Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽劇場の使命を果たすか

2024-03-12 | 文化一般
久しぶりにすっきりの週明けとなった。なによりも陽射しが嬉しい。気持ちがよい、窓を開けられる。バスルームのドアがすっきりと音もなく開く。夜中に開け閉めしたが、それでも朝が起きやすかった。早めに床に入るとそれだけ早めにトイレに行くことになるが、その後もぐっすると眠れた。

最近は日曜に運動することもないのでその傾向が強く、月曜日がいつもブルーになっていた。週末は起きる前に足を突っ張ったので以前に問題のあった足裏までが突っ張りそうになった。要注意である。やはり筋の関係であることが分かる。

18時からの実況中継を聴いた。事前に書いていたようにミュンヘンの劇場に出入りしている評論家ティーレ氏が直後に劇場から語っていたその言葉に全てが現れていた。「ただそれだけだったのは作品がよくないからだ」と。

そのようことは皆分かっていて、今回の企画を主導的に執り行っていた音楽監督ユロウスキーが、決してヴァインベルクのファンではないが、この作品はやるべきものだというのにも同じことが表明されている。

そしてこの指揮者こそは、その祖父の義理の父親が作曲家の義理の父親でもあって、最も身近な音楽家である。そしてこの作品の2時間30分に及ぶ音楽の30分を演出家のクラッツァーとの協議でカットした。そしてその責任は負うと宣言している。

演出面でも主にソビエトのプロパガンダにあたる部分をそっくりカットしたようである。そうした纏まりの悪さはなにも台本上のドラマテュルギーではなくて、音楽的な構造として恐らく全く意味を持っていなかったことぐらいは想像可能な音楽である。

なぜか数え切れないほどの交響曲も作曲していて親友のショスタコーヴィッチを越える22曲を作曲しているらしい。しかしそれを演奏させられているのはフィンランドの女流指揮者で、その質の悪さを証明していた。逆にメディア側からすれば万が一女流指揮者の破廉恥な指揮で話題になって売れれば大交響曲全集が売れるという皮算用があったのだろう。それがユニヴァーサルというユダヤ資本であったかどうかはどちらでもよいだろう。

そしてヴァインベルクの義理の父親がモスクワの映画楽団の仕事中に心臓発作で亡くなり、翌日には作曲家本人も「コスモポリタン」として死者と同時に逮捕される。ユダヤ人は世界中のコンタクトのある根無し草の民なのでソヴィエトでは表向きとは異なりそのように呼ばれ迫害された。

生中継番組の休憩時間には、10月7日以降のユダヤ系住民への危機が語られた。全てのユダヤ人は如何なる形でもイスラエルと結びつけられていて、それを護ることが宿命となっている。だから反イスラエルそのものがアンティセミティズムとされると語っていた。

亡くなった夫の灰壺を抱えたアウシュヴィッツ生き残りとそこの少女看守が客船で隣通しのキャビンで旅をする。まさにこれこそが音楽劇場の使命である。
Trailer zu DIE PASSAGIERIN




参照:
夕方から初日生中継 2024-03-10 | 暦
生きているだけでいい? 2023-10-04 | 文学・思想

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