「平成の皇室」というタイトルがあります。書かれている文章を、紹介します。
・平成の皇室には、昭和天皇のころと比べ様々な変化がうかがえる。
・即位後、朝見の儀のお言葉の中で天皇は、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」、と述べた。
・国民に皆さんと呼びかけることは、昭和天皇時代には考えられないことだった。新閣僚の認証式では、昭和天皇の「ご苦労である」から、「ご苦労に思います」と、ですます調の言葉遣いになった。
・私的な外出では、赤信号のたびに車をストップさせたり、侍医のおしつけ ( 毒味 ) や、就寝前の検便拝診も中止された。昭和天皇が経験したこともない、人間ドックも受けるようになった。
・即位後初の外遊は、東南アジア三カ国になった。
・平成の皇室外交を占う意味から、どこを最初に訪れるのか注目されたが、タイ、マレーシア、インドネシアに決まり、昭和天皇が行かなかったアジア重視の姿勢が見られた。
・昭和とは違う新しい風が、皇室に吹き込んでいる。
叙述はまだ続きますが、ここまで読むだけで不愉快になりました。開かれた新天皇が誕生されたと親しみを込めて書き、著者が昭和天皇より新天皇に心を寄せている気持ちは理解するとしても、客観的な文章ではありません。
・今上陛下を立派な方として語るについて、異論はありませんが、わざわざ昭和天皇と比較し、以前が尊大であったかのような表現は妥当と思えません。
天皇のお言葉が「ですます調」に変化したことや、国民に「皆さん」と、呼びかけられるようになられたことは、昭和天皇との比較で強調しなくてもできることです。著者は、昭和天皇と今上陛下の違いを、どうしてここまで善悪の色で語ろうとするのでしよう。
「汝臣民」と、昭和天皇は国民に語りかけられましたが、陛下が生きられたのは、そういう言葉しか使わなかった時代です。共同通信社の社員は歴史を考えていないのか、あるいは「東京裁判史観」に染まり戦前を悪しきものとして語ろうとしているのか。私には、後者の悪意が見えてなりません。
陛下を語る言葉遣いにも、礼節がありません。
「天皇が言った。」
「天皇が訪れた。」
という書き方には、陛下への敬意がありません。彼らがこうして日々失礼な言葉で記事を書き、全国津々浦々に発信すれば、いつの間にか国民が敬意の念を失っていきます。
共同通信社が配信する地方紙の部数は、全国紙の朝日や読売を上回っていますから、この事実だけでも、私は同社を全国紙に劣らない反日左翼マスコミと断定します。さりげなく皇室を貶め、国民の気持ちを遊離させる巧妙なやり方を、たとえ偏見と笑われても指摘します。
「侍医のおしつけ ( 毒味 )」や、就寝前の検便、拝診も中止された。」
「昭和天皇が、経験したこともない人間ドック」
のことなど、何のためわざわざ書くのでしょう。
私の知る噂話では、美智子様がこうした習慣を嫌悪されたので、今上陛下がご自分の代で止められたと伺っています。著者の説明では、今上陛下が合理的近代的思考をされており、昭和天皇が旧弊だったとそういう批判に読めます。
市民目線で、社会正義のため記事を書くと公言するのなら、こうした情報がどこから、何のために公にされているのかを検討をしなかったのでしょうか。
・天皇の几帳面な性格も、随所に現れている。例えば国賓が来日した際の、贈り物の交換だ。
・日本側からは陶器の花瓶や、蒔絵の宝石箱などを贈るが、天皇は自ら相手国によって何が一番ふさわしいか、じっくり、吟味して決める。気配りを示す、一例とも言える。
・昭和天皇は、全部側近任せだった。
・今の天皇は、何かにつけて細かい面があり、来日直前まで決まらずやきもきすると漏らす、宮内庁職員もいる。
・お言葉にもぎりぎりまで手を入れるため、なかなか決定版ができないこともあるという。
昭和天皇の時代には、こうした皇室の私的なことは外に漏れませんでした。
野次馬根性のマスコミには興味深くても、一般の国民には知る必要のないことばかりです。私もそうですが、国民の多くは誰がこのように情報を漏らしているのかと、そちらの方を心配するのではないでしょうか。
宮内庁の人間にしか知り得ないないことですから、皇室をお守りすべき人間が何かの目的で内部告発をしているとしか考えられません。お金のためか、反日左翼の人間なのか、とんでもない不届き者です。
共同通信社の高橋氏は、
「昭和とは違う新しい風が、皇室に吹き込んでいる。」
とトンマな意見を言う前に、
「昭和にはいなかった、内部告発者が出てきた。」
と、そちらの方に警鐘を鳴らすべきでしょう。それともこの内部告発者は、共同通信社から謝礼をもらいスパイ行為をしているのでしょうか。
今上陛下に関するご説明も、誉めているのか悪口なのか不愉快な文章です。高橋氏に説明されなくても、今上陛下については国民の方が知っています。陛下がなぜこのように慎重なのか国民の多くが知っています。
陛下は天皇になられる以前から、なにごとも美智子様とご相談の上決められていました。「男女平等」を信じておられますから、何ごともおふたりで相談され、しかもそのご様子を国民に伝えられ、「開かれた皇室」を作ろうと努力されていました。
国賓への贈り物がなかなか決まらないのも、お言葉のお手入れに時間がかかるのも、美智子様の同意がなくては、陛下が先へ進まれないからです。
「皇室の内側」を公にすることで、国民との距離が縮まり、皇室への親しみが強くなるとお考えだと聞きます。陛下と美智子様のおかげで国民は色々なことを知りましたが、私は少しも喜んでいません。
皇室内の人間関係や皇室の方々の恋愛、友人関係や服装まで、週刊誌が書き立てていますが、こうした風潮は昭和時代にはありませんでした。陛下を始め皇族の方々がゴシップまみれになり、芸能人のように扱われていることは、国民の敬意や親しみの念を深めることに役立っているのでしょうか。
私はここで度高橋氏が語った「報道指針」を、思い出します。