名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

ファッションジャーナリスト織田晃さん死す

2016-10-10 19:21:17 | Weblog
2016.10.10(月)
 織田晃さんが10月3日、亡くなった。70歳の若さであった。死因は食道がんという。
彼は繊研新聞者に入社して記者となり、編集委員、WWDジャパンのファッションディレクターを経て2005年、ファッションジャーナリストとして独立。日本におけるファッションジャーナリストの草分けとして活躍した。
NPO法人ユニバーサルファッション協会名誉会長、ファッションビジネス学会ユニバーサルファッション研究部会理事長を歴任し、杉野服飾大学特任教授としても学生を指導してきた。
 彼はファッションジャーナリストの先駆けとして、コレクションを報道し続けた。プレタポルテの黎明期から取材を続け、日本のデザイナーのパリ・コレクション進出の過程を見届けた。
 ジャンポール・ゴルチェやアントワープ6の台頭、トム・フォードをはじめとするクリエイティブディレクターの時代を様々な角度から切り取った。新しい才能を見いだす目も卓越していた。「クリツィア・トップ」を手がけた当時無名のアルベール・エルバスを大きく取り上げた。
 編集者としてだけでなく、イベントの企画立案でも才能を発揮した。繊研新聞者主催の東京新人のクリエーターズコレクション、2000年11月にはジャーナリストのスージー・メンケス氏を招いてのファッションシンポジウムなどを主導した。
 服と時代の距離感を図り、服を通じて冷静な目で時代を語ろうとした。ランウェーだけでなく、ロンドン・パンクや竹の子族といったストリート・カルチャーにも目を向けて、時代と服のあり方を探った。近年はユニバーサルファッションやサスティナビリティーなど、ファッションの新しい可能性についても言及していた(以上繊研新聞記事より)。

 その織田晃さんの通夜が8日午後6時から、葬儀告別式が9日午前10時から、品川区五反田の桐ケ谷斎場で執り行われた。
 繊研新聞が伝える彼の活動からか、実の多くの人たちが弔問に訪れた。彼の友人がアレンジした音楽をBGMにして一人ひとりが献花する形で通夜式も葬儀も行われた。葬儀では3人の方から感動的な弔辞が贈られた。
 献花する人の中でも多くの人が涙していた。今にして彼の人柄と存在感が浮き彫りになった感である。
 何を隠そう、彼こそ筆者の義理の弟である。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (みんなの願い)
2021-12-06 14:04:02
いつも、楽しみに読ませていただいています。
ここ暫く…?お休みされているのでしょうか?
また、読めるのをまってます。

コメントを投稿