Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

あとから仄々思うもの

2022-03-18 | 歴史・時事
福島沖の地震の速報を見てから出かけた。短いコースを走ってきた。右足には違和感が残っていた。前回の走りは月曜日だったが、火曜日に普通の靴で少し動いた疲れが出たのだろうか。空はサハラ砂漠からの降砂で光が射さないので寒く感じる。もう少し続きそうである。それで気持ちも冴えないので頂上アタックを早々と断念する。その代わりに短めにその途中まで走っておいた。漸く左足でも蹴れるようになってきたがまだまだバランスが悪い。金曜日にどのような状態になっていることだろうか。帰宅の車中のラディオでは、東海、福島原発には異常がないことが伝えられた。地震の度のこの様な情報が流れれば、ドイツにおける原発の延長どころか、老朽化休止の延長なども到底考えられない。

パン屋でニンジンのケーキを購入した。枠に入っていて7ユーロ近くした。アーモンドも入っているようだが、何日ほど楽しめるだろうか。切るとボロボロする。復活祭のウサギの為の餌かどうかは知らない。

パン屋の本店前の道路が工事中で休店している。同じ町の新興住宅街にも支店があって、そこでも製造可能な様で、半日をこの期間時間延長してやっている。スーパーには近いので、寧ろ近いぐらいである。

ウクライナのクリミア半島の北西の右岸出身の女性に話を聞いた。母親がそこに住んでいるのだが、既にこちらに避難していている。爆撃は部分的だが不安でどうしようもないという。それでこちらから電話などで毎日知り合いに電話をとっているらしい。一先ず元気そうでよかったが、また事情が変わってくるのでこれからが大変だと思う。何が出来るか分からないがという話しをした。少なくとも思ったよりも元気そうでよかった。

2015年のノーベル文学賞受賞者スヴェトラーナ・アクセイヴィッチの二年前のシュトッツガルトでのインタヴューを聞くと、問題は民衆にもあることは分かる。70年間も収容所にいたような人々が自由になって街に繰り出してもなにも民主主義どころか右往左往するだけというのだ。同じような事象は、東ドイツでも同じような時にみられ今でも続いている。

少なくともロシアにおけるその信条は、2015年に指揮者のゲルギーエフが語った話しの中に全てが凝縮していた。エルツィン時代の混乱を救ってくれるプーティンが救世主であって、世界の中でのデフォルトの経済のロシアの地盤沈下と自信喪失から救ってくれたのだった。まさしくプーティンの語る地政学的な根っこである。

再びそこで自信を纏って将来への希望を見出すためには、スラヴの兄弟国を手下にしたソヴィエト版ロシア帝国再構築が重要なイメージとなった。そこには嘗ての栄光としてありもしなかったありもしなかった「青春自体はあとから仄々思うもの」があって、歴史修正本などが喜ばれて消費される由縁なのだ。指揮者ゲルギーエフのチャイコフスキー演奏実践はそのものであった。

大坂って、天下をとっていたのはいつの時代とか、そうした馬鹿々々しいネトウヨ談義が花咲くところに、致命的なカタストロフを呼び込む時間の間隙があって、必ずしもリセット可能とはならない物理が横たわる現実が存在する。



参照:
プーティン登場の音楽劇場 2022-03-17 | 音
芸術音楽が表現するもの 2022-03-07 | 文化一般

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