題になって売れれば大交響曲全集が売れるという皮算用があったのだろう。それがユニヴァーサルというユダヤ資本であったかどうかはどちらでもよいだろう。

そしてヴァインベルクの義理の父親がモスクワの映画楽団の仕事中に心臓発作で亡くなり、翌日には作曲家本人も「コスモポリタン」として死者と同時に逮捕される。ユダヤ人は世界中のコンタクトのある根無し草の民なのでソヴィエトでは表向きとは異なりそのように呼ばれ迫害された。

生中継番組の休憩時間には、10月7日以降のユダヤ系住民への危機が語られた。全てのユダヤ人は如何なる形でもイスラエルと結びつけられていて、それを護ることが宿命となっている。だから反イスラエルそのものがアンティセミティズムとされると語っていた。

亡くなった夫の灰壺を抱えたアウシュヴィッツ生き残りとそこの少女看守が客船で隣通しのキャビンで旅をする。まさにこれこそが音楽劇場の使命である。
Trailer zu DIE PASSAGIERIN




参照:
夕方から初日生中継 2024-03-10 | 暦
生きているだけでいい? 2023-10-04 | 文学・思想
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難しい重量配分の重要性

2024-03-11 | 生活
二十年以上振りで直った。バスへのドアーの底がタイルにひっかる現象は新装の部屋に住み始めて十年以内に起きていたと思う。床が濡れたり、衣紋掛けをドアに吊るしたことで、ドアの底が膨らんで、上のヒンジが下がって来て起きていると感じていた。勿論出入りに支障が出るものでもなく、開く時に自動的にブレーキがかかる程度の感じであった。

しかしここ数年で明らかに底が擦れて停止するようになって来ていた。いずれ改装することもあって放っておいたのだが、ドアが軋むよりも気持ちが悪いので、上のヒンジが緩んできているものと思って、修正するべき叩いてみたり接着剤で補強したが、直ぐに元の木阿弥となった。

そうなればドアを外して、ヒンジの根元を埋め替えなければいけないと思った。ドアーはそれなりに重いので、思い切りが必要だった。外してヒンジの根元を抜いて、そこに接着剤を塗布して叩いて埋め込む。この際にヒンジを洗って通常は手が届きにくいところを掃除しておく。

所定通りに24時間はドアを外したままにしておいた。完全に乾燥したかどうかは確かめようがないが、嵌めてみることにした。足の甲を使って持ち上げながらと思ったが、重くて二つのヒンジの穴を合わせるのが難しかった。そこで板とバールを組み合わせたりして、ドアの底を浮かしながら二つの穴を合わせた。

そこで気が付いたのは、上のヒンジの方が若干上付きで、下に合わせただけではまだ上は入らない。要するにドアの荷重は上のヒンジの方が多かったということで、非合理が分かった。上のヒンジの方が遥かに梃子が掛かるのにである。薄々問題点は安普請の内装にあることが分かってきた。

そこでやることはその高さを調整することで、ヒンジの差し込みにリングを挟めば高さが調整可能となる。上手く手元に硬いパッキングリングがあった。少し考えれば、上に嵌めるよりも下のヒンジにリングを嵌めることで、荷重バランスを下のヒンジに集めることが可能だと分かった。

リングの厚さ0.5㎜でも上がれば上のヒンジでの梃子も大きくなるが、荷重が少なくなるので絶対有利になる。完璧であるが、これで上のヒンジが緩んできても簡単には底をつかない筈である。要するに建て付けが悪すぎたのだ。こういうことはリフォームを履行するときの参考になる。

車も一番難しいのはカロッセリーの荷重配分だと思う。BMWが取り分け優れていたのはそれで、後輪駆動を前提としてもメルセデスは前への切れ感が鈍かった。前後の車軸への分散が半々の筈だが、ブレーキで頭を突っ込むと変わる。四輪駆動になった場合のBMWはどんな感じになるのだろうか。



参照:
これ以上にはない車 2024-03-09 | 雑感
大工仕事が得意な素人 2017-07-26 | 生活
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夕方から初日生中継

2024-03-10 | 
前日ほどではなくても花冷えだった。しかし陽射しがあるので、気持ちも全く異なる。何よりも街道のアーモンドを写しておきたかった。今年は教会歴が早いように開花も二週間ほど早かったらしい。やはり早い時の方が陽射しが違って美しさが増す。

