Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

生きているだけでいい?

2023-10-04 | 文学・思想
承前)10月3日ドイツ統一の祝日である。この日のベルリンでの新制作「メデューサの筏」追加最終公演ほど相応しいイヴェントはないものと思う。「68年には未だ狭窄があった時よりも、今日においてのように、この作品がより豊かに現実政治であって、本質的なことはない。」と2025年からミュンヘンで新制作「指環」を演出するトビアス・クラッツァーはバイエルン放送協会に語った。

この作品はこの数年間においてもより政治的な事として上演されてきているのだが、ここでは敢えて具体性が避けられて、この演出家特有のとても考えられた中でのやりっ放しの演出となっている。勿論そうしたコンセプトはこの会場の音響などを含めての指揮者の判断ともなっている。

しかし同時に報告者は、この上演で現在の難民問題そして植民地への航海の往きはよいよいの船旅の中での様々な社会層そして水遊びの風景などを観て、行楽地に行くと地中海の大規模水葬場で泳いでいると感じるだろうと書くように情動的に揺すぶられている。その様に音楽が書かれているのだが、それは激しさを増す環境運動へであったり、資源不足へと聴者を引き込むことになる。

それ以上に演奏はとても未だに刺激的な音楽を為しながらも演出がという評も初日からあったのだが、最初の評者はより大きな観想を語っている。

即ち、如何により快適な自己選択をしていても、それでも戦うことに意味があるというテーゼを導き出している。座礁した船からの逃避、そして曳航するボートからの切り離し。
Das Floß der Medusa | Trailer | Komische Oper Berlin


それは最終場面での格納庫の大きな扉が開き、滑走路へと生き残りが導かれる時に明らかになる。そこでの問いかけであった。個人的にはマルタ―ラー演出のアイヴスの最終作「宇宙」のボッフムのトリエンナーレのヴィデオから人々が吸い込まれていく「ガス室」を思い浮かべたのだが、ここでは生き残りが故郷フランスに戻った時の社会が語られている。
Trailer: Universe Incomplete, Ruhrtriennale 2018


難民問題は、環境問題は、資源の問題は、そのもの「より快適な住処」にいる我々のそのものであるということだ。その為に生存競争があり、その社会の構造を目の辺りに実感させることがこの音楽劇場のコンセプトであった。

前記の「狭窄」に示唆されていたようにその冷戦時代には別の政治文化的な要素から到底気が付かなかった世界の秩序が現実政治においても環境問題においても資源問題においても実感可能な課題となって来ていて、そもそもその社会自体が機能していないということに気付くということである。

選択的に生かされていて、最終的に何処に連れていかれるのか?クラッツァー演出は昨年フランクフルトで同じエンゲル指揮の「マスケラータ」で「有りの侭の自分」を示していたが、今回はより広く、インテリ層ではなく、東ベルリン出身者や移民の背景のある人たちにもエンタメを装いながらも同じように音楽的な効果から実感してもらい、更にそこからありうるべき姿勢が問われている。創作者の意図を顧みれば、これ以上な上演の効果はないように思われる。同時にその作曲の価値と真意が漸く顧みられることになった。(続く)



参照:
"Kämpfen lohnt sich": Polit-Oper "Floß der Medusa" begeistert, Peter Jungblut, BR24 vom 17.9.2023
オペラの前に揚がる花火 2023-09-19 | 雑感
「ありの侭の私」にスポット 2021-11-05 | マスメディア批評

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