読みかけの本(新版・昭和史)を、机の上に置いたまま、やっと是枝氏の記事へ、コメントが終わったばかりなのに、1月17日の千葉日報を手にし、またしても、共同通信社の汚染記事を発見しました。
75才と言えば、世間では後期高齢者として老人扱いされ、そろそろ痴呆の始まる年齢だというのに、共同通信社は、そんな私にお構い無しで、次から次へとヘイト記事を掲載し、心の平穏を乱してくれます。こんな日が続くのでは、何時まで経っても安らぎが訪れず、呆ける暇さえありません。腹を立てるべきなのか、感謝すべきなのか、おかしな会社です。
慰安婦問題の効力が薄れると、徴用工、その次はレーダー照射、今度は挺身隊訴訟、日本海表記への難癖と、日本を貶め、攻撃するためなら、知恵を絞り続ける韓国のように、共同通信社もよく似た、懲りない会社です。前回は、是枝氏の「万引き家族」称賛でしたが、今度は移民法に関する、日本社会への批判です。
「論考 2019」という、シリーズ記事で、日本の有識者と共同通信が勝手に決めた人物が、反日・左翼の主張を展開します。記事に付けられた表題は、二つでした。
「資本主義の利己的な延命策」「受け入れ拡大に見る奇妙さ」
今回の有識者は、社会学者大沢真幸氏といい、初めて聞く名前です。記事の端に書かれた略歴によりますと、「昭和33年長野県に生まれ、京都大学教授などを歴任」と、なっています。これだけでは人物像が掴めませんので、他の情報を探しました。
「東大文学部・社会学科を卒業後、文学部助手になった後、」「千葉大学助教授を経て、」「京都大学の助教授となり、教授に昇格。」「しかし、平成21年に、セクハラ疑惑で辞職。」「最近は、個人的に編集している思想誌、」「『Thinking O』を中心に活動している。」
マイナスイメージの情報を、故意に探している訳ではありませんから、別のネット情報で、プラスのものも探しました。
「大澤には、教授時代から多くの著書・編著がある。」「新聞、雑誌、視点・論点のようなテレビ番組にも登場し、」「気鋭の学者として、数十年にわたって活動してきた。」「大澤に関するマスメディアの評価は、概して高く、」「高度に抽象的な論理と、現代社会の諸現象を、」「巧みな手腕とバランスで扱っている、と言われる。」「彼の著作の帯などには、スリリングな論考、といった言葉がおどる。」
父がなぜここまで根気よく、氏の経歴を調べるかつにいて、息子たちに教えます。1月17日の記事を読んだ時、とても有識者と思えない、愚かな意見の羅列に驚かされたからです。共同通信社が選ぶ有識者に、碌な人間はいないと予想していましたが、ここまで酷いとは思いませんでした。日本の学者、特に社会学者には、荒れ野に繁茂する、ねじれ雑草のような、見るも無残な人物が多いと、これもまた情けない発見となりました。
息子たちに言います。この無用とも思える、前置きの長さは、氏の意見を知った父の驚きの印だと、理解してください。
「昨年末に成立した、改正入管難民法による、」「外国人労働者の、受け入れ拡大は、」「遅ればせの行動である。」「90年頃、外国人への労働市場の開放は、」「国論を分けるイシュー(問題)だったが、」「現在は、異論の余地はない。」「受け入れ拡大は、不可避である。」「日本が、グローバル資本主義の中で、」「生き延びようとするならば。」
これが、氏の主張の前提条件です。グローバル資本主義で生きるためには、外国人労働者が、本当に絶対不可欠なのか。あるいは、グローバル資本主義の中でしか、日本は生きられないのか。様々な意見があり、議論が戦わされていることを知っていますが、ここで異論を挟むのを止め、氏の意見に耳を傾けます。
「だがこの件には、奇妙なことが二つある。」と言い、氏は二つを列挙します。
「 1. どうしてネトウヨは、この法律にそれほど反対しないのか。」
「 2. リベラルを自認する野党は、どうしてこの法律に対して、消極的だったのか。」
ここから、共同通信社選定の有識者らしく、愚論の展開が始まります。まず 1. について。
「在日コリアンや、中国には、非現実的な危機感を感じているのに、」「この法律に関しては、物分りが良い。」「彼らは、安全法制の時の、リベラルのように、」「国会議事堂を取り囲んで、」「反対すべきではないのか。」