さっと走ってから下りて来て、態々街の違う方へと抜けて車のサンルーフから写した。陽の加減などはもう少し早いか、夕方の方が上手く撮れるのだろうが仕方がない。交通量が多くなると写しにくくなる。特にギメルディンゲンのアーモンド開花祭りが始まっているので、交通量に要注意だ。

日曜日の夕方はミュンヘンからの初日の生中継がある。ユダヤ系ソヴィエト人ヴァインベルク作曲のオペラ「乗船の女」でソヴィエトでは上演されずに42年後にブレゲンツ音楽祭で初演された。その内容がアウシュヴィッツの生き残りとその回想を扱っているために、当然のことながら独語圏でも中々初演とはならなかったようである。交響曲などの器楽曲も沢山書いている様であるが、やはり劇場音楽ということで、舞台化が成功する限りその上演の価値はある。

今回は、音楽監督ユロウスキーがそのショスタコーヴィッチ家との関係などから取り上げることになった様である。ヴァインベルク自体がショスタコーヴィッチに全て先に意見を求めていたりその反対の関係があったようだ。

演出は昨年もベルリンで「メデューサの筏」で大成功していたクラッツァーが行うので、そのインタヴューなどからある程度の話題になることは間違いない。ハムブルクの支配人になるのは来来シーズンからのようで、現在は演出家として大活躍している。ハムブルクの音楽劇場の今後が期待されている。

先週ヴィーンの放送局から再放送番組があったので、「我が祖国」を異なる方法で録音してみた。MP3の192 kbpsを直接VLCで受けて、それを その場でFLACに変換して保存した。つまりネット放送のそのオリジナルの筈なのだが、やはり保存の仕方で音が変わる。通常はクロームブラウザーで受けて、それを再生して、同時にDACに直接送るものをアップサムプリングで録音する。直接波のm3uとの差異が必ずしもPCの回路によるものとは言えないのは保存法でも変わることでも分かる。MP3で保存したわけでもないのにその個性が強くなって、音の出し方の変換圧縮がまるでノイズリダクションシステムのように働いてMP3らしく響くようになって苦になる。放送自体はAAC圧縮方式のも使うところもあるので必ずしもMP3だけではない。可逆的な圧縮のFLACで保存してもファイルは結構な大きさになる。旅行先ではそれで録音しておいてもいいようには思うが、タイマーの効くソフトを探しておかないといけない。

自宅では直接波を録音しておけばPCの種類によっての差が殆ど出ないので、序に今後は実験を兼ねて、MP3でも録音しておこうかと思う。結局アップサムプリングで保存しておかないと、耳苦しい感じがするのは仕方ない。すると無圧縮で録音しているのとファイルの大きさがあまり変わらなくなってくるだろう。



参照:
異議申し立てを提出 2024-02-16 | アウトドーア・環境
積雪前の夕刻の開花景色 2023-03-13 | 暦
コメント (2)
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これ以上にはない車

2024-03-09 | 雑感
陽射しが期待されていた。しかし午前中は曇っていて、気温は摂氏6度ほどに止まっていたので、暖房の無い部屋では取り分け寒かった。

フランクフルターアルゲマイネ新聞の新車試乗記を読んだ。メルセデスとBMWの比較も来週火曜日に全て出揃う。両車とも同カテゴリーで世界最高で、未だリリースされていないアウディにはハイブリッドが抑々ない。興味深いのは、今回もコントロール感ではBMWに勝敗が上がるが、その運動性ではメルセデスに軍配が上がっていて、両車を乗り比べて来て、漸くという感じがする。それは一月の試乗で確認していたが、BMWに関しては週明けに詳しく読むことになる。しかし明らかにメルセデスの方がクーペ感が強く、明らかにトランクの小さいBMWの方がフォードアーのリムジン感が強い。背景には、前者は中華市場ではロングヴァージョンを出していて、運転手をつけることが少ない欧州では後部座席が若干短くなっていて、特に真ん中は狭いらしい。勿論タクシーで使われるので短距離ならば全く問題ないとなる。

