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田中英道氏の発見 - 3 ( 『魏志倭人伝』の評価 )

2019-01-29 17:17:57 | 徒然の記
 「津田左右吉氏は、日本書紀や古事記を信頼せず、魏志倭人伝の方を評価しています。」「この人は、天皇制を否定する学者ですから、こういう歴史の作り変えをします。」
 
 私は津田左右吉氏を、誠実な学者とばかり思っていましたので、この意見にも驚ろかされました。かって、「変節した学者たち」のシリーズをブログにした時、氏の名前が出てこなかったので、意識していませんでした。
 
 敗戦後の日本では、こうした思いがけない人物たちが変節し、静かに日本史を書き換え、国民の心を日本否定へと導いていたのだと、今更ながら教えさせられます。
 
 「魏志倭人伝を信じる人たちは、卑弥呼を大和朝廷と結びつけようと、」「いろんな説を出してきます。」「卑弥呼の読みが、日の巫女という響きに似ているから、」「天照大神のことであるとか、神功皇后のことであるとか、そんな意見もあります。」
 
 「しかし大和朝廷の信仰は、太陽信仰で、自然神信仰なのです。」「卑弥呼が太陽神を拝んだという記述は、どこにもありません。」「鬼道をよくすると、書かれているだけです。」「朝鮮を攻めた神功皇后について、鬼道をよくするという記述もありますが、」「基本的に大和朝廷は、太陽神信仰ですから、卑弥呼が天皇という説には、無理があります。」
 
  田中氏の説明は、私の知らないことばかりで、古代史の深さを教えられます。この際、息子だけでなく、自分のためにも、『魏志倭人伝』について、調べてみました。
 
  「魏志倭人伝は、中国の歴史書『三国志』の中の、」「『魏書・第30巻烏丸鮮卑・東夷伝倭人条』の、略称である。」「当時日本列島にいた民族である倭人 ( 日本人 )の、風俗や地理などについて書かれている。」
 
 「『三国志』を書いたのは、西晋の陳寿で、西暦280年から297年の間に書き、」「陳寿の死後、中国では正史として重んじられている。」
 
 この説明を読むと、日本の歴史学者が『魏志倭人伝』を信頼する理由が分かります。けれども、ここでもまた、田中氏は私の知らない事実を教えてくれます。
 
 「『魏志倭人伝』の中で、陳寿は、日本のことだけ書いているのではありません。」「いろんな国のことを書いています。」「だいたい彼は、日本には来たこともないし、自分の想像で、日本について書いています。」
 
 「倭人伝のなかで、日本の風俗として書かれていることが、」「調べてみると、朝鮮半島の記述とほとんど同じだったとか、そんなもんですよ。」
 
 「当時の中国人からすれば、日本なんて想像で書いても、なんて言うことないんです。」「自分の国の歴史でも、何十年か経てば、平気で書き換えるのですから、中国の歴史は、」「だいたい、こんなもんです。」
 
 「それを有難がって信じるから、卑弥呼や邪馬台が生まれてきます。」

  三年前に、黄文雄氏が書いた『中国こそ日本に謝罪すべき9つの理由』、という本を読みました。黄氏はその中で、次のように述べていました。

  「中国の歴史観は、さすがに彼らが、歴史は政治の道具というだけあり、」「歪曲と捏造に、満ちたものである。」「この国は有史以来、経典の偽作を伝統とし、偽史、偽書、偽経で、溢れている。」「そのため中国では、偽物を見破るための、弁偽学が発達した。」

 「日本では古来、中国史研究が行われてきたが、その入門書ともいうべき、弁偽学の書だけがなかったため、」「根が善良な日本人は、中国史のウソを見破る、という発想を持てないできた。」

 「張心淑の『偽史通考』などは、千四百点もの古典の真偽を考証した、弁偽学集大成の書と目されている。」

 「日本人には、中国は歴史を大切にする国だと、敬意を表する人が多いが、中国はもともと、歴史は捏造するものと、考えている国なのだ。」

 黄氏の言葉を、記憶して書いているのではありません。三年前のブログを探し出し、そこから文章を転記しています。田中氏の言葉が過激なので、息子たちが、夜間祭りの「ガマの油売り論」と違えてはいけないと、もっと過激な黄氏の意見を紹介しています。礼儀正しい日本の学者は、日本の師であった中国への敬意を忘れず、疑ったり非難したりしません。

 それはそれで日本人の美徳でしょうが、黄氏の指摘する事実も、肝に命ずるのが大事です。正しい学問を求めるのなら、長所だけでなく、中国の短所も押さえておくべきです。短所に目をつぶり、長所だけに注目し「中国は素晴らしい」「中国は偉大だ」と賞賛するのなら、学問は成り立ちません。

  息子たちに言います。卑屈な親中の政治家や学者が、現在の日本をどれほどダメにしているかを考えると、少しくらい過激でも田中氏や黄氏の意見は貴重です。

 「一言で言って、中国人は〈詐〉の民族である。」「公を忘れて、私に走る、実に理解しやすい民族性である。」

 「誰にでも、わかりやすく説明するなら、中国人はヤクザと同じで、」「いざ相手に弱みがあれば、とことんまでそれに食らいつき、ゆすりたかりをやめない。」「恥は知らないが、強者としての誇りだけはある。」「たとえ自分が、強者でないことが明らかになっても、ハッタリだけは忘れない。」

