名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

名古屋空襲犠牲者追悼の夕べ

2011-03-19 22:31:51 | Weblog
2011.3.19(土)
 66年前の3月19日は名古屋の市街地をB29が襲って焼野原にした日だ。その空襲で焼死した人を悼んで、戦争と平和の資料館ピースあいちでは追悼の夕べを催した。折りしも、東北関東大震災で多数の犠牲者が出た直後でもある。併せて哀悼の意を捧げることとした。
 この催しの中で、昭和20年3月19日名古屋市中区御園町でB29の空襲に遭遇した津田さゑ子さん(当時国民学校1年生)がその体験を詩にして語ってくれた。

   『大空襲の夜』
私が生まれた街   名古屋市中区御園町が   一夜で燃えつくされた夜を
今もはっきり憶えている

昭和20年3月19日の夜   空襲警報のサイレンが終わるや
B29が轟音を響かせ     大きな姿を現わした

着の身着のまま寝ていた私   「急いで」と母にうながされ
小走りで外に出てみれば    いつもと違うそのありさま
あちこちから焼夷弾の     煙と炎が立ちのぼる  

家族揃う術もなく   前に決めた場所目指し  広い通りへ出てみれば
逃げまどう人がひしめいて   大きな荷物をしょった人
重そうな大八車やリヤカーが  北へ 南へと流れて行く

乳母車を押す母は   3歳の妹をおんぶして  必死で歩く私を気づかう
中学2年生の兄は   重たくなった自転車を捨てたいのを
我慢して喘ぎながら引いていた

ゴーゴー バリバリと容赦なく  炎は街を嘗めまわす
焼けたトタンが空を舞い   大きな塊が飛び出して  小さな火の粉は雨霰

真昼のような明るさで   ビュービュー熱い風が吹く
小さな体は熱をおび    目 鼻 口は カラカラだ

目指すは前に焼けた跡   広い空地になっていた
ばらばらに家を出た母子  奇跡的に巡り会い  うれし涙が頬濡らす
ほっとする気も力無く   恐怖と疲れで眠れない

東の空が白む頃   霞の中で太陽が   白く丸く(まーるく)浮かんでいた 

父にはまだ逢えないと  不安の気持ちおし隠し  我が家へ向かうその道で 
目にとび込む光景は   くすぶり続く焼野原  
立ち木はどれも黒こげで  姉の指さすその先に  四角く残るデパートだけ 

ふと後方に目をやれば  大須観音がまるで  まっ赤なお椀を伏せたごと
きれいな形で焼け崩れ  今なお眼裏(まなうら)に残っている

ようやく我が家に辿りつき  くすぶり続ける焼跡に  呆然と立つ父を見た
幽霊でないとわかった時   互いの無事に感謝した

けれどこれから何処へ行く?  父と母は思案顔

その時父の旧友が  知多の方から自転車で  訪ね訪ねておにぎりを 
お見舞いとして下さった 
地獄で仏に会ったようで 皆んなで美味しく頂いた 人の情がうれしかった 

でも本心は味気なく  悲しい思いが増すばかり
自慢にしていたおひな様  兄の大切な本箱も  姉の新しいオルガンも
みんなみんな消え失せた

神風が吹いて勝つと言われた戦争は  多くのものを灰にして
子供や大人を苦しめる これが戦争ということなの? 幼い私にはわからない

私は中ノ町国民学校1年生  焼けた日を境に先生や友達に
一度も会うことはなかったのです

最新の画像もっと見る

コメントを投稿