数百キロの走行では始め硬いと感じられていたメルセデスの椅子が快適になって来て、マッサージも効果があるという事だが、助手席の前のモニターは酔うので消したというから、その装備は予定通りつけないでいいことになる。しかし後部タイヤの操舵は一度試すとやめられないというので、空気羽根との組み合わせは試乗車の通りで良い。

重要な夜間ライトも好評である。但し自動操縦はBMWの方は車線変更までしてくれるようだが、メルセデスは車線維持だけである。ベルリンで起こったようなことは機構として起き難くなる。

エンジンに関しては四気筒の直列の二種類の差がもう一つ分かりにくいので、もう少し詳しく調べる必要がある。EU規制で速度超過で警告音が鳴るのは仕方がないとして、この点もメルセデスのように快適性を優先される方向に社会は向いている。走ることに関してBMWに並びそして抜くようになれば何一つ文句はない。四輪駆動と空気羽根はやはり抜き去る可能性のところだろう。

総論としてメルセデスは今迄の最も優れた車で、問題の多い電気自動車とは異なり、ハイブリッドのテストカーの評価が全てを表している。そしてそれはSクラスが登場して、それに対して最初にコムパクトクラスと呼ばれた240D(W123)の車の思い出が綴られていてる。親父さんが帰宅してきた時のガレージに入れる数メートルに同乗するのを愉しんだというのである。

現在使っているのがW122のデザインの流れのレトロであったので、恐らく上の比較は個人的なというよりも専門家として見解でデザイン的にもW123の流れにあるのだろうか。個人的に違和感を持たなかったのはそれが大きいのかもしれない。

メルセデスの購入者は何らかの繋がりを幼少の時からもっていたという調査もあるようだが、こうしたデザインへの趣向にも関わる。そして新聞には二年もこの為に待ったと私同様のことを語っているのだ。どうもこうした趣向は決して偶然ではないようである。そしてW123を含めてもこれ以上のものは嘗てもこれからもないとしている。
Die neue E-Klasse: Matthias Malmedie auf Erkundungstour zwischen Tradition und Moderne




参照:
新モデルの車を試乗 2024-01-11 | 雑感
市場が見え難い車Bクラス 2012-08-14 | 雑感
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纏めておきたいこと

2024-03-08 | 雑感
先日の車中ではブラームス交響曲四番は聴かなかった。シベリウスの協奏曲は聴いたのだがもう一つ、これといったものはつかめなかった。生ではバイロイトでデビューしたフィンランドのインキネン指揮で聴いたのだが、全くコントロール出来ずに何をやっているのか全く意味不明だった。

まだシベリウスの語法も十分に把握していないので、今回がチャンスだと思っている。如何に本場ものとは言っても指揮者がしっかり曲の構造を理解しておらず、少なくともそれを示そうとできない限り誰もその作品を理解できない。その程度の指揮者が仕事があって、大きな顔をしていることが信じられない。

フィンランドの指揮者と言えば、来年のザルツブルクの復活祭にサロネンが登場して、スウエーデンの放送交響楽団とオペラを上演するというから滑稽だ。その指揮者がリゲティ―の作品を指揮して、老作曲家がカンカンになっていたのを間近で見ているので、繋ぎとは言いながらそのような指揮者を使うなと思った。最後の年のバーデンバーデンも似たようなものなので不作の年になるのだろう。ミュンヘンの方では新しい「指環」が始める筈だ。次にミュンヘンに行くのは何時のことになるだあろうか?将来的にはミュンヘンを通り越して嘗てのようにザルツブルク往復するようになる。

今週は新車の注文の準備を先ず纏めておきたい。試乗してから二月ほど経つが、この間に最も危惧していた2030年問題が一先ず解消した。つまり、2030年以降はオットーエンジンを積んだ新車は発売されず、100%電化になるという計画は困難になったという事らしい。最も顕著なのはレンタカー大手が電気自動車では仕事にならないということになっていて、如何に経済的に合わないかが明らかになって来た。

総合すると、危惧していたハイブリッド車でのオットーエンジンへの課税が2030年以降強化されるという懸念が薄らぐということである。これは新車発注時のそのエンジンの排気量へと懸念などを払拭してくれる。なるほどエンジンが大きければ新車購入時にそれ相応高価になるのだが、その一度の経費よりも維持費の方が大きいと思っていた。