 尖閣の領海への侵入、沖縄の支配権の主張、南沙諸島の埋め立て工事、南京問題の歴史捏造と、中国がやっている無謀な行動を見ていますと、黄氏の批判をそのまま肯定します。田中氏の、『魏志倭人伝』批判も、反対する気持ちがなくなります。むしろ私のの考えは、次のようになります。

  「中国の歴史書は、日本への侮蔑」 「私たちは、決して騙されない」
 
 共同通信社の記事と同様、注意してかからねばなりません。
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3 コメント

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日本上代史 (あやか)
2019-01-30 15:17:56
確かに戦後の歴史教育では、日本の古事記や日本書紀が軽視され、支那の『魏史倭人伝』などがやたらに喧伝され、本当に、本末転倒だと言うほかありません。
 私は、昭和18年に文部省が編集発行した『國史概説』という書物を持っておりますが、その内容は天照皇大神の神勅により即位された神武天皇からの歴代天皇の御業績を骨子として記述されており、『魏史倭人伝』や『邪馬台国の卑弥呼』の事などは全くでてきません。
また、戦後の昭和40年代に「平泉澄」先生が、私たち孫の世代への遺言として書かれた『少年日本史』にも、卑弥呼の事など、出てきません。あくまでも、古事記・日本書紀・および神皇正統記など最良の史書に基づいて書かれております。
もちろん、支那の『魏史倭人伝』は、それほど荒唐無稽な書物ではありませんが、あくまでも参考資料程度にすべきでしょう。
 ところで、津田左右吉博士が『天皇制否定論者』だったと、そのかたは書いておられますが、その件については当てはまらないでしょう。
津田左右吉博士が神武天皇などの史実性について、あまりにも懐疑的であったことはたしかです。。。。それは津田博士の欠点・偏向です。!
しかし、津田左右吉博士の『功罪』を論じるならば、『罪』よりも『功』のほうが多かったことも確かです。
津田左右吉博士は、皇室を尊敬しておられました。戦後、天皇制否定論者が跋扈しはじめたころ、決然として皇室擁護の論陣を張られたことは、周知の事です。

 【愛国派の作家、林房雄先生も津田左右吉博士を高く評価しておられました。】

戦後、日本国民の歴史教育が著しく歪められた事は、悲しむべき事実です。
しかし、その理由や『元凶』については、客観的な分析が必要です。
学校の歴史教育問題はつきまして、年輩者のかたにお聴きしますと、昭和30年代の頃の歴史教育は、まだ、今よりは健全だったそうです。それ以後、おかしな動きが、何度か波をなして、押し寄せて来たんでしょうね。
具体的に言えばきりが有りませんが、昭和30年代~40年年代初頭の頃の教科書に書かれていた事が、その後、左翼や在日外国人の圧力で抹消された部分が、かなりあります。

★★ところで、翻っていいますと、『戦前の歴史教育が、すべて万全だったか』と言いますと、必ずしもそうではないようです。
大日本帝国時代の歴史観にも、相当、おかしなことを言う人もいました。
たとえば、『日鮮同祖論』とかいう、おかしな政治的民族論がありました。
また、古事記・日本書紀の神代物語に対して『こじつけ的』な論考もありました。(いまでも有ります)
たとえば、神霊界を意味する『高天原たかまがはら』を、日本内外の特定の地域に求めたり、『天孫民族?』などという‘’古事記・日本書紀それ自体には見られない‘’架空の『民族名称』を提起するなど、まことに言いたい放題の状況だったそうです。

津田左右吉博士などの実証主義者は、おそらく、そういう状況に辟易しておられ、それが、古事記の伝説史に対して懐疑的になられた理由かも知れません。
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追加・支那人の歴史認識 (あやか)
2019-01-30 15:36:18
支那人の歴史認識が、いい加減で身勝手なことは、事実です。
それは、韓国朝鮮人も同じでしょう。
と、いうよりも、朝鮮には、まともな歴史書がありません。
朝鮮の最古の歴史書の『三国史記』や『三国遺事』などは、日本の『古事記・日本書紀』よりもずっと後世に書かれたものにすぎません。
 ただ、支那の『魏史倭人伝』などは、支那人の書いた歴史書のなかでは、ましなほうです。
ただし、私たち日本人が、有り難がるようなものではないでしょう。
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あやかさん。 (onecat01)
2019-01-30 19:12:55
あやかさん。

 私の知らないことを教えてくれる方は、皆、先生です。戦前の歴史教科書について、知りたいと思っていたことを、教えてくれた貴方は、間違いなく先生です。

 感謝いたします。

 しばらくは、田中氏の話を聞きいてみたいと思います。あなたのご意見を心に刻みつつ、この不思議に人物の、不思議な意見を楽しんでみたくなりました。

 これからも、よろしくお願いいたします。
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