書評の8回目になります。今回も堤防に向かい、穴掘りをしていてる氏の言葉から始めます。
「昭和22年7月25日から始まった、検察側証人の証言、」「そして前述のおびただしい宣誓供述書や、証拠書類の朗読が、断続的に、8月の31日まで、一ヶ月以上にわたって行われた。」
ここからが、戦後の私たちがほとんど知らない事実です。反日のマスコミの出発点も、ここにあります
「証人の証言が始まった時より、ラジオは毎晩〈 真相箱 〉という、GHQ政策の番組を、音楽入りで劇的に放送し、」「日本軍の残虐性など、あることないことを、誇大宣伝した。」
「GHQの言論統制下にあった新聞は、筆を揃え、日本軍の暴虐ぶりを、これでもかというように連続報道した。」「これに対する反論や批判は封ぜられ、抗弁のしようもなかった。」「国民はただ身を縮め、いたたまれない思いで、耐えるしかなかった。」
皇居間前の広場で、涙をぬぐっていた人々の姿が、二重写しになります。戦争が終わったと安堵する国民に向い、こんな放送が流されるのですから、「政府に騙された。」「軍人に騙された」と、失望や怒りが生じても不思議はありません。
マッカーサー元帥はこの時、政府を超える絶対の権力を手にし、マスコミを組み敷いていました。「言論の自由」、「反権力」、「社会の木鐸」などと、偉そうな訓示を垂れていますが、当時の朝日やNHKは何をしていたのでしょう。元帥の理不尽な権力行使に、抵抗したとでも言うのでしょうか。
日本人が蔑む韓国ですが、この国の新聞は権力の横暴に逆らい、白紙の新聞を発行した歴史を持っています。驕りたかぶる日本の新聞が、あの時一社でも、マッカーサーに抗議し、白紙のページで新聞を発行したでしょうか。
昨年の2月に読んだ、富田健治氏の著書『敗戦日本の内側』を、思い出します。氏は敗戦直後の状況を、苦々しそうに語っていました。
「急に平和論者ぶって、総司令部に入り浸っている人たちの名前も、」「よく聞いたものである。」「そうかと思えば、日本人の悪口を告げるため、」「司令部に日参している者もあるという始末で、」「無条件降伏したと同時に、恥さらしの日本となった時代でもあった。」
「私は、日本の政治家、軍人、言論人と言われる人たちにして、」「敗戦にあたり周章狼狽するばかりでなく、わが日本を売り、わが同胞を裏切ることによって、」「生活の糧を得んとする、卑劣な根性の者が、いかに多かったかを知り、慨嘆に耐えないものがあった。」
「民主主義は、よろしかろう。」「しかしながら、人を陥れ、人を裏切り、」「これにより、自らの利益を得るというのでは、民主主義以前の、不道徳ではなかろうか。」「かかる輩が、各界で口をぬぐい、しかものさばっているとすれば、」「そんな日本の社会が、立派な成長をなし得ようはずがないのである。」
「今後の日本の正しく行く道は、終戦直後の破廉恥の是正から再出発すべきではなかろうか。」
もし自分が、敗戦当時の日本で責任ある地位にいたとしたら、どのような態度で臨んだかと想像しますと、口ばかり先行する私には、自信をもって言える言葉がありません。
それだけに、富田氏の言葉が胸に刺さる思いがします。だから私は、情けない自分を含め、朝日新聞やNHKを責めます。権力に膝を屈した、彼らを、自分を含め卑怯者と責めます。
話が飛びますが、敵の裁判を受けるのを潔しとせず、自決した軍人の名前に、漏れがありましたので、追加します。あれだけ戦争を煽り立てた変節のマスコミの中に、責任を感じ、一人でも自決した人間がいたでしょうか。
敗戦直後、自決した将軍の名前は次の通りです。将官だけを調べましたが、佐官クラス以下の軍人を入れますと、もっと多くの数になります。これらの方々に対し、私は頭を垂れます。
阿南惟幾陸軍大将 割腹自決 寺本熊市陸軍中将 割腹自決
大西滝治郎海軍中将 割腹自決 田中静壱陸軍大将 ピストル自決
島田朋三郎陸軍中将 ピストル自決 宇垣纒海軍中将 特攻自決
東京裁判所で開始された、検事側の証人たちの証言と、証拠書類の朗読の中で、「南京虐殺事件」が、突然持ち出されました。その時の氏の、驚きの言葉です。
「このようにして、初めて知らされた南京大虐殺なるものは、海外にも大きな反響を呼んだ。」
やっと氏が、南京事件について語り始めます。息子たちは、次回のブログを今まで同様背筋を伸ばして読んでください。