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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

共同通信の記事は、国民への挑戦 - 8

2019-01-27 15:49:49 | 徒然の記

  2. について述べる予定でしたが、時間と手間が勿体ないので省略します。

 氏の意見の要約をしますと、

  ・「偏狭な保守・ネトウヨ」が、移民法案に賛成し、

  ・「国際志向の野党」が、移民法に反対した。

 これでは、まるで立場が逆ではないか・・という指摘です。

 ネトウヨが賛成したという氏の意見は、前回のブログで嘘だと判明しましたから、これ以上バカ話につき合う必要を感じなくなりました。

 氏は「ナショナリズム」という言葉を、

 「国民国家の主権や、国益を根拠とした主張」

  と、定義しています。

 今回野党は「移民法案」に対し「ナショナリスト」として振る舞い、反対したのだと韓国や中国並みの強弁を展開します。

  ・「ナショナリズム」に頼るというのは、抽象的な理念には人を動かす力がないからだ。

  ・大衆的な動員力を持っているのは、私たちに固有と感じられる文化や、生活様式を巡る具体的な経験である。

  ・私たち流の生き方を遵守する、仲間との間に感じられる具体的な絆は、人に安心感と甘い快楽を与える。」

 ここで氏は「ナショナリズム」には具体性がなく、大衆的な動員力を持っているのは、固有の文化と生活様式の中にある「絆」と言っています。しかし氏は「安心感」と「甘い快楽」という「絆」の説明を具体的に語りません。私にはこの「絆」こそが、反日の氏が切り捨てるべき抽象的理念のような気がします。

 「移民法」の国会の騒ぎの中で反対した野党のどこに、ナショナリズムがあったのか。氏の失滅裂さについていけません。

 今度は、次のように意見が変わります。

  ・その具体的な絆のもとになる、私たち固有の生活様式こそ、真に抽象的な観念である。

  ・それは私たちの生活世界も、グローバルな規模の金融的、情緒的、社会的なネットワークの一部として、その力学に規制されているという事実を覆い隠すスクリーンである。

 たった今、「ナショナリズム」に具体的な動員力がないと語り、具体例動員力は「私たち固有の生活様式」と語説明しながら、今度は否定しています。

 こんな文章が、読者を惑わす偽学者の常套手段です。田舎の祭りに、「ガマの油売り」というのがいました。言葉たくみに、見物人を集め、思いがけないことを言い、面食らっている善男善女に、結局はガマの油を売りつけるという喋り方に似ています。

 ニセ学者が長々と説明する時は、たいてい嘘が混じっています。氏の意見が良い見本です。きっと氏は、自分でも何を言っているのか分かっていないのではないかと、思います。

  ・ナショナリズムは、幻想や夢であって実在ではない。

  ・この閉塞の夢を見ているのが、ネトウヨだ。

 こうなりますと氏は祭りの「ガマの油売り」以下の、性格破綻者でしょうか。

 野党が「ナショナリズム」で移民法に反対したというのなら、閉塞の夢を見ていたのは、ネトウヨでなく野党です。論点が、あっへ行ったりこっちへ来たり、氏は本当に京大の教授だったのでしょうか。

 今回冒頭で、時間と手間が勿体ないので意見の紹介を省略しますと宣言したのに、意見の紹介をしています。嘘をついたのかと言われそうですが、どこかで横道へ足を滑らせ、そのまま進んでしまいました。

 居直って、氏の意見の紹介を続けます。

  ・彼らがネットの中だけで元気なのは、守ろうとする絆が現実にはない抽象的な概念だからだ。

 「ナショナリズム」に頼った野党は、どこへ消えたのでしょう。支離滅裂な意見ですが、この続きがまた凄い。

  ・その幻想と、現実のギャップを埋めるには、敵を捏造しなくてはならない。敵のせいで夢が実現できていないと思うために。

  ・敵に仕立て上げられたのが、在日や中国である。ネトウヨは、資本主義が呼び込む外国人の流れには無力である。

 反日で騒ぐ一部の在日や、日本を憎悪する中国共産党政府を、わざわざ敵に仕立てる必要がどこにあるのでしょう。氏には敵対する中国や一部の在日の悪態が、親しみの挨拶に聞こえているのでしょうか。

 氏が蔑称するネトウヨの中に私も含まれるのでしょうが、氏のような思考は常識のある日本人は誰もしません。おかしな理屈を持ち出さなくても、日本を攻撃批判する中国共産党政府と、在日の一部は実在の適性外国人です。

 こんな教授の授業を受け、疑問の一つもぶつけないというのなら、京大生のレベルの低下が心配になります。機会があれば、一度確かめてみたい京大の実情です。

  ・今回の日本の外国人労働者の受け入れ拡大は、異質な他者との連携といった崇高な倫理とは関係がない。

 異質なものを受け入れる「寛容な社会」「共生社会」と、盛んに移民の受け入れを煽ったのは、反日の共同通信社と朝日新聞です。今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」の政策が「崇高な倫理」であるはずがありません。

  ・日本は、グローバル資本主義を勝ち抜くため、安価な労働力を必要としているのだ。

 これからまた、縁日の「ガマの油売り論」です。

 ・だからと言って、労働市場を閉鎖する方が立派ということにはならない。究極の人間解放があり得るとすれば、それはインターナショナリズムを、条件としているだろう。

 「インターナショナリズムを条件とした人間解放」という、具体性のない、抽象的な言葉で、氏は何を説明しているのでしょう。ここには、移民のため国を分断されたヨーロッパの苦悩が、何も語られていません。

 氏が新たに持ち出した「インターナショナリズム」の意味を、別途調べましたので紹介します。

  ・「インターナショナリズム」とは、ナショナリズム(国家主義)と対比される概念で、具体的には、国家間の対立を避け、国際協調を通じて共通の課題解決や平和構築に取り組むことを指します。

 と言うことで、氏の意見の結論を私は次のように解釈しました。

  ・外国人労働者の受け入れ拡大を真の意味でするのなら、「ナショナリズム」でなく、「インターナショナリズム」に基づいて実行しなければならない。

  ・だから今回の日本の、「外国人労働者の受け入れ拡大政策」は基本が間違っている。

 間違っているのだから、政策をやめろと言うのなら理解できますが、それは言いません。要するに氏が言いたいのは「安倍総理への批判攻撃」で、日本の国や社会のことは頭にありません。

 息子たちに言います。氏の話がまだ続きますが、元京大教授の寝言に忍耐の尾が切れました。息子たちに分かって欲しいのは、氏のおかしな意見だけでなく、これを国内の地方紙に配信する共同通信社の、オレオレ詐欺的「反日報道」姿勢です。

  ・共同通信の記事は、国民への挑戦、私たちは、決して騙されない。

 このキャッチフレーズは、私と警視庁の合作のつもりです。無断で使ったので、もしかすると警視庁はヘソを曲げるのかもしれませんが、私は気に入っています。

コメント (2)
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