Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

なんとなしの風通し

2024-03-06 | 文化一般
昼間は暖かくなっても朝晩が冷えたりで花冷えに近い。更に絶食シーズンがあったりで風邪をひきやすい。

特に日曜日の午後の陽射しの中で薄着して出かけて、深夜帰宅して、更に週明けに走るまでに夜食以降真面に食事をしていなかったので、体調を壊したようだ。

夕方で気温も一桁へと下がっていたので、結局パンツも脱げずにそろそろと走っていても薄く汗を掻いた。こういうことをしていると、身体が冷えやすい。

兎も角室内から暖房を切るという思い切ったことをしたので、少々冷えるのは覚悟しているのだが、やはり陽射しが射しこまないようでは鬱陶しい。

アルコールの消費も落としているので、温まるとなると熱いお茶が多い。特にファーストフラッシュのダージリンは飲みやすいので、結構頻繁に淹れている。若干面倒で、おた貯めたりでお湯をたくさん使うのだが、生暖かい部屋にいるよりは温かみが有難い。

さてそろそろ来週の準備である。ブラームスのセレナードや六重奏をお勉強する。最初の曲は室内交響曲のようなもので指揮者のアバドなども振っていたようだが、後者は四重奏団プラスαで演奏されることが多い。今回は交響楽団の室内楽合奏なのでまた一寸異なる趣となるのか。低音弦の使い方とか色々と見ていかないといけないが、昨年の「ハイドンの主題による変奏曲」からの流れが出発点となるだろうか。

歌曲の方は、作品14から作品106迄の様々な創作時代の作品が並べてあって、一望する形になっているのだろう。お勉強する方としては大変なのだが、その前に講演会で19世紀の後期ロマン派の作曲家としてのブラームスをその独自性として国際的な比較をするという。より範囲は広くなるのだが、実はこれは次のシーズンの最初のブルックナー交響曲五番におけるそこで更に話題となる見識であろう。

ベルリナーフィルハーモニカーが、交響曲五番で以って第二次のアメリカツアーを行う為、当然のことながらそれが相対化されたところで捉えられる。当然のことながら今日におけるブルックナーの交響曲の位置づけがそれによって定まるに違いない。

同様な事柄は、日曜日に再放送されたスメタナ作曲「我が祖国」がこの四月にはプラハの春の初日を今度はフィルハーモニカーの演奏で飾ることになるので余計にこうしたローカリズムが欧州の中でしっかりと位置付けられる。

スイス国境の街は三ヵ国の交わる所とされる。それは同時にグローバルの中でのローカルの特徴であって、公演のあった文化施設においてもそれなりの主張はあったように思われる。強化ガラス張りに階段とか、先の像とか、壁に掛けてある美術的展示など、それはそれなりの趣味と選択があって、こうした小さな街の施設としては十二分に芸術的であった。どちらかというと、南ティロルとかそうした文化が混じる所の趣味と共通の風通しの良さが感じられたということかもしれない。



参照:
不審な男が見下ろす街 2024-03-04 | 文化一般
禿は近くでもうつらない 2023-10-24 | 文化一般
コメント
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