先日の試乗車の問題点はその6気筒オットーエンジンの振動が現在乗っているものと比較すると喧しいということだったのだが、この点を詳しく吟味する必要がある。エンジンが小さいほどやはり不利になるので、ここが最大の判断点となる。

ベルリン旅行で宿泊したところに遊興のサッカー台があった。これは結構人気の遊びで、卓球台よりも人気がある。多くは物干し場やホテルの遊興スペースなどに置かれていて、結構涼しいところで二人組で遊ぶのだが、そこはペレットストーヴの横に置かれていた。二人連れで泊まっていたら、必ず手を出すだろう。パチンコゲームと同じで足で蹴るだけであるが、レバーで選手を守備位置ごとに動かしてやらないといけないので、八人でも遊べる。こういうのは兎に角苦手で、球が飛んでくるところに上手に選手を持っていけない。キーパーも勤まらないので受け持つのは精々バックの二人ぐらいではないかと思う。
Osterfestspiele 2024




参照:
パンコウの金魚鉢 2024-01-31 | アウトドーア・環境
拡大してみる様子 2024-02-02 | 雑感
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朽ちてかけている初演曲

2024-03-07 | 
承前)映画音楽の芸術とは何か?ヒッチコックの映画にはヘルマンというロシア系ユダヤ人が作曲していて、ショスタコーヴィッチに大きな影響を与えている。そしてヘルマンに関して、作曲家エッガートは指揮者エンゲルに紹介を振ろうとした。そして流された。要するにそれ程の関心はない。制作録音の三日間でこの二人が何を話していたかはよく分からない。エンゲルは多くの作曲家を尊重して長く誠実に仕事をしてきたのは目の辺りにして知っている。若い無名の作曲家に対してもであるが、勿論指揮者からの評価や親近感の有る無しははっきりとあるだろう。

個人的には無声映画の音楽としてヒンデミートをどうしても真っ先に思い浮かべる。ファンクの山岳映画への作曲であるが、どうしてもその出来と比較してしまうのである。劇映画ではないので細かなカットに合わせた表情はないのだが、そこで書かれている音楽は超一流であって、同時期の名作の四重奏曲などと似た楽想が使われている。そこに流れるユーモアなどが芸術そのものである。

そしてその音楽は当時の音楽の最先端のヒンデミートの芸術そのものであって、決して映画の音楽として芸術的価値が低いわけではない。そうした大作曲家の仕事と今回の作曲家の作品を比較すると最早箸にも棒にも掛からない。それでもご本人は、いつも作曲しているものとは映画音楽は勝手が全く違うと語っていた。

なるほど映画の情景によって、つける音楽は異なるのは当然であろうが、それにしても感情的なところでルバートを利かして欲しいのだが、映像に合わせての指揮者の仕事に期待したいとしていたのだ。こんな安物の作曲家を初めて知った。しっかり記譜も出来ないのかとも思うが、恐らくそれ以上に音楽が分かっていない稚拙な人物が独作曲家協会の会長とはと笑わせる。

そのような楽譜から指揮者が引き出せる音楽には限界がある。なるほどしっかりとシンクロされた演奏をすればそれなりの効果があり、要は映像を邪魔しないかどうかだけでしかない。そこで流れる音楽に四分音の調律のされているピアノを使おうが、シュトラウスが紀元2600年祝祭曲や「影のない女」で使った鐘を多用しようが、なにも今創作されるべき音とは全くなっていない。創作されて、音化されて、収録、初演された時には既にこの創作は朽ちていた。

この作曲家が多作であるというのもこうした一度切り消費される作品を依頼されて生産しているからに違いないのである。何故当時持て囃された作曲家が歴史とともに消えていくかの実例でしかなかった。勿論、お客さんは映画に食い入るように音楽がそこに流れて違和感さえなければそれで大満足で、拍手喝采もあった。しかし流石にこうした楽団を支えている新しい芸術に親しんでいる常連の聴衆からは冷たい反応が感じられた。当然であろう。

そして、私のポストを見たのかどうか、引用したインタヴューを掲載した同じ新聞からエンゲル本人が全く同じ見出しを使って、インスタグラムに事後紹介していた。「小さなエリートの聴衆に届くだけでない音楽をやりたい。」という彼自身の言葉である。この意味を考えさせる公演であったのだが、それには芸術的な洗練は不可欠である。それが回答に違いない。(終わり)
Paul Hindemith Filmmusik "Im Kampf mit dem Berg"