これが 1. に関する、氏の主張です。礼儀知らずの学者らしく、国を大切にする庶民をひとまとめにし、「ネトウヨ」などと蔑称します。私にしても、「反日・左翼」と、彼のような雑草学者をひとくくりで表現しますから、ここは我慢するとして、是認し難いのは、次の言葉です。
「在日コリアンや、中国には、非現実的な危機感を感じているのに、」・・、新聞紙上を騒がせる韓国、中国の行動の、どこが非現実的なのか、私は聞きたくなります。隣国の威嚇と暴言に、危機感を感じないというのですから、氏には、日本人の心が無いのでしょうか。
法案審議の過程で、保守系の人間はネット上で、全て「移民法案」に反対していました。どんなネトウヨの意見を聞いているのか、学者なら、正しい情報で意見を述べるべきです。法案に賛成していたのは、国民の期待を裏切った安部氏と、安部氏に異を唱えられなかった、自民党の腰抜け議員たちです。氏は、自民党の議員を含め、わざわざネトウヨと総称したいのでしょうか。
移民法に賛成したのは、安部総理と、自民党の議員だけでなく、目先の利益に惑わされ、安い労働力を求めた経営者たちです。私の知る限り、氏が蔑称するネトウヨは、実は本物の愛国者ですから、国の未来を憂え、移民の受け入れに反対しています。息子たちよ、よく聞きなさい。氏の意見は、捏造と言うより、嘘なのです。ありもしない事実を、新聞に発表するというのは捏造でなく、虚偽であり、朝日新聞の記者たちが散々やってきた犯罪と同じだと、父は言います。
ここまでくれば順序として、次は 2. に関する氏の主張です。しかしこれを続けますと、ブログのスペースが足りなくなりますので、残りは次回とします。新聞記事の三分の一のところなので、まだ半分以上つまら無い意見が残っています。ここで止めてしまいたい気もあるのですが、愛する息子や孫たちの顔を思い浮かべると、父は戸惑います。
共同通信社のこうした記事は、「オレオレ詐欺」と同じことで、善意の人間が騙されて泣くのです。始末が悪いのは、「オレオレ詐欺」なら、警察が助けてくれますが、新聞記事の嘘や捏造では、警察は読者を守ってくれません。マスコミという名前だけで、法を超えるのですから、自衛するしかありません。世間には「老婆心ながら」という言葉がありますが、父は男ですから、お前たちへのお節介は、「老爺心ながら」とでも言うのでしょうか。
男女平等と、なんでも大騒ぎする左翼活動家も、気がつかない盲点があるのでしょうか。徹底しないところが、間抜けな反日・左翼らしくて、笑いを誘われます。
どうでもいいことですから、本日はここまでとします。
なかなか「解放」してくれない共同通信社へのお気持ち、お察しします。
この大沢氏は、これまでに数多くの「著名人」らと共著を出したことがあります。
その相手には、香山リカ氏や橋爪大三郎氏、宮台真司氏らがいます。
それにしても「どうしてネトウヨは、この法律にそれほど反対しないのか」と言うくだり、共同通信社側は「推敲」しなかったのでしょうか。
そもそも「ネトウヨ」と言う言葉自体、「学者」、そして「公器」である新聞の書くことかと思います。
昨年埼玉新聞が、秩父市役所が韓国の市との職員相互派遣の中止を報じた記事で、インターネット上で右翼的な発言をする「ネット右翼」とみられる人々からのクレームが殺到し中止に追い込まれた、と書いたことがあります。
例え「国を想うが故の想い」の発言でも、彼らには「右翼的な発言」にしか取れないようです。
例え「国を想うが故の想い」があっても、彼らには「ネット右翼」だの「ネトウヨ」にしか見えないようです。
大沢氏個人の見解でも、共同通信の意向を代弁しているように感じます。
埼玉新聞の記事にしても、共同通信の今回の記事にしても、書く側の「偏見」が良く現われていると思います。
彼らが偏見を述べるから、私が反論すれば、それが彼らには偏見と取られます。
偏見同士が、マスコミで対等に意見を言うのなら、これが「多様な意見」であり、「公平なマスコミ」となるのですが、現在の日本ではそれがなされません。
というより、世界のマスコミは、偏見の報道で、世間を騒がせ、商売をしているのですから、これが当たり前なのかもしれません。
ただ、今の日本では、おめでたい「お花畑の住民」があまりにも多数いて、左の偏見に絡め取られているところが、問題です。
私の息子たちも、貴方のように、「書く側の偏見」を理解してくれればと、そう思います。
コメントをありがとうございました。