ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

南京事件の総括 - 6 ( 堤防を崩壊させる、蟻の一穴 )

2019-01-15 18:49:44 | 徒然の記

  本日は6回目、第4章の書評です。この著書は、いわば田中氏の遺書です。

 松井大将の名誉を回復したいと願う氏に共感し、願いを少しでも広められたらと、そんな気持ちになっています。

 「ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルクの裁判所条例 を、そのまま東京で真似たものの、」「日本にはヒトラーはおらず、ナチスのような独裁政権もなく、日本は立憲君主国で議会も機能していた。」

 「起訴状にある、昭和3年から敗戦の20年までの17年間、」「内閣は、16回交代している。」「その理由は、主として閣内の意見不一致によるものである。」

 「しかるにキーナン以下の検察側は、」「28人の被告の全面的共同謀議により、侵略戦争が計画され、準備され実施されたという法理論を打ち立てた。」

 被告人の一人であった荒木陸軍大将が、法廷で次のように述べました。

 「この被告席にいる28名の中には、会ったことも、言葉を交わしたこともない人間が半分ほどいる。」「顔も知らず、会ったこともない人間と、どうして共同謀議などできようか。」

 結論の決まっている裁判ですから、清瀬弁護人の動議と同様、正論は皆却下されます。東条内閣で大蔵大臣を務め、戦時経済を指導した賀屋興宣氏が、釈放後に語っています。 

 「ナチスとともに17年間、超党派で侵略計画を立てたと、言いたかったのだろうが、そんなことはない。」「軍部は、突っ走るといい、政治家は、困ると言い、北だ、南だと、国内はガタガタで、」「おかげで、ろくに計画もできないまま、戦争になってしまった。」「それを共同謀議など、お恥ずかしい話だ。」

 談話を知る田中氏が、次のように述べています。

 「満州事変から、大東亜戦争までの国情は、賀屋元蔵相の言う通りであった。」「陸軍の中でさえ、皇道派だ統制派だと言って争っており、」「陸軍と海軍の間にも、確執があり、」「加えて血盟団事件、5・15事件、2・26事件など、血なまぐさい、テロの嵐が吹き荒れ、政党政治は腐敗混乱し、ついに崩壊している。」

 「検事側の言う共同謀議による中国侵略や、」「対米戦争の開始といったシナリオが、いかにナンセンスなものであるかは、昭和史を一瞥すれば歴然たるものがある。」

 忿懣やる方のない叙述ですが、息子たちに言います。戦争に負けると、負けた国は何をされても一言も返せない状況に置かれます。

 「しかるに、東京裁判の多数判決は、松井元大将と重光元外相の二人を除く、」「後の東条元首相以下13人を、存在しない〈全面的共同謀議〉という罪名によって、処断したのである。」

 こんな裁判で裁かれ、どうして「日本だけが間違った戦争をした」と言えるのでしょう。「日本が反省すれば、世界は平和になる」と、そんな意見が何処から出てくるのでしょう。

 息子たちに言います。反日左翼の政治家とお花畑の活動家たちの言葉を、ここで確認してください。

 「しからば、人道に対する罪はどうか。」「日本には、アウシュビッツはない。」「組織的計画的に、捕虜や一般人を、大量に殺害したという記録は何処にもない。」「そこで、彼らが持ち出したのが、南京虐殺事件である。」

  南京事件に関する氏の意見ですが、「東京裁判がなければ、南京事件は作られなかった。」と、私も同じ考えをしています。

 しかし現実には、この作り話を信じる人間がいます。そうでなく、アメリカに買収され協力している人間たちです。大学教授、学者、文化人が、反日マスコミに顔を出し、著名な肩書きで国民を騙しています。朝日新聞が捏造した「慰安婦問題」と同じ構造で、それが反日左翼たちの生計の糧となっています。

 アメリカの中にいる反日勢力と、中国政府と反日日本人の共同作業ですから、「南京問題」は一筋縄でいきません。頑強な堤防を蟻の一穴が崩壊させたように、小さな、穴掘りの努力を続けていくしかありません。

 田中氏のその小さな努力がこの著作ですから、襟を正して読みます。

 「ヒトラーが企てた、世界制覇のための侵略戦争。」「これを日本に当てはめたのが、全面的共同謀議という虚構であり、」「アウシュビッツに匹敵する非人道的な大量虐殺、これが南京虐殺という構図である。」

 立ちはだかる堤防に向かい、穴を掘っている氏の姿を見ながら今回はここで終わります。次回からは、蟻の穴掘り作業に参加します。

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南京事件の総括 - 5 ( 事後法で裁いた、復讐裁判 )

2019-01-15 07:57:42 | 徒然の記

 田中氏の著書でドイツの被告が22名と書かれ、別の情報では24名となっていました。確かめますと、審理中に死亡した2名が 全体数から除外されていることが分かりました。

 戦犯として裁かれた人数のみを、以下紹介します。

            日本         ドイツ

   死  刑      7  名                     12 名

   終身刑       16                           3

     有期刑         2                           4

     病  死      2                           2

     無罪・訴追免除   1  [計 28名]        3      [計 24名]

  [ 注 ]  総統アドルフ・ヒトラー、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッペルス、SS全国長官ハインリヒ・ヒムラーは自殺しており、起訴することが不可能でした。

 ドイツとの比較を考えながら、氏の著書へ戻ります。

 「昭和20年12月、モスクワに集まった、米、英、ソの3カ国会議で、」「ナチス・ドイツの残党同様、日本のA級戦犯を、国際軍事裁判にかけ、処断することを決定した。」

 「これにより、マッカーサー元帥が、判事・検事の任免権、および減刑権を含む、最高指揮権を掌握し、裁判を統括することとなった。」

 「昭和58年に来日した、オランダ代表判事だったレーリング博士によると、」「マッカーサーは東京裁判よりも、真珠湾をだまし討ちした東条一味に復讐することと、」「自分をフィリピンで敗北させ不名誉な敗走を余儀なくさせた、」「本間雅晴中将に対する復讐について熱心であったという。」

 裁判の形は大掛かりで、厳粛に見えますが、実際には「復讐裁判」でしかなかったと、氏も私と同じ見方をしています。

 「本間中将は、裁判開始後、わずか2ヶ月で処刑されている。」「この裁判の判事も検事も、マッカーサーの部下を指名するという、リンチ ( 私刑 ) にも等しい処刑であった。 」

 これに関しては、中将夫人の富士子氏について逸話が残っています。フイリピン派遣軍総司令官だった本間中将は、フイリピンの軍事法廷で裁かれ、夫人が最終証人として出廷しました。和服姿の夫人は、次のように述べたと言われています。

 「私は、東京からここへ参りました。」「私は今も、本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。」

 「私は夫本間に感謝しています。」「娘も、本間のような男に嫁がせたいと思っています。」「息子には、日本の忠臣であるお父さんのような人になれと教えます。」

 「私が本間に関して証言することは、それだけです。」

 通訳を介して夫人の言葉が伝えられると、法廷からはすすり泣きが聞こえ、米国検察官のなかにも涙を拭く者がいたと言われています。

  「戦友眠る  バタンの山を眺めつつ  マニラの土となるもまたよし」

 本間中将の辞世の句です。

 次の氏の説明は多くの人が知っていますが、息子たちは知らないはずですから紹介しておきます。

 「彼らがA級戦犯被告の28名を、起訴したのは昭和天皇の誕生日でした。」「昭和21年4月29日です。」「東条以下7名が絞首刑に処せられたのは、皇太子殿下 ( 今上陛下 ) の誕生日である、昭和23年12月23日だ。」「最も聖なる日にキリストを磔 (はりつけ ) の刑にした故事にならった、文字通りの復讐裁判であった。」

 さらに氏が、東京裁判の根本的な欠陥を指摘します。これも多くの人が知っていますが、息子たちは知らないはずですから転記します。

 「いまだかって聞いたこともない、平和に対する罪、人道に対する罪などという、」新しい法概念を打ち立てて、その法によって裁いたのが東京裁判である。」「文明国が等しく掲げている罪刑法定主義を無視した、法なき裁判を強行したのが東京裁判である。」

 「清瀬弁護人は、この点をとらえ、法の不遡及は法治国家の鉄則であり、」「本条例は、これを犯すものであるとし7つの動議を掲げ、開廷早々法律論で挑んだ。」「これに対し裁判所は、理由を述べないまま動議を却下した。」

 不都合な動議や資料は説明なしに却下するという、東京裁判のいびつさが、ここから始まります。結論ありきの裁判劇につきましては、氏の本に従い次回から紹介します。

コメント (2)
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