名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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元横綱大鵬死去

2013-01-20 10:16:23 | Weblog
2013.1.20(日)
 日本の戦後、経済の高度成長期を生きてきた日本人として、最も心に残る一人であった最強の横綱、大鵬こと納屋幸喜さんが昨日(19日)死去した。享年72歳。
 1940年、当時の樺太(現サハリン)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ引き揚げた。
 56年の秋場所、16歳で初土俵を踏んだ。59年夏場所の十両昇進を機に大鵬と改名、60年初場所で新入幕、同年九州場所で初優勝し、61年九州場所で第48代横綱に昇進した。21歳3か月の横綱昇進は、北の湖に抜かれるまでの最年少記録だった。
 同時に横綱に昇進した柏戸と大相撲の黄金期「柏鵬時代」を築き、全勝優勝8回、六連覇2回、45連勝、通算872勝など無類の強い力士だった。当時の子供が好きな言葉として「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語が生まれたが、努力一筋で角界の頂点に上り詰めた大鵬は「裸一貫でやってきた自分と金で選手を集めて強くなった巨人とは違う」と反発したというエピソードがあるという。
 71年夏場所で引退し、一代年寄りの大鵬部屋を創設したが、77年に脳梗塞で倒れた。懸命のリハビリで復帰し、80年には日本相撲協会理事に就任した。
 1989年、大鵬が名古屋場所担当部長を勤めていたとき、世界デザイン博覧会の名古屋城会場での開会式で一緒にテープカットをしてもらった記憶がある。写真で見るとおりの温厚で誠実な人柄を感じさせたことを覚えている。
 慈善活動に力を入れ、日本赤十字社に毎年、血液運搬車「大鵬号」を送り続け、09年までに70台に達したという。
 高度成長期の日本人の心のふるさとでもあった大鵬関の冥福を祈る。

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