1921 Im Kampf mit dem Berge




参照:
最後にシネマ交響楽 2024-03-01 | 雑感
パターン化のスリリング 2024-02-26 | 音
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なんとなしの風通し

2024-03-06 | 文化一般
昼間は暖かくなっても朝晩が冷えたりで花冷えに近い。更に絶食シーズンがあったりで風邪をひきやすい。

特に日曜日の午後の陽射しの中で薄着して出かけて、深夜帰宅して、更に週明けに走るまでに夜食以降真面に食事をしていなかったので、体調を壊したようだ。

夕方で気温も一桁へと下がっていたので、結局パンツも脱げずにそろそろと走っていても薄く汗を掻いた。こういうことをしていると、身体が冷えやすい。

兎も角室内から暖房を切るという思い切ったことをしたので、少々冷えるのは覚悟しているのだが、やはり陽射しが射しこまないようでは鬱陶しい。

アルコールの消費も落としているので、温まるとなると熱いお茶が多い。特にファーストフラッシュのダージリンは飲みやすいので、結構頻繁に淹れている。若干面倒で、おた貯めたりでお湯をたくさん使うのだが、生暖かい部屋にいるよりは温かみが有難い。

さてそろそろ来週の準備である。ブラームスのセレナードや六重奏をお勉強する。最初の曲は室内交響曲のようなもので指揮者のアバドなども振っていたようだが、後者は四重奏団プラスαで演奏されることが多い。今回は交響楽団の室内楽合奏なのでまた一寸異なる趣となるのか。低音弦の使い方とか色々と見ていかないといけないが、昨年の「ハイドンの主題による変奏曲」からの流れが出発点となるだろうか。

歌曲の方は、作品14から作品106迄の様々な創作時代の作品が並べてあって、一望する形になっているのだろう。お勉強する方としては大変なのだが、その前に講演会で19世紀の後期ロマン派の作曲家としてのブラームスをその独自性として国際的な比較をするという。より範囲は広くなるのだが、実はこれは次のシーズンの最初のブルックナー交響曲五番におけるそこで更に話題となる見識であろう。

ベルリナーフィルハーモニカーが、交響曲五番で以って第二次のアメリカツアーを行う為、当然のことながらそれが相対化されたところで捉えられる。当然のことながら今日におけるブルックナーの交響曲の位置づけがそれによって定まるに違いない。

同様な事柄は、日曜日に再放送されたスメタナ作曲「我が祖国」がこの四月にはプラハの春の初日を今度はフィルハーモニカーの演奏で飾ることになるので余計にこうしたローカリズムが欧州の中でしっかりと位置付けられる。

スイス国境の街は三ヵ国の交わる所とされる。それは同時にグローバルの中でのローカルの特徴であって、公演のあった文化施設においてもそれなりの主張はあったように思われる。強化ガラス張りに階段とか、先の像とか、壁に掛けてある美術的展示など、それはそれなりの趣味と選択があって、こうした小さな街の施設としては十二分に芸術的であった。どちらかというと、南ティロルとかそうした文化が混じる所の趣味と共通の風通しの良さが感じられたということかもしれない。



参照:
不審な男が見下ろす街 2024-03-04 | 文化一般
禿は近くでもうつらない 2023-10-24 | 文化一般
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スポーティな仕事とは

2024-03-05 | 
承前)ヒッチコック作「ブラックメイル」の無声映画版を観た。トーキー版に比較すると明らかに良かった。間延びしない、リズム感があって、芸術性があった。その裏側が短く上演前のレクチャーで指揮者のエンゲルと作曲家のエッゲルトの対談の中で示された。

それによるとトーキー版では、ヒロインのアニー・オンドラがその名前の通り英語が喋れなかったためにアフレコで録り直したらしい。それ以外にも説明めいた追加のカットが続いていてリズム感が不明瞭になっている。

それに関しては作曲家エッゲルトがその話しぶりからしてもヒッチコック映画に傾倒していて、詳しく観尽くしている。しかし作曲するにあたって一度だけ観返したと語る。それは現在のシステムで音楽を嵌める為の技術的な条件が揃っているからとなる。

その過程として、映像のリズムから入って、テムピを合わせて、そこからハーモニーやそれどころかメロディーとなって、映画における感情表現やにつけていくという事だった。そしてそこでは調性云々以上に、映像における表現とドラマテュルギーが優先されるということで、管弦楽曲とは異なるのだということだった。

そこで逆に演奏上の困難さを指揮者エンゲルに訊ねると、ヘッドフォーンでのクリック音と指揮台の上に置いたタイムコードの表示を観ながら指揮するので、指揮のスポーティーな仕事の一つで慣れていると答える。しかし、その表情をこちらから観ていて、恐らくエンゲルもこちらの表情を窺っているようなところもあったのだが、明らかに三日間の制作録音で苦労していたような事情が見え隠れした。

それはその後の開演前の舞台あいさつでのバーゼルシムフォニエッタの支配人が管弦楽のメムバーに三日間の仕事を称えたので、なるほど苦労したのだなと、その後の始まりのアコードの数々からこれだと分かった。

端的にいうと、そのアコードが巧く鳴らないのである。これは逆に作曲者が映像があることで、如何ほどの不協和音でも幅広い聴衆がそれを受け入れるという言い訳のようなことが作曲家から話された。

実はそのことが話されていた時の指揮者の表情を窺っていたのであり、そしてこれは駄目だというこちらの表情が窺われていたと思う。この作曲家は、ローマ賞もとっていたりジーメンス賞もとっていたりで、ザルツブルク復活祭でも曲が演奏され、そしてショット出版が楽譜も出していて、なんと日本語のWIKIでも紹介されていて、現在独逸作曲家協会の会長もしている。

なるほど音楽劇場作品を得意にしていて、二桁以上の作品を残している。なるほどどこかで名前は聞いたことがあったのだが、その成功は知らない。多作家である。そして今回こうした比較的立派な企画の映画音楽作曲依頼を受ける条件に当て嵌まった人物であることもよく分かった。しかし決して首席指揮者エンゲルが企画して一緒に仕事するような人材でもなかったことも想像に容易い。一体それはどういうことか。(続く
Blackmail Test Take (1929) - Alfred Hitchcock | BFI

Alfred Hitchcock | Blackmail (1929) Anny Ondra, John Longden, Sara Allgood | Movie, Subtitles



参照:
事件の真相は現場にも無し 2024-02-24 | 雑感
芸術内容の迫真性 2024-02-28 | 文化一般
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不審な男が見下ろす街

2024-03-04 | 文化一般
日曜日の午後にスイスの国境の街レーラッハまで往復した。往路もほぼ予定通り15時に前に出て、17時17分には車庫入れとなった。市街地に入るのは一昨年振りで、それ以前には用事があって人を訪ねたことがあった。日曜日の交通量も少ないのだが、国境向こうのバーゼルから夕食にでも来るような人が多く、多くの車はBSの番号を付けている。

開場迄にまだ小一時間あったので、歩いて二分ほどの駐車場から、街の中心街に向かった。それだけに中心街でも可也インターナショナルなレストランが多くて、同程度規模の街としては飲食街は盛んそうだった。中心にはドイツェバンクまでがあって、折角であるから床屋代などを20ユーロ下ろしておいた。

催し物に早乗りしている人が楽員も見かけて、やはりスイス語が聞こえる。自動支払機から出て来て驚いたのは高い柱に立っている男の姿で、一体誰がと思った。通常の銅像などよりも明らかにリアリティーに富んでいる姿なので、近くに行って確認する迄事情が呑み込めなかった。

前に廻って写真を撮る頃にようやく像だと認識したのだが、一体どこの誰だか分らない。通常はこうしたところには過去の偉人とかビスマルクが尖がったピックを付けた帽子姿で見下ろしているのだが、これは全く雰囲気が異なる。不審な男なのである。

結構なコンディトライなども日曜で閉まっていたりラニングシューズの専門店とかチョコとした店があって、それなりの経済があることは分かったのだが、やはり街は小さい。

結局18時に開場で15分からレクチャーである。その前にトイレに下りていくと先ほど見た男の小柄なのがそこにあった。ドイツェバンクが借りているステファン・バルケンホールという作家のシリーズのようなので、またこれも思わず写真を撮った。どうも感じは似ていても顔つきがやはり違うようである。お題は、「柱の大きな男像」らしい、

コーヒー一杯2.5ユーロと、駐車料7ユーロで、復路は飛ばして20時42分車庫出しで帰宅は22時50分過ぎになった。往復走行距離500km。飛ばした割にはそれほど短縮できなかった。距離はバーゼルに出かけるのと全く変わらないようではあるが、市内交通がなく、検問所もないのでやはり早い。

今後その会場に出かけることがあるのかどうかもよく分からないのだが、想定通りでかけやすいことは間違いない。舞台あいさつでそこのホールの支配人が話していたが、今回の企画はそのホールとしては画期的で、予定されていたZDF/Arteの制作にも関われたことを誇りとしていた。

その制作は昨日までの三日間を使って制作録音されていたようで、9月に放映されて、オンデマンド化される。ホールとしては名作無声映画に新たな名前を残すことになってということらしいが、その音楽的な出来栄えはどうだったかという事はこれはやはり重要になる。(続く



参照:
総合評価8.6以上の価値 2024-02-22 | 文化一般
パン屋への道のり 2021-09-10 | 生活
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必要な誤魔化す方法

2024-03-03 | 雑感
就寝前にプレーヤーの横に乗っているCDを回してみた。SWR交響楽団の非売品の実況録音で、短い楽章などがちょこっと入っている。この放送交響楽団の首席指揮者などのそれであり、ギーレン指揮「運命」からカラヤンコンクールでヤンソンスを破って一位のシムーラ指揮ラフマニノフ協奏曲三番、ピアノはベルツォンとかいう人が弾いている。

シムーラは日本なんかで受けそうな爆演風の乱暴な結局三流の指揮者にしかならなかったようだが、カナダ生まれの息子さんはミュンヘンのミシュラン二つ星のレストランの料理人のようだ。

その次にカンブレラン指揮「ロメオ」で、これは全曲録音のそれと5月30日録音が重なっている。しかし横に除けておいたのは最後のシェーンベルクの無声映画の為の音楽作品34で、作品31「管弦楽の為の変奏曲」と兄弟のような12音楽技法曲である。ツェンダー指揮で、これだけはとても価値があるお土産となった。

嘗ての放送の録音がCDなどで売られていたりするのだが、我々エアーチェック世代は放送で聴いていてさらにカセットなどで所持しているものばかりである。なるほどより若い世代では、どこでも聴けなかったものかもしれないのだが、いいものはネットにアップされていて無料で簡単に聴ける。なるほどCDではあってもハイレゾでリマスターしたりしていて音質的にはより生に近いのであろうが、抑々そうした疵物を何回も聴けるかどうか。

それ以前に繰り返して聴かれるようなライヴであったろうかとなる。今回回したCDもなるほどその音質は90年代の録音でハイレゾ録音されているので生々しい。同時に指揮者の息遣いなど放送では聴きとれなかった邪魔なものもあって、聴き苦しい。抑々生擬きの音を流していては、複製音楽の芸術性からも当然のことながら生の芸術からも離れる。

エアーチェック収集とはヴェテランがその見分けをつけれるようになる迄の作業であって、いつまでも判断がつかないようでは、全くの時間の無駄の様でしかない。人の一生などそうした無駄な時間の積み重ねでしかないだろうが。しかし芸術に触れるという事はやはり新しいことに触れるということで、それも程度の悪い古い物を何度も引っ張り出して興に入っているようでは最早アルツハイマーでしかないだろう。

靴磨きも終わった。平素使っている靴で、旅行にも、更に雪道で演奏会にまで通うので流石に草臥れてしまった。春にでもワイン試飲の序に出かけて新調しようと思うが、いいのが見つかるか。

先日配送された靴磨きクリームを使った。以前のクリームが無くなったので今回はコニャックという色を発注したのだ。どのような色合いかよく分からなかったが、通常の茶色よりも赤みが入っていて、それでもそれほど明るくはないという印象で使ってみた。大分色褪せていたが、6ユーロと高価なクリームであったが量を使ったら結構いい色になった。これで少しは誤魔化せるのではなかろうか。



参照:
リンツ風トルテの切り方 2024-03-02 | 料理
最後にシネマ交響楽 2024-03-01 | 雑感
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