本が出版された平成 4年がどういう年だったのか、調べてみました。高橋氏が得意そうに、愚にもつかない報道指針を並べるのですから、景気の良い年だったのかも知れません。
「バブル景気は、この年に過去のものとなったが、また景気が持ち直すだろうと、楽観的に捉えている風潮が強かった。」「内閣総理大臣: 宮沢喜一、内閣官房長官: 加藤紘一、12月より内閣官房長官: 河野洋平。」
以上が概況で、主な出来事が次のようになっています。
3月 東海道新幹線で、「のぞみ」が運転開始
長崎県に、ハウステンボスが開業
4月 太陽神戸三井銀行が、さくら銀行に社名変更
5月 国家公務員の、週休二日制スタート
細川護煕前熊本県知事が中心となり、日本新党結成
『サザエさん』の作者として知られる、漫画家の長谷川町子が死去
7月 山形新幹線開業
任天堂が、スーパーファミコンマリオの発売開始
JR東日本が、山手線の全駅で禁煙実施
8月 金丸信が、東京佐川急便から5億円を受領した問題で、自民党副総裁を辞任
9月 毛利衛が、スぺースシャトル・エンデバーで、宇宙に向けて出発
全公立学校で、毎月第2土曜日を休業日とする、月1回の週休五日制スタート
10月 天皇 、初の中国訪問
懐かしい出来事ばかりですが、26年前のことなので知らない人が増えているのかも知れません。それにしても宮沢内閣は、官房長官が加藤紘一氏と河野洋平氏というのですから、民主党内閣に負けない自民党の最低内閣でした。見識のない高橋氏の著作が出版されるのに、ふさわしい年です。
偶然というものが、確かにあります。抜き書きした最後の出来事が、「 10月 天皇 、初の中国訪問」でした。途中を全て省略してもここだけはブログにしたいと、著作で唯一興味を抱いたのが、皇室に関する叙述でした。
誠に突然ですが、予定を変更いたします。
昨年の12月27日の千葉日報を只今手にし、唖然としました。共同通信社の反日左翼ぶりが現れている、格好の記事です。書評よりも、同社の反日姿勢が分かる記事ですから、予定を変更してでも取り上げます。
「追憶」というタイトルで、故人の思い出が、写真とともに語られる特集ページです。紹介されている故人が輪島大士、芦田淳、長部日出雄氏の3名と、残るもう一人が仙谷由人氏です。
去年の12月26日から、31日の大晦日の夜まで、6回の連続で佐々淳行氏の『彼らが日本を滅す』の書評を書きました。その中で氏が許す事のできない政治家として、厳しく糾弾していたのが仙谷由人氏でした。
12月27日の記事では、その仙谷氏が誉めそやされています。柿崎明二と、記者の署名まであります。まず記事の見出しを、紹介します。
「日本の宿痾を追求した、政治家」「10月11日、72才で逝去」「発した生々しい気迫」・・掲載した写真に添えられた説明文も、転記します。
「2009年3月、衆議院消費者特別委員会で、質問する仙谷由人さん。」「消費者庁の権限について、当時の麻生太郎首相が示した法解釈を、でたらめなどと厳しく追求した。」
反日左翼過激派の思考を政治に持ち込み、日本の政治機構を批判し、中国へ屈辱外交をして国威を貶めた氏を、なぜここまで無批判に褒められるのか。疑問だらけの配信記事です。長いので一部だけを紹介します。
「生々しい気迫を発する、数少ない政治家だった。」「最初に感じたのは、20年余り前、野党時代の質問だ。農水省事業の価格高止まり要因である、農水省と企業の癒着にメスを入れるためだった。」「農水省のOBを抱える企業が、落札していることを明らかにした上で、関連資料の提出を迫った。」
「その気迫を、直接ぶつけられたことがあった。2009年8月の衆議院選で、政権獲得が決まった時の会食の場だった。」「政治には野党が大事ですから、これからは自民党を応援することにしますと話しかけると、憤怒の形相で睨み返された。」
「偏らずに報道するという意味だったが、仙谷氏には、筆者の軽い口調が許せなかったのかもしれない。」
軽いというよりこの記者には、常識が欠けていますし、政治的信念がありません。マスコミが常に野党を応援するとという姿勢でいくというのなら、仙谷氏でなくても聞き捨てならない軽薄な言葉です。
「中国漁船による海上保安庁の巡視船衝突事件では、官房長官として、一人矢面に立った。」
こんな書き方をされると事情を知らない人間は、仙谷氏が孤軍奮闘し、問題解決にあたったように誤解します。佐々氏は著書の中で、「中国漁船による衝突事件」でなく、「中国漁船による体当たり事件」だと政府とマスコミの発表に抗議をしていました。柿崎記者はここでも「衝突事件」と、事実を糊塗した言葉を使っています。
「命をかけて国民を守る警察官、自衛官、海上保安官を敵視する政治家は、二度と、官房長官の要職につかせるわけにいかない。」
佐々氏が遺言として残した著書の中で、最も強調した意見が、この追悼記事で消し去られています。佐々氏は去年の10月に87才で亡くなっていますから、「追憶」の特集記事で取り上げられるのは、仙谷氏より佐々氏ではないかと思うのですが、反日左翼を支援する共同通信社には、そのような思考がありません。