Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

お家芸の指揮棒飛ばし

2023-03-26 | 
暫くはリヒャルト・シュトラウスの作品に没頭する。だから土曜日のハイデルベルガーフリューリンクの演奏会のイムプレッションを手早く纏めておきたい。

19時30分始まりである。ハイデルベルク大学の大講堂が使われる。その前に18時45分からガイダンスとなる。17時30分に出れば充分に間に合うだろう。その前に走る時間はないがそれは仕方がない。結局燃料も比較的安かったので20リットル補給しておくことにした。17時過ぎに出て、マンハイム周辺の交通規制を搔い潜ると結局到着は18時20分頃になったので一時間かけた。幸い会場前の大学の敷地に駐車できたので、始まる前の時間に写真を撮りに行けた。

会場の大学新講堂はあまり記憶がなかった、先ずはその建物内の中講堂で、演奏のブレーメンの室内管弦楽団のアンニャ・マンティーの話しがあった。立ち見が出る程の好況だった。ヴィオラで主題を弾きながらでよかった。なかなか多才が楽員がいる。

お目当ては、最初は歌のアスミク・グリゴーリアンだったが、最近の声の傾向からしても若干期待が薄くなった。実際に二曲目で「マラヤ―グヤ」では声が通り難かった。嘗ての声ならばと思った。会場には復活祭準備も佳境に入っているバーデンバーデン祝祭劇場の支配人スタムパも来ていたが、あれでは昨年のリ―ザの歌唱も厳しかったと思わなかったか。

それでも「自殺」の表現主義的な歌唱や「詩人の死」の子守歌になる所の歌も素晴らしかった。やはりネトレブコが評するように巧い。それに引き換え第一曲目のバスの響きを轟かしたマティアス・ゲルネはそれだけだった。何を歌ってもドイツ語でも適当な抑揚をつけて歌詞がはっきりしないところで、ロシア語となると更に酷い感じだった。

さてもう一つのお目当ては指揮者のタルモ・ペルトコスキであった。動画で見ていた想定を超えていた。高名なパヌラの弟子として14歳から振っているので、他の指揮者同様に振れることは分かっているのだが、それ自身の音楽を指揮して表現する力はピカ一で、サロネンの日本デビュー時よりも大分いい。指揮棒を飛ばすのはお家芸か。二本準備しておけと言いたい。

音響以前にその音楽がよく分かる指揮で、最も有力と感じたのはフレージングで流して刻まないでも拍節感がはっきりしていることで、名前からしてもロシア語はネイティヴじゃないかと感じた。要するにペトレンコなどと同じ長所を持っている。これは現在シベリウス音大の学生さんとしてリントウやサラステの指揮者にも習っているようだが、彼らには出来ないものであり、その音をしっかりと細やかに指揮で繰り出す力はあの些かいい加減な指揮流派からと思わせる。

それと変わらず素晴らしかったのはブレーメンの室内楽団で、以前のイェリヴィ指揮等の時は巧いと十二分には知っていたが、この指揮者の下でとても積極的に演奏可能な超一流楽団と再認識した。



参照:
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