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南京事件の総括 - 4 ( 「東京裁判」の仕組みと全体像 )

2019-01-14 08:11:51 | 徒然の記

 今回は、田中氏が説明する「東京裁判」の仕組みと全体像です。

 「このような、占領軍による恐怖政治の嵐の中で、昭和21年5月3日 午前11時20分、市ヶ谷の、旧陸軍士官学校講堂において、国際東京軍事裁判が開かれた。」

 「約200人のA級戦犯容疑者の中から、28人が選び出され、」「27億円の裁判費用は、当時連合国軍の占領下にあった日本政府が支出した。」

  「判事は、連合国のうちイギリス、アメリカ、中華民国、フランス、オランダ、ソ連の7カ国と、」「イギリス連邦の自治領であったオーストラリア、ニュージランド、カナダ、」「そして当時、独立のブロセスにあったインドとフィリピンが、派遣した。」「検事もまた、同じ国から派遣された。」
 
 「裁判長は、オーストラリア代表判事のウエッブ、主席検事は、アメリカのキーナンで、」「マッカーサーがこの裁判を主催し、裁判の法的根拠となった極東国際軍事裁判所条例の発布、」「および判事、検事の任命も、彼の手によって行われた。」

  後年になり裁判長のウエッブや主席検事キーナンの横暴さが、日本人の間で論争されますが、私に言わせれば、そのような議論は無意味です。ウエッブもキーナンも、道端に転がっている石コロみたいな役割です。肝心なことは、偏見に満ちた日本蔑視の判事と検事の任免権を、一手に握っていたのがマッカーサー元帥だったという事実です。

  「マッカーサーが主宰する裁判だった」と、田中氏が説明しているように、東京とアジア各地での裁判は、マッカーサー元帥による「復讐裁判」でした。

 彼は、フイリピンから自分を追い出した日本軍に、烈しい敵意を持っていました。マレーの虎と言われ、猛将の名で知られていた山下奉文大将を、まるで一兵卒のように、囚人服のまま絞首刑にしたのもその一例です。

  元帥の父アーサー・マッカーサーは、フィリピンの初代軍政総督でしたから、さらに日本軍を憎悪して理由になります。彼にとって東京裁判は、母国アメリカへの忠誠心を示すものであると同時に、復讐を実現する絶好の機会でもあったという気がします。
 
 「敗戦国の指導者を、戦勝国が軍事裁判にかけ処刑するということは、かって歴史に、」「その例を見ないことであった。」
 
 「第二次大戦後、戦後処理を巡って、英、米、仏、ソの、4大国の代表が集まり、」「ヒトラーがひきいたナチス・ドイツの、傍若無人の侵略性と、凶暴性を、将来の見せしめのため、どう断罪すべきかについて協議した。」「戦勝した4大国は、次の2点に関し意見の一致をみた。」
 
    1.    独裁者ヒトラーが一握りのナチス指導者と共に、世界制覇の野望を遂げるため、近隣諸国をむやみに侵略し領土や財物を強奪するなど、暴虐の限りを尽くした。
 
            これは断じて許しがたいことである。将来の平和のため、断固として裁判にかけ処罰すべきである。
 
  2.      アウシュビッツに殺人工場まで作って、ユダヤ人狩りを行い、600万人という大量の人間を、大掛かりな組織のもとに、計画的に殺害した。このような非人道的な行為は断じて許すことができない。
 
 次に続く田中氏の説明は、息子たちに伝えたい重要な事実です。
 
  「四カ国の合意により、ニュルンベルクに国際軍事裁判所が設けられ、」「ナチス・ドイツの首脳を、裁判にかけ、」「処刑することになった。」「この裁判を行うため、従来の戦時国際法にはない、平和に対する罪と、」「人道に対する罪の、二項目が設けられた。
 
 「ニュルンベルク国際軍事裁判条例 が作られ、これにより、リッペンドロップ以下ナチス・ドイツの戦犯が処刑された。」「22人の被告のうち、死刑12人、終身刑3人、有期刑4人、無罪3人であった。」
 
  ニュルンベルク裁判については別の数字がありますので、正確な説明をするため今回はここで止めます。
コメント (4